第10話 ちょつと不穏な空気


《.....穢れが薄れた?》


 デイモスの女神は、ふと自分の身体が軽くなったのを感じる。

 永きに亘る穢れで、彼女は瀕死の状況だった。

 膿み、異臭を放つ己の聖域。様々な嘆きや怨みが降り積もり、息も出来ない。

 そんな淀んだ空間に一迅の微風が吹き抜ける。清しい香りの青い風が。

 汚泥のような穢れに絡められていた女神の身体が、ふわりとした浮遊感を感じた。


《ああ、軽い。.....御願い、誰か..... 誰か、わたくしをここから出して.....っ!》

 

 四方から流れ込む穢れの奔流。それのひとつが途切れ、女神はすがるように風の来た方向を見上げた。


 そこには一条の光。ある魔族の国があり、オルドルーラ国と戦っている。




「悟っ! そっち行ったぞっ?」


「応さっ!」


 襲ってきた魔族と対峙しているのは異世界三人組。

 オルドルーラ国に迎えられた彼等は、基本的な生活習慣や魔法、武術を学び、周辺国を守っている。

 眼を様から頂いた加護は破格で、三人はチート級と呼ぶに相応しい力を持っていたのだ。

 さらりと上部をなぞって勉強しただけで十分戦えた。


 だが、全てとはいかない。


 馬術も学び、白磁の丘と呼ばれる白骨で埋め尽くされた境界線を馬で巡回して、目についた魔族どもと鎬を削る日々。

 竹中恒は魔術の加護を持っている。索敵範囲はほぼ一国を網羅し、障害物がなくば、何処までも見通せるソナーだ。

 魔族らの樹海と人間の国の境になる白磁の丘は、常に戦場であり、多くの屍の朽ちたあとが白骨として残され、障害物らしい障害物もない。

 異世界三人組はコウの索敵で魔族を見つけ撃退している。


 彼等はかれこれ数ヶ月、従者を連れて魔族狩りを行っていた。




「なーんかヌルくね?」


 コウの言葉にトールも頷く。


「だよな。魔族とやらも大抵数匹単位でしか出ないし、俺がタンカーやって、お前の魔法で簡単に撃退出来ちまうし」


 訝るように首を傾げ、トールは馬を走らせた。


「簡単に終わるなら良いじゃないですかぁ、私、まだ怖いです」


 眉を寄せて、へにょり顔のモカ。彼女は今のところ治癒と結界の魔法しか使えない。

 モカが受けた加護は《慈》これは読んで字のごとく慈愛だ。守り、育て、癒し、御祓をする。

 能力が上がれば周囲に成長の手助けや、身体強化のバフ、敵に浄化などのデバフも使えるようになるらしい。


 コウが授かったのは《慧》これには智慧や先見の明など、広く、聡く、世界を理解する事を意味した。

 こちらも文字通り、多くの魔法を習得出来る加護だ。しかし、今のところ基本的な四大魔法と周囲を探るサーチしか使えていない。

 育てば、強大な魔法が使えるようになるのは勿論、人の真贋すら看破し、物の善し悪しをも理解出来るようになると言う。


 女神様の加護を持つとはいえ、こちらの人間同様、結局は、学び精進して伸ばしていかなくてはならないらしい。

 まあ、それでも初期値が違うようで、こうして無双にも近いことが出来ている訳だが。


 この異世界デイモスの人間は、生まれた時からスキルをひとつ持つ。

 大抵は職業に向いた適性のようなスキルだ。

 木こりに向いた人物なら《握力》とか、漁師に向いていれば《遊泳》とか。けっこう何にでも応用出来そうで無難なスキルを賜る。

 そんななか、スキルの上位版として賜るのが加護だ。

 スキルは全ての人々が得るのに対し、この加護は数万人に一人という激レアである。

 各国の人口が八万から十万なことを考えると、一国に一人いるかどうかの希少性。当然、その効果も破格だった。

 十歳程度の自分達が、大人顔負けの活躍が出来るくらい。


 そんな人間が、いきなり三人も現れたのだ。オルドルーラ王国は狂喜乱舞する。

 しかも彼等は多くの知識を持ち、色々な分野を飛躍的に発展させてくれた。

 医療に清潔さを徹底することや、防壁にネズミ返し、壁に筋交い、柱に鉄骨を入れるなど、現代人なら当たり前に知ることだが、デイモスでは誰も知らない。

 そういったアレコレが浸透していき、人々は熱狂して異世界三人組を勇者と呼び丁重に扱い、今にいたる。


「まあ、俺達にやれることをやろうや」


「だな」


「うん」


 無邪気な笑みを浮かべて、馬を駈る三人。


 トールの加護は《護》これも読んで字のごとく、寄り添い守るという意味だ。あらゆる苦難や危険からの盾となり戦う者。それがトールだった。

 守るには力がいる。彼は元々武術の心得もあったため、この加護がついた。

 通常でも兵士や騎士を凌駕する強さだが、彼の本領は守護。背に守るべき何がが存在すると、その能力は飛躍的にボルテージを上げる。


 そんなこんなで異世界三人組は手探りしつつデイモスという世界を学び、馴染んでいった。


 だが、彼等は知らない。


 この大陸が実は島で、日本で言えば北海道ほどの大きさしかなく、デイモスという世界のほんの一部なのだという事を。

 そして、ここ以外の大陸や島には人間や魔族が住んでいない事を。


 こうして周りに導かれながら魔族と対峙して近辺国を守る異世界三人組。

 それに激昂した魔族達が反撃に出るまで、彼等の異世界ライフは順調に進んでいた。


 今回の大規模な襲撃で危険を感じたオルドルーラ王国は、彼等異世界人がひととこに滞在する危うさを説明して、各地を移動する生活にした方が良いと勧めてきた。

 華美に装飾した言い回しだが、中身が三十路近かったトールとコウは、話の内容から体の良い厄介払いなのだろうと看破する。

 承諾の意を示して自宅へ戻る三人。


「ねーわぁ。今まで都合良く使ってきて、こっちは死にかかったってのに」


「まぁ、分からんでもない。逸脱した力は恐れを生む。俺達の手助けより、魔族の途方もない蹂躙のが怖いんだろう」


「私達、どうなっちゃうのかなぁ?」


 ぐすぐす泣くモカの肩を叩いて、コウはトールを見た。


「だけど、あの攻撃は普通じゃ無かったぜ? あれだけ大規模な攻勢が送れるなら、なんで今まで人間達の国は滅ぼされ無かったんだろ?」


 彼等が撃退していた魔族らは、常に少人数。ただ、人間を拐うだけで、街に火をかけたりもした事はなかった。

 まあ、魔族の行動そのものが手荒いのでかなりの損害はあるのだが、建物に壊滅的な被害を受けたのは今回が初めてらしい。


 いったい何が起きたのか。理由も分からず、意気消沈する異世界三人組だった。


 だがその頃、彼等と反対側の国で、その答えを知る者がいる。




「はぁ? 結界?」


「そうよぅ。魔族の国がある辺りには、強力な結界が張られているのぅ」


 すでに茶飲み友達と化したメープルは、今日も今日とて梅の元を訪れていた。


 そして彼女は語る。樹海の現状を。


 遥か昔から海の魔物と陸の魔物で争っていた魔族は、この島の周囲を囲む海の魔物の方が強かったのだという。

 圧倒的な数の違いもあり、陸の魔物らはしだいに樹海中央へ追いやられていった。

 そしてそこに張られた結界を見つけたのだ。

 荘厳で天にも届くような見事な結界。

 その結界は不思議なことに魔族の魔力を吸収して色を変えていった。そして色の変わった部分から中に出入り出来るようになったのだとか。

 海の魔物はその結界を通れないようで、忌々しげな顔をしつつ撤退していく。

 九死に一生を得た陸の魔物は、その結界の中に其々の部族の国を作った。


「そうしてるうちに、樹海端に人間が生まれ、海との間に国を作っちゃったわけぇ。しかもどんどん増えて、今じゃ樹海をぐるりと取り囲む始末でしょぅ? まあ、別に良いんだけどぉ。塩にも使えるしぃ」


 それやめろ。


 人間を塩にとか、何度聞いても慣れない。気色悪い。


 しかし、ふと梅は首を傾げる。


「人間を塩にしてるのは分かったけど、じゃあ、人間が生まれるまではどうしてたの?」


 疑問顔な梅に、メープルはしれっと答えた。


「別に生き物なら何だって良いのよぉ。その辺の動物や魔族でもねぇ。ほんとは海で塩分を抽出するのが一番楽なんだけど、時間がかかるから海の魔族に気づかれて邪魔されちゃうのぅ」


 それに抗おうとすれば大規模な戦闘になる。人間らの国が邪魔なのだという。


「わたくし達、陸の魔族はぁ。人間を可愛がっているのよぅ? 出来たら国を壊したりしたくない程度にはねぇ」


 棲む世界の違う海の魔族は、人間をそのへんの野生動物くらいにしか思っていないのだとか。

 だが陸の魔族は人間を便利な家畜扱いし、塩を筆頭に食糧、素材などにも使い、中には労働奴隷や愛玩奴隷などにする魔族もいるらしい。


 思わずドン引く梅。


「でも、人間って結界の中じゃ増えないのよぅ。だから狩ってくるしかなくてぇ」


 ふぅっと溜め息をつく王女様。


 いや、まあ、そんな事だろうとは思ってたけどさ。うん。でなきゃ生きたまま拐っていく理由はないしね。


 聞けば魔族は、基本、樹海の中の恵みで暮らしている。野生動物や魔物、数多の植物による多くの恵み。

 だがある時、一部の魔族が生き物を塩に変える秘術を見つけた。これで遥か遠方の海まで危険をおかして塩の採集に行かずに済むと喜んだ魔族らだが、如何せん、その生き物の体積が塩の重量となる。

 この秘術は、生きていないと塩には変化しない。

 大型の魔物や動物を生きたまま捕らえるのは至難の技だ。運ぶのにも苦労する。

 そして彼等は思い出した。塩の採集に出かけるたびに見ていた多くの人間達を。

 その頃はまだ、陸の魔族らも人間を野生動物的にしか思っていなかったらしい。


 簡単に捕まえられる大きな獲物。


 ここから人間vs樹海の戦いが火蓋を切ったのだ。


 まあ、一方的な蹂躙なので戦いと呼べるものではないが、人間側にしたら死に物狂いの抵抗である。

 そうこうして長年人間を拉致し続けていた魔族らは、その有効活用をし、今に至るというわけだった。


「人間の子供とか、高く売れるのよぅ? 大人になるまで可愛がって、あとは美味しくいただけるし、一石二鳥よね♪」


 あー..... まあ、そうなるよね。人間だって似たようなこと家畜にしてるし。


 この認識が擦り合わされる日は来るのだろうか。


 塩の問題が解決しても、長年培ってきた、人間=家畜の図式を覆すのは難しかろうと、一人ごちる梅だった。

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