第17話 終焉はもう直ぐそこ

     二十八

 

 宵の明星が煌びやかに輝いていた。


「赤瞳さんは、絶対に生きている」

 石の頑なな想いが、金星に届いている。


 一年前のことは事故(投身自殺)と報道されている。想い続けるだけでは、何時しか色褪せるものである。


 夜が明け掛かる午前五時。横浜駅北口の、ビデオレンタル鑑賞店。

 

 鍵の掛かったプライベートルームの一室を、警察官立ち合いで鍵が開けられた。

 警察官がプライベートルーム内に入り、椅子に座る男性客に触れた。触れられた男性客はその衝撃だけで突っ伏した。

 何事が起きたのか解らない警察官が客を仰向けにすると、客は既に息絶えている。

 警察官が無線で、そのことを署に連絡した。


 一畳程の室内に大きなテレビが備え付けてある部屋は、男性の自慰の為の空間である。

 最近は、出張費の節約で使われることも多くなっている。そんな場所だから、殺人事件の形跡は見当たらない。

 死因を特定する為の鑑識係が二人入るだけで、身動きすら侭ならない。通路ですれ違うことも侭ならない場所がらは、事件性も漂っていなかった。


 密室ではあるが、自然死の方向に捜査は進むだろう。一部の捜査員が「密室殺人事件だ」と息巻いていた。


 居合わせた斉藤マルコス文昭は、捜査一課に配属されて三カ月の新米巡査部長である。先輩たちの鼻息に絆されて、事件解明を推理する妄想に取り憑かれていた。


 数日後、突発性心筋梗塞による死因から、自然死と判断が下された。


 妄想に取り憑かれた斉藤マルコスは、テレビドラマの影響力から、単独捜査を続ける覚悟を決めた。


 現在はインターネットを検索すれば、ある程度の情報を知ることができる。

 自身が所属する県警だけでなく、警視庁の情報も差し支えのない範囲まで知ることができた。パスワードの壁だけが障害になった。

  

 叩き上げを目論む妄想に取り憑かれ、度重なる挑戦が不正アクセスとなった。


 内閣府の下した判断は、不審者であった。


 川井遥の後任の高橋博子は、情報処理を任されている。

「中里さん、神奈川県警の巡査部長が、不審者に認定されました」

 頭の向きを変えた中里が声を張る。

「石ちゃん、調べてくれないかな」

「了解しました、室長」

「詳細は、高橋さんから聴いて」

「石さん、これが不審者に認定された、斉藤マルコス文昭巡査部長の経歴です」

 高橋のパソコンを視る為に、石が移動して来た。金魚のウンチのように、斉藤と小野が引き寄せられている。


 高橋と同じ二期の小嶋春菜は、伊集院に後押しされてやって来た。

「不審者認定ってどういうことなんですか」

「秘密事項を視る為には、パスワードが必要になるんだよ」

 どちらかというと同じ臭いのする伊集院は、小嶋の天然に煩わしさを感じない。そういう訳で、小野が教育係を任されている。都合の悪いことは直ぐに、伊集院に押し付けられていた。


「パスワードを知らないマルコスさんが、内閣府の情報を知りたい理由はなんだろう」

「高橋さん、県警の捜査情報を検索してみてよ」

「了解しました」

 高橋が「カタカタ♬」と、けん盤を叩くように打ち込んだ。奏でられた音の後に、『横浜駅北口ビデオレンタル鑑賞店』の捜査情報が打ち出された。


「暗躍する組織が、再び動き出したのかなぁ」

橘田きった一也さんと、赤瞳さんの関係を知らべられないかな」

「赤瞳さん? ですか」

「高橋さんも、歓迎会の時に聴いてたよねぇ」

「うさぎ赤瞳さんです」

「怒ってますか? 石さん」

「あたしたちの楽観が、投身自殺と報道されちゃったからね」

「元素兵器を内閣府に教えてくれた、俺たちの仲間なんですよ」

 中里も野次馬の輪乗りに参加していた。

 高橋は聴きながら打ち込んだ。

「お母様の弟さんのご子息ですか」

「住所は、藤沢のようだね」

「出張費の節約の為に、店に入ったのかなぁ」

「どちらにせよ、あたしたちの範疇の一件だね」

「私は、斉藤マルコスさんに張り付きます」

 石は言うと、素早く立ち去った。

「高橋さんは、斉藤さんと連携して後方支援をして下さい」

「私は、はるちゃんとバックアップかぁ」

「うさぎさんの消息に、たどり着けるかも知れないよ」

 小野は、伊集院の言葉に唆され、瞳を煌めかせて出て行った。

 小嶋は意味不明なまま、小野に追いていく。


 斉藤マルコスは、のらりくらりと捜査をしていた。そのせいで、ニコイチ(二人一組)についていけない。例外的措置で、裏付けの確認が多い。世間一般に言われるお荷物的存在である。

 天然素材の強みは、微妙な違和感を感じ取ることだった。石の尾行に落ち度はない。

 路地裏に誘い込み、

「刑事を尾行するなんて、正気の沙汰ではないぞ」と身を翻した。

 ヒーロー感に酔い痴れて、格好だけのへぼ役者を披露する。

 石はその空気感について行けず、沈黙でやり過ごそうと決めた。

「命乞いすら、できないようだな」

 石は、思い上がりにイラッとして、

「刑事たるもの、ことの判別に私情を挟まぬ、です。冤罪を生み出すものは、思い上がりと思い込みなんですよ」と説法した。

「僕は、女子供に優しいから、冤罪なんて造らないよ」

「そう、ならば、不正アクセスの責任を取り、懲戒免職になると良いわ」

「えっ・・・」

「機密事項への不正アクセスよ」

「あ・あれは密室殺人事件の関連記事で調べただけです」

「密室殺人事件」

「そ・そう。僕のサクセスストーリーの序章なんです!」

「心筋梗塞の自然死で、県警本部が幕を閉じた事件が序章なの」

「女・子供に解らない、刑事のカンなんですよ」

「配属三カ月のド新人の勘が当てになるのかしら」

「だ・か・ら、所謂・天才の閃きなんですって」

「天才、そういうことを言う人は、決まって凡人ですよ」

「そうですよね。思い込まないと、刑事なんてやっていけないこと位、解っています」

「如何したの。先程までの強がりは」

「言い負かす自信なんて、最初はなっから持ち合わせて無いんです」

 石が、向きになっている自分に見切りを付けた。

「自然死に、疑問を持った理由を教えて下さい」

「たった一畳のあんな場所で死ぬなんて有り得ない。そう思ったんです」

「そう、最初から素直に話してくれたなら、私の対応も違いましたよ」

「どういうことですか」

「私は、内閣府の人間です」

「内閣府って、政治家さんなんですか」

「特殊任務班の、石彩花と言います」

「特殊任務班って、一条管理監の事件を担当した方達ですよね」

「噂話でも広まっているの」

「悪は、管理監であっても処断される。鑑識さんたちから聴きました」

「嫌われ者になる理由は、傲慢に尽きます」

「傲慢、ってなんですか」

「思い上がり」

「えっ、僕も嫌われ者になるんですか」

「今のままなら、です」

「如何すれば、嫌われ者にならずに済みますか」

「自身のことは、自身が考えるものです」

「僕は、ただ夢を見ているだけです」

「マルコスさんの見る夢は、ただの妄想です」

「妄想って、人なら当たり前のことですよね」

「欲張りの妄想は、ただの証しです」

「欲張りって言うけど、人の自由は法律で認められていますよ」

「お他人様に迷惑を掛ける自由が、憲法に定められているのですか」

「それは、受け取り方の問題ですよね」

「法の番人の警察官の言うことですか」

「今話していることは、個人の考え方です」

「そうやって、自己中心的に考えるから、嫌われ者になるのです」

「僕には、自由を主張する権利がないんですか」

「マルコスさんと一条さんの共通点を教えているだけです」

「共通点」

「人でありながら、人のことを理解していません」

「僕は、人で無し、というのですか」

「人が命を全う出来る世の中を創りたい。そんな夢を見続ける方がいます」

「お釈迦様の話しを引き合いに出すんですか」

「現在進行形の人の話しです」

「今現在の話しなんですか」

「一条さんの悪を暴き、良からぬ輩に命を狙われ続けています」

「僕には、関係のない話しですね」

「マルコスさんが生まれ変わる為に必要な方ですよ」

「僕に、その人を護れと、というんですか」

「一年前に、川崎駅で投身自殺を計った、と報道されました」

「何が言いたいんですか」

「その方の所在を探して欲しいのです」

「所在」

「生死の事実を暴いて下さい」

「投身自殺を計ったんですよね」

「私は、警察が関与して、デマを流したと考えています」

「警察の関与」

「報道を操れるのは、警察だけです」

「政治家さんたちも、関与できますよ」

「関与していれば、私たちの耳に何かしら届きます」

「僕にスパイをしろ、というんですね」

「マルコスさんの天然が役に立ちます」

「僕は、トナカイじゃないんですよ」

「物語には、因果関係が必要です」

「多分ですが、三文芝居しかてませんよ」

「マルコスさんのサクセスストーリーを演出できる方なんですがね」

「や・やります。やらせて下さい」

「名前は、うさぎ赤瞳さん。所在等の記録は○○警察署か、県警本部にある筈です」

「何故」

「一条さんの悪を暴いたと教えましたよね」

「敵に回すと危険な人なんですか」

「神々様と対等に渡り合う心を持つ方です」

「心?って武器になるんですか」

「繊細なのに大胆なもの、と教わりました」

 言った石の頬を泪が伝っていた。

 離れた場所から見守る斉藤純子にも、同じ現象が起きていた。


 石は、一週間の猶予を与えた。ご褒美として、デートを仄めかしている。斉藤マルコスは鼻の下を伸ばし食い付いた。待ち合わせ場所は人目に埋もれる為に、川崎駅前の図書館である。経験を生かす為には、同じ状況が手っ取り早い。重なり合うものは、より強固になるからである。御膳立ては少しづつ盛るものだろう。満足度に拘るか、目と舌で愉しむものかは、人それぞれである。



 あっ、という間に、一週間が過ぎている。


 花束こそ持ち合わせていないが、とびっきりのお洒落をした斉藤マルコスが、約束の時間前に、図書館に現れた。

 石は、うさぎに魅せられた書物を捜す為に、一時間以上前から居る。


 予約席の札がある机には、本の山が築かれていた。パラパラと捲り、見覚えを頼りに積み上げられている。

 斉藤マルコスに気付き、不要と思われる山を整理し始めた。斉藤マルコスは、石を見つけて後を追う。

 ちぐはぐさが、境界線の合わない理由だろう。取り分けて石は、併せるつもりがないようだ。空回りは、端から視ると滑稽に映る。


 石が、漸く腰を据えた。

 斉藤マルコスが、石の正面に座り、

「何故、無視し続ける? んですか」と聴く。

 時計を確認してから、

「それでは、時間となりましたので、始めます」と、無機質に言った。


 石は宇宙空間の略図を開き、この世の始まりは、『感性』というのが、うさぎ赤瞳さんの定説です。と切り出した。


 メガホン型の口元を指差し、これがブラックホールです。ビッグバンは知っていますよね。と微笑みながら聴いた。


 斉藤マルコスは、『ドキッ』としたことを隠す為に赤面する。心を見透かされない為に、視線を逸らした。挙動不審者は職質されるものであるが、よもや、自らが職質されるとは思いもよらなかった。


 ビッグバンも光も、元素の行動力が起こしたものです。

 うさぎ赤瞳さんは、感性という非現実物から、元素という現実物を結びつけています。

 人の想いが、数々の成功を収めた結果から導き出した、と言います。賢人と言われる方々が残したものが、現在の彩りを創り出したからです。

 斉藤マルコスさんが当たり前を主張するならば、ご先祖様に感謝するのも当たり前のことですよね。


「はい」

 言ったものの、自己チューであることすら弁えていなかった。


 斉藤マルコスさんが天才を仄めかすのならば、発想の理由付けをするべきなんです。

 周りがそれを認めるから、天才になるのですからね。


「申し訳ありませんでした」

「武士の志が高貴な理由は、詫びる精神を持ち合わせたからです」

「石さんが、般若に見えます」

「私の心に住み着く神は、夜叉ですからね」

「それって、自分から言うことですか」

「自分に厳しく、お他人様に甘く。自分に課した生業です」

「僕にも、課せと強制するつもりですか」

「強制はしません」

「しているように感じますよ」

「逃げ口上を言い訳とするならば、斉藤マルコスさんのサクセスストーリーは空想のままになります」

「覚悟を決めろ、というんですね」

「人の生業を受け入れるべきなんです」

「それって、運命のことですか」

「格言を知っていますか」

「犬も歩けば棒に当たる、ですか」

「人の前(未来)に途は無く、後(過去)に途は出来る。です」

「開拓者の精神論ですか」

「人が生まれる理由わけを、知っていますか」

「父と母が居るからですか」

「斉藤マルコスさんは、学ぶことが苦手のようですね」

「はい。自慢じゃないですが、テストで良い点数を取った試しがないです」

「人生は、死ぬまで勉強ですよ」

「勉強しないと、生きる権利を得られないんですか」

「権利は、義務を果たした方々に、与えられるものです」

「義務教育は受けました」

「もう、良いです」

「何が良いんですか」

「斉藤マルコスさんには、期待しません」

 言った石が席を立った。

「うさぎ赤瞳さんの存命も聴かないで帰るんですか」

「今、存命・・・」

「僕は、うさぎ赤瞳さんの乗った救急車を運転した救命士にあってきましたよ」

「その手がありましたね」

 石は再び腰を降ろした。

「搬送先は、東神奈川の米国基地だった」

「それで、治外法権を理由に、おめおめと帰って来たのでしょう」

「確かに、基地内には入れなかった」

「やっぱり」

「だから、しらみ潰しに聴き込みしたんだ」

「基地の廻りに住む方々に? ですか」

「そう、それが地道な捜査の基本だからね」

「それで」

「救急車が、基地内に入ったことを、知っている一般人は、ひとりも居なかった」

「夕方の慌ただしさに、紛れたんでしょうね」

「夕方に行動を起こす屋形船の船頭さんから、面白い逸話が聴けたんだけど・・・」

「逸話? ですか」

「船頭さんは生まれて初めて、戦闘機を観たらしいんだ」

「夕闇に戦闘機」

「それも、東に飛び立ったらしいよ」

「記念写真でもあれば、信憑性も、上がりますね」

「写真はないけど、大型船には航海日誌があるんだよね」

「航海日誌」

「戦艦の為に、航路変更を余儀なくされた、という記載があったんだよね」

「だから、おちょくった? の」

 隣の机に居た斉藤が、堪らずに口を挟んだ。

「刑事がニコイチだから、何人か側に居ると気付いていました、からね」

「たった三カ月のド素人でも、刑事は刑事なんだね」

「本部の捜一に三カ月でも、刑事のキャリアは五年以上ありますから」

「合格だよ、ねっ」

 小野が口を挟んだ。

「えっ、君も、仲間だった? の」

 斉藤マルコスが呆けづらを晒している。男のさがで、若い女性を物色していた。石を含め五人の女性たちに囲まれている。ただそれだけのことで、斉藤マルコスは舞い上がっていた。


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