第34話

    五十五


 人よ一夜に人見頃。数学の暗記に使われたものが、うさぎの心に響いていた。

「簡単なことでも、継続するのは難しいものですよね」

「如何したのですか」

 高橋が寄り添うように、そばに張り付いていた。

 うさぎはスマホを取り出し、米国のホプキンス教授からのメールを差し出した。


 日本の今の状況は、同時多発テロを受けた時のアメリカのように見えます。しかし、アメリカが変われたように、日本も変われます。

 科学が導き出したものは、分析と応用です。赤瞳の信念は、ひとりだけのものではなく、世界中に知らせるべきものだよ。

 必要とされていないなら、アメリカに戻ってくれば良い。アメリカは、赤瞳を受け入れる。

 亡命と考えないで欲しい。そう、ホームグラウンドを移転したと考えれば、わだかまりもないはずさ。

 大切にしている心に投げかけてごらん。出される答えは、人の未来に必要なものなんだよ。


 親愛なる、日本の兄弟へ


 と、書かれていた。


「翻訳機能で意味深な部分を修正して、自分のスマホに転送したものです」

 うさぎは少し照れながら、笑顔で繕った。

「亡命される、おつもりですか」

 高橋が不安げに問い掛けた。

「生粋の日本人ですから、それはないですね」

『それでも、日本人に生まれたことをなげいていましたようですが』

 高橋は想いを、言葉に出来ないでいた。

「畳の上で死にたいですし、それが私の運命ですからね」

 うさぎがそっと囁いた。

 はっ、として、

「私の心を覗いたのですか」と、表情を強張らせた。

「顔に書いてありますよ」

 うさぎは優しく、微笑んでいた。



    五十六


 執務室に、活気が戻っていた。

 一単ひとえに云って、教えることは難しい。日本に匠が生まれたのは、『みて盗め』という感性に従ったものである。古き良き時代は、くち下手な人々の、想い入れにほかならない。

 今が存在する事実と同じように、過去の事実に上書きされたものが彩りになっている。我武者羅に走り抜けた人々も、マイペースに生きた方々もいる。

 石垣のように積み重ねられた歴史は頑丈のイメージだが、時には脆いものである。人が積み重ねたものが、人に返ってくる。鏡の役割をするものが、刻 (時間)と考えていた。


 うさぎは皆に悟られないように部屋を出た。

 手持ち無沙汰の中里が、やはり気付かれないように追いていた。


 日比谷公園のベンチに座るうさぎに、ペットボトルの紅茶を差し出した。

「お悩みは、話せないことですか」

「悩みではないです」

「独り言でも構いません。吐き出すだけで、割り切れたりしますからね」

 中里が宇宙そらを見上げて言った。


「あっ、という間に走り抜けました」

 うさぎが想いを零した。


 中里が思い出になってしまった記憶を呼び起こし、

「若しかして、なにかを待っているのですか」と、問い掛けた。

「そうかも知れませんし、違うかも知れません」

「赤瞳さんにも見えないものがあるんですか」

「勿論ありますよ。というよりも、見えないもの許りです」

「恐怖にしない為に、口にしない。ということですか」

「盛者必衰の理。と云いますからね」

「沙羅双樹ですか」

 伊集院が、口を挟んだ。


 うさぎの決心が、口を割らせた。

「真由美の死から学んだことで、心得が変わりました」

「扶ける為の行動ですよね」

「重なった想いの先は、絶滅から扶けるに至りました」

「この先が、また変化するんだよね」

「おいおい、一二三。復讐は認められてないぞ」

「そんな洗脳じみたことは、はなから持ってないさ」

「お二人とも、勘違いをしてますよ」

 うさぎが話しの腰を折り、想いを吐き出した。


 目の前で殺された、という訳でもないのに、憤りでたじろぎました。その思いも、色褪せています。今は、選択肢の間違えを後悔しています。


 真由美の想いは、彼女だけのものにしてはならない。笑顔が心に焼き付いているから、絶やしたくはない。世界中にその想いを蔓延させなくては! と自分を戒めました。

 一心不乱に進んだつもりが、変化しています。自分を言い含めるようにそれ等を、言い聴かせてきたつもりです。

 冷静に周りを見れば、多くの仲間たちに囲まれています。そんな私の口癖は、「備えることで、被害者ゼロに」です。

 知り合った頃によく言っていたことは、「結果が、是非を教えてくれます」でした。振り返ったことで私の行いが、『非』であることは明白です。

 多くの方々を巻き込んで、無意味な行動をしてきました。巻き込んでしまった仲間たちを残し、死を迎えることになる。何も残せずに、無責任にやり残したままにして。


「死の御告げが届いたのですか」

「人は必ず死を迎えます」

「そんなことは、子ども心にも届いているんじゃないかな」

「純真に傷をつけるものは概念です」

「大人たちの強制力が、純真を奪うことに気付いてないですよね」

「慢性化した強制力はやがて、傲慢を極めます」

「強制力はやがて、歪みを発生させるよね」

「ひび割れるか、弾けるかの違いはあれど、穴が開きますね」

「ひび割れるか弾けるかの違いは、選択肢があるかないか、です」

「選択肢ですか」

「感情移入すると、年功序列さえ覆します」

「可能性の天秤が、正常に作用しなくなっちゃうのかな」

「お二人は立場上、冷静沈着に判断して下さい」

「解りました」

「努めるけど、約束はしないよ」

 伊集院の天の邪鬼も、笑顔で帳消しにされている。

 うさぎは二人の真剣を確認した。



    五十七


「室長、何処に行ってたのですか」

 石は中里を見つけるなり、いそいそと近付いて来た。

「どうしたんだい」

「斉藤まるさんの同期が、密室殺人事件と触れ回っているらしいのです」

「まるちゃんの同期が、かい」

「まるちゃん、詳しい経緯を聴かせてよ」

 伊集院の言葉が鶴の一声となり、一同が談話テーブルに集合していた。


 斉藤まるは、

「川崎市にある。特別養護施設で起きた事件なんです」と言って説明し始めた。

 朝食を終えた入居者さんの一部の方が、不審死した。一部ということで、関連性を捜査した結果、同一薬品を特定するまでに至っている。

 鑑識だけでなく検査機関にも依頼したが、毒の発見には到らなかった。食べ合わせが悪く食あたりを起こした、と発表して保健所に廻っているのが現状である。


「何万回の試験をして、認証取得しているからね、薬品って」

 結衣が口を挟んだ。

「機能不全は起こしてないんですか」

 谺は薬物の抗力分析を意見した。

「無差別殺人の実験ならば、密室殺人です」

「まるちゃんの友達も、密室殺人をサクセスストーリーにしたいのかなっ」

「県警さんからの、検視依頼は」

「まだありません」

「僕への変死報告は、高橋さん」

「そちらも、無いです」

「須藤さんが仕組んだのでは」

「借り、を作りたくないのでしょうか」

 一同が顔を見合わせた。

「いいんじゃない、乗ってあげましょう」

 中里の鶴の一声で、それぞれが頷いた。

「赤瞳さんは、どうしますか」

「石ちゃんと小嶋さん。谺と結衣さんで、施設を調べますよね」

「了解」Χ4。

「中里さんは、認め印ですか」

「一二三に手伝ってもらい、速攻で終わらせますよ」

「高橋さんは、K大学に行きますよね」

「了解」

「斉藤さんと、小野さんは、出入り業者を探りますよね」

「了解」Χ2。

「誰も残りませんね。なら、真由美と遥さんへ報告にでも行きましょうかね」

「お気をつけて」

 苦虫を噛み潰し、笑顔をへつらった。

 空気感をよどませない為に、そのまま部屋を出て行った。

 一同は見送ると、せわしなく動き回っていた。

 

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