第19話

宿に戻ると食堂ではリュカが一人、焼き上がったパンをかごに取り分けていた。

ヒロを見つけたリュカは顔を真っ赤にして叫んだ。


「どこにいたのさ!行き先も知らせないで」


「心配するじゃないか!」


「ごめんね、すぐに戻るつもりだったの」


「すぐ手伝うね」


ヒロは走ってカウンターの裏に回り、流しで手を洗い始めた。

リュカはザックをちらりと見た後、申し訳なさそうな顔でバートをを見た。


「バートさん、朝からご迷惑をおかけしました」


「ザックさん、姉さんと出掛けるならせめてひと声掛けてください」


「朝は忙しいんです」


言い方は抑えてあるが、リュカはザックに対して良い感情を持っていないようだった。

当然だろう。日が昇るより早く、黙って姉と出かけたのだから。


しかも姉には恋人がいることを知っているのにだ。


ヒロは自分が誘ったのだと言ったが、リュカはそう思わなかったようだ。

バートもヒロの話を信じたわけではなかった。


目的はわからないが、ザックがヒロを連れ出したに違いない。

バートは確信していた。


「次から気をつけるよ」


ザックは悪びれる様子もなく、リュカに微笑んだ。

もうしない、ではなく次は気をつける、か。


またヒロを誘うつもりか。


食堂には重い空気が漂っていた。

リュカは無言で朝食の準備をしている。

エプロンをつけたヒロは奥の厨房に行ってしまったので、食堂にはリュカとバートとザックしかいなかった。


今朝は、ここでの朝食は諦めたほうがよさそうだ。


「リュカ、少し出かけてくる。朝食は外で済ませるよ」


バートの声にリュカがぎこちなく笑って頷いた。


「わかりました。気を付けて」


ザックは珍しく黙ってバートについてきた。 

バートは宿を出てすぐ、ザックに尋ねた。


「昨日から、一体なにを考えている?」


今のバートの正直な気持ちだった。

半日部屋に引きこもったかと思えば、突然、朝早くからヒロを連れ出した。


「まさか、ヒロのことを好きになったとか言い出すのではないだろうな」


ザックは答えなかった。

左手を口元に添え、親指の爪を軽く噛んで何かを思案している風だった。


「ザック、聞いているのか」


このような場合、ザックはバートの問いかけに答えないことは経験的にわかっていた。

聞いても答えないことはわかっている。聞く耳を持たないことも。


だがそれでも。言いたいときはある。


「なにを考えているか分からないが、ヒロには大切な思い人がいる」


「休暇を楽しみたいと思うならば、彼女を困らせるようなことはするな」


「あそこにいられなくなるぞ」


バートはザックに歩調を合わせ、低い声で言い聞かせるように言った。

ザックは相変わらず歩きながら爪を噛み続けており、バートの声が聞こえているようには見えなかった。

バートの苛立ちは募るばかりだった。


「おい、何か一言くらい・・・」


「朝食を済ませたら、リックに会いに行こう」


バートの言葉を遮って、ザックが言った。


「なんだって?」


「あいつに会って、話さなきゃならないことがある」


そう言って、ようやくザックはバートを見た。

いつもの人を馬鹿にしたようなニヤついた顔はそこにはなく、澄んだ瞳が真っ直ぐにバートを捉えていた。

初めて見る顔だった。

なにを考えているかは見当もつかないが、少なくともいつもの悪巧みではなさそうだとバートは思った。

なにかしらの強い意志が存在していることは確かだ。


なぜだ、という問いかけをバートは飲み込んだ。


「わかった」


代わりに出たのは、短い承諾だった。


なにも言わないのは、いつものことだ。

自分はそこに同行し、必要に応じて動くだけ。

リックになにを話すつもりかは分からないし、確たる根拠もないが。


ついていけば分かるだろう。


「とりあえず朝食だ。今はまだ人を訪ねるには早すぎる」


バートは広場に向かうように促した。ザックは黙って歩き始めた。

しばらく歩いて、不意にザックが呟いた。


「そういえば、リックはどこにいるんだろう?」

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