5-3

栞は放課後、高校の最寄り駅から少しはなれたファミリーレストランに来ていた。栞の向かいには頭を丸めた高校球児がオレンジジュースをストローで飲んでいる。


「あ、名前言ってなかった。牧原まきはら嘉樹よしき


「花木栞です」


いつものように掃除の後、図書室へ向かうと、入口の前で牧原は栞を待っていた。見たことがある生徒だと思ったが、以前堀北に野球を辞めた理由を問いただした野球部員だった。


牧原から話があると言われ、そのまま後を付いてきた結果、二人で向かい合って座っている。


「本題に入る前にまず言わないといけないことがある」


そう言った直後、牧原は額がテーブルにつくほど頭を下げた。


「この前は失礼なこと言ってすみませんでした」


「あ、えっと……」


周りの視線が気になったが、夕方のファミリーレストランには周りの声を気にするような客はおらず、ほとんどが栞と同じ高校生で皆自分たちの話に夢中になっていた。


「堀北が野球を辞めた理由を花木さんのせいにした。本当にごめん」


「私は気にしてないから大丈夫」


牧原が謝るような行いをしたとは思っていない。ただ、堀北の病気のことを知っているのか気になった。木下は一部の人しか知らないという言い方をしていた。


「牧原くんは堀北と仲が良かったの?」


「まあ、よくつるんでた。同じポジションだったし。あいつは誰とでも仲良いけど、俺はそんな器用じゃないから、一方的だったかもな」


牧原の言葉の節からは寂しさが滲んでいた。


「辞める時も誰にも何も言わなかったみたいだしな。俺が後から理由聞いてもはぐらかされたよ」


恐らく堀北はみんなに心配をかけたくなかったのだろう。誰だって友人が病を患っていると知ったら心配する。もしくは、同情されたくなかったのかもしれない。


同情は決して悪いことではないかもしれないが、受け入れている現実が揺らいでしまうかもしれない。自分は周りより可哀想な立場にいる、なぜ自分なのか。そのような観念に囚われてしまうと、人は途端に弱くなる。


「今日声掛けたのは、謝りたかったのと、堀北が学校を休んでる理由を知らないかと思って」


堀北が仲の良い相手に理由を伝えていないのなら、それは栞の口から伝えるべきではない。


「私は理由を知ってる。でも、それを私が言うのは違うと思う」


「まあ、そうなるだろうなとは思った。堀北の連絡先知ってる?」


「知ってるけど」


「今電話して状況を説明してもらえないかな」


「それは……堀北の迷惑にならない?」


知らないところで動くのは卑怯だと感じるし、こういうことは本人が問うのが筋だ。 牧原は先ほどまで少し高圧的な態度だったが、その気配を消して背筋を伸ばした。


「花木さん、お願いします」


牧原は最初に謝った時と同じくらい頭を下げた。


「俺から訊いても何も答えてくれないんだ。花木さんの言うようにあいつの口から理由を聞きたい。俺は……もう後悔したくないんだ」


牧原の願いは切実だった。野次馬根性ではなく、本気で堀北を心配しているのだ。


「あいつが野球部を辞める時、俺は意地張ってあいつと向き合おうとしてなかったんだと思う。だからあいつも俺に話してくれなかったんだ。どうか、お願いします」


栞は堀北の熱意に負けた。状況を説明して、判断は堀北自身がするのが正しいと思い、堀北に電話をかけた。


数コールで堀北は電話に出た。


「もしもし花木さん?」


「急にごめんね。今野球部の牧原くんと一緒にいるんだけど」


電話の向こうで堀北が息を飲むのがわかった。栞は今の状況、そして牧原の本気さを伝えた。


「そっか。花木さん、連絡してくれてありがとう。あと、言わないでくれてありがとう」


堀北は小さく仕方ないか、と呟いた。


「牧原はね、野球部で俺が一番仲が良かった友達なんだ。だから、余計に病気のこと話しづらくて。牧原は心配性だしさ。でも、ちゃんと言わないとダメだよね」


「言いづらかったら言わなくても私は良いと思う。牧原くんも堀北の決断なら、尊重してくれるよ」


ちらりと牧原を見ると、口を固く結んで電話のやり取りを静かに見守っている。


「やっぱり、花木さんには話して良かった。直感でこの人には話さなきゃいけないって思ったんだよね。あれ、なんか俺天才みたいなこと言ってない!? 勘です、みたいな」


「この空気でそんなこと言える堀北は天才の素質あるかもね」


栞は携帯を牧原に渡し、隣のカフェで待っていると伝え、自分の分の代金を机に置くと一度店を出た。電話越しとはいえ、二人の方が話しやすいだろう。


カフェに入ってから一時間ほど経過したところで、ようやく牧原は栞と合流した。


「遅くなってごめん」


携帯を渡す牧原の目は真っ赤に腫れており、堀北から伝えられたことを受け止めきれていないのかぼうっとしていた。


「何か頼む?」


そう言うと、牧原は最小限の動作でアイスコーヒーを注文してまた動かなくなった。


栞は特に話しかけず、本を読みながら牧原の行動を待った。牧原はグラスの下が水浸しになった頃にようやく話し始めた。


「花木さんは……いつから知ってたの?」


「前に校門の前で牧原くんと会って、その後」


「結構前だね」


牧原は乾いた笑いをこぼした。


「堀北の気持ちはよくわかったし、一番辛いのはあいつだってこともよくわかった。でも、やっぱり黙っていられたのはキツいな。病気だって知ってたらあんな態度取らなかったし、もっとあいつとの時間を大切にできた。あいつが辞めてから今日までの時間を、俺は無駄にしてたんだ。俺はバカだ。相手のことを考えられない、どうしようもないやつだ」


「そんなことないと思う」


自己嫌悪に陥る牧原を見ていられず、栞は口を挟んだ。


「牧原くんが堀北に怒ったのは自然のことだと思う。信頼してる相手に隠し事されたら誰だって傷つく。それに、それだけお互いが相手を思い遣ってるって証拠だと私は思う。二人とも優しすぎただけだよ」


堀北は頬に涙を伝わせながら栞の話を聞いていた。


「堀北が花木さんを信頼してる理由がわかった気がする」


牧原はそう言うと今度は感情を込めて笑い、涙を袖で拭った。


「病気のこと聞いたけど、難しくてよくわかんなかった。でも死んじゃうわけじゃないんだよな?」


「重い病気だけど治る可能性もある病気らしい」


「逆もあるってことか」


二人の頭に最悪の可能性が浮かび、重い空気が流れた。


「花木さん、お見舞い行こう」


重い空気を取り払おうと、牧原が提案し、栞は首を縦に振った。


「決まりだね」


栞は初めて牧原のちゃんとした笑顔を見た。

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