第8話 ちょっと話がおかし過ぎる
「スプレーは三本しかないのっ! 十メートルの等間隔で噴射してっ!」
梅はサミュエルと他一人にスプレー&ゴーグルを渡す。娘らと別荘でサバゲーをやっていた時の思い出の品。
ちなみに旦那は森を駆け回る似た者母娘を、テラスから温かく見守っていた。
「とにかく、奴らが降りてきたら噴射してっ! それで行動不能に出来るみたいだし、出が悪くなったらアタシに渡してねっ!」
梅のチートインベントリならば、収納するだけで中身の補充が可能だ。だが、如何せん本数がない。
街の人々を少数の兵士に任せて近くの街へ避難させつつ、伯爵らや残った兵士達はスプレーを持つ者を中心に鶴翼体勢を取る。
最初は横一列だったのだが、梅の采配で、何処からでも応援出来る陣形が良いと変更したのだ。
魔族は何故か正面突破のような攻撃しかしてこない。ならば戦場を誘導出来る。
「ここに敵がくれば、左右の駆けつける速さが肝になるでしょ? だから、左右は斜め前に展開しとけば足が速いじゃない」
地面にガリガリと図を描かれ、伯爵やサミュエルは眼を見張った。たしかにその通りだと。
「これは、お前が考えたのか?」
「んにゃ、アタシの世界で昔からある戦い方。こういった臨機応変に形を変えて相手に対峙する教科書みたいのがあるん。アタシはそれをチラ見したことがあるだけ」
漫画や小説でもよく見たしね。何でも読んでおくもんだよね。
にっと悪戯げな笑みを浮かべる梅を、絶句して見つめる周囲の人々。
「スプレーとゴーグルは三つしかない。ヘルメットも。だから、他の人らは距離を取ってね、万一にも眼に入ったり吸い込んだら、即効うちの井戸で洗ってきて。で、治癒師にかかってね」
やる気満々な梅は桜を家のクーハンで寝かせ、ざんっと陣形の真ん前に立つ。
それを見て、伯爵がスプレーを取り上げようと手を伸ばした。
「待てっ、お前じゃなく俺が立つっ! お前も桜と逃げろっ!」
伸ばされた手をひょいひょいと避けながら、梅は溜め息をつく。
「だからさぁ、父ちゃんは最後まで見てなきゃいけないのっ! 他が倒されてもね。責任取る人が必要でしょーが」
それに皆、スプレーに慣れていない。急所を見定めて振りかけられるのは梅しかいないのだ。
そう説明し、苦虫を噛み潰す伯爵を下がらせた梅。
「ダイジョブよ。アタシだって、この街や国と命運を共にする気はないから。ヤバいと思ったらスタコラ逃げ出すさぁ♪」
満面の笑みで見捨てる宣言。
呆気に取られた周囲だが、清々しいまでのソレに思わず失笑が零れる。
笑い事じゃないのだが、そのせいで緊張が解れたのだろう。良い具合に兵士らの肩から力が抜けた。
迫り来る魔族の大群を見上げ、薄い笑みすら浮かべて得物を構える仲間達。
.....計算した訳でもなかろうが。いや、計算してたのか?
みるみる大きくなる影にも臆することなく立つ兵士達を、伯爵は感嘆の眼差しで見渡した。
梅の指示どおり、背後に並ぶ魔術師や治癒師。怪我人が出たらすぐに魔法で支援し、下がらせ、治癒師に癒させる。その時間を稼ぐため、兵士らは五列横隊で陣を構成していた。
「全てが突撃したらメチャクチャになるでしょうが。混戦状態で味方に配慮しながら戦わなきゃならない。自ら難易度上げて、どーするんよ」
魔族の戦い方が単調なのに気づいた梅は、戦場を作り、前には敵だけの状態にして戦う形を説明する。そして傷ついた仲間を救出する専門兵の話をした。
「治癒師が戦場を走り回ってたら効率悪いよ。陣の後方に治療専門のスペース作って、負傷者を担ぎ込めば治癒師の体力も温存出来るじゃん」
そのために戦場を把握して負傷者を救出する兵士が必要なのだと梅は力説した。
「.....試してみるか」
この世界デイモスでは、生まれた時から人類vs魔族の戦いしか存在しない。圧倒的な力を持つ敵なのだ。いつも戦局は悪く、常に一方的。
然したる脅威でもない人間相手に、魔族らは搦め手など使わない。正面突破だけで十分なのだと思っている。
その侮りが今回の事態を招いた。
まさか、戦略戦術を知り、近代文明の恩恵を持つ異世界人がいるなど夢にも考えておるまい。
あっさりと返り討ちにあった魔族達は、地上で陣形を作って待ち受ける人間達を忌々しげに見下ろした。
「メープル様? 一気に魔法で焼いてしまいましょうか?」
先程のツインテール少女の横に浮かぶ男性が不均等に口角を歪める。
その残忍な笑みを一瞥して、メープルと呼ばれた少女は剣呑に呟いた。
「それは、普通に戦ったら、わたくしが負けると言いたいのかしらぁ? トゥーラゥ」
底冷えする声音で呟かれ、トゥーラゥと言うらしい男がギクリと肩を揺らす。
「魔法を使わずに倒せた人間の数だけ魔石を褒美に与えると言ったのは、わたくしですものぉ。.....わたくしが手本を見せるわぁ」
そういうと、少女は梅が張る陣の正面に舞い降りた。
「メープル様っ?!」
ざわめき降りようとする魔族らを視線で黙らせ、彼女は優美に微笑み人々へ挨拶する。
「初めまして。そして、さようなら♪」
物の数にも入らない脆弱な人間達。それを蹂躙するだけの簡単な御仕事だ。そうとしか考えぬ魔族の少女は、にっこり笑う。
しかし魔族慣れしたメンフィスの兵士達は怯まない。
子供や老人の形をしようが魔族は魔族である。残忍で狡猾。無慈悲で傲慢。
キッと相手を見据え、サミュエル達はスプレーを噴射した。それ侮り、平然と受け止めようとしたメープルの周囲へ、一斉に魔族が降り立つ。
先ほど倒された仲間の様子から、あの煙が酷く危険なモノだと判断したからだ。
「メープル様っ!」
そしてそれは正しかった。赤い噴霧から少女を守り、瀕死の咆哮を上げる魔族達。
微かに漂う霧に眉をひそめたメープルだが、次の瞬間、あまりの刺激臭に眼を見開く。
「.....なっ、なんですの、これぇぇっ?!」
少ししか吸い込んでいないにも関わらず、鼻も喉も焼けるように痛い。眼も涙が止まらず、腫れて狭まった気管が悲鳴を上げていた。
痛い、痛い、痛いぃぃっ!!
声も出せないまま必死に周りを見ると、夥しい数の魔族が倒れて暴れ回っている。あまりの激痛に泡を噴き、痙攣している者もいた。
微かな残り香でもメープルには耐え難い痛みなのに、直撃を食らったものは如何ばかりな事か。
ぞっと血の気を下げて、フラフラと立ち眩む魔族の少女。その少女の前に誰かが立った。
無意識に顔を上げたメープルの眼に映ったのは、スプレーを構えた梅。
「まだ動けるのね。もっかい吸っとく?」
止まらない涙でボヤける眼を凍らせ、メープルは声のない絶叫を上げた。
「.....ん? あいつら動かない?」
屍化した魔族らを縛り上げつつ上空に残る敵を見ていた梅は、メープルも鎖に繋ぐ。魔族は魔法が使えるので通常の枷では捕らえておけないらしい。
なので特製の枷が要る。それが、魔力で練った銀製の枷である。
なんでも人間と魔族の魔力は質が違うのだとか。人体に作用する効果は同じなのだが、魔族の魔力が外から内へと破壊する力なのに対し、人間の魔力は内から外へと放出するタイプ。
同じ攻撃魔法ひとつとっても、魔族のは外から燃やすのに、人間のは内へと染み入り溶かすのだとか。つまり、収束した魔法が体内に吸い込まれ、中からボンっ!
.....人間の魔法のが、えげつなくね?
そのせいかは分からないが、魔族は治癒の魔法が使えない。人間の魔法は無機物に対して効果がない。
何がどうして、そんなに系統が違うのか分からないが、そのようになっているのだとか。
まあ、異世界七不思議ってとこか。地球とは違う理があるのだろう。
そんな益体もない事を考えていた梅達が空を見上げると、残っていた魔族らが話し合いらしき事をしており、何度かこちらをチラ見したあと、すっと一人が地上に降りてきた。
男性らしい魔族は、橙色の縦長な瞳孔を物憂げに伏せて、ゆっくりと頭を下げる。
「誠に遺憾だが..... 謝ろう。許せ」
「はっ?」
首を斜にしてやぶ睨みする梅。
その態度を不思議そうに見つめ、男性は再び頭を下げた。
「人間はこうすると許してもらえるのだろう? 違うのか?」
「はああぁぁっ?!」
梅の声のトーンが高くなる。ぴゃっと怯える魔族の男性。
「あんたら、この街の人間を殺しに来たんだよねっ?! 戦争仕掛けてきたんだよねっ?!」
全身を震わせて叫ぶ梅に、魔族の男性はコクコクと頷く。
「そうだ。いつもの事だろう? 人間は我等の家畜なのだし」
「ふざけんなぁぁぁーっ!!」
ぶしゅうぅぅっとスプレーを噴射され、まともに食らった男性が失神したのは言うまでもない。
「.....んで? なんでいきなり総攻撃みたいに襲ってきたのさ」
そう。今までも小さくはないが、小競り合い的な争いしかなかった。今回は規模が違う。一体、何が起きたのか。
治癒師に癒され、尋問を受ける魔族の少女と男性。ちんまりと床に座らされ、二人はチラチラ視線を交わしていた。
「.....足りなくなってしまったのよ。塩が」
「は?」
すっとんきょうな顔で眼を丸くする梅らを苦々しく見上げ、魔族の少女は名前をメープルだと名乗り、事の起こりを説明する。
ようは、人間を拐っていた理由は塩を得るためだったらしい。ある秘術を使い、生きたまま塩の塊にしてしまうと言うのだ。それは生きているモノにしか使えない秘術なんだとか。
「えぐ.....ぅ、それで塩に変換するために、人間を拐っていたと?」
「そうよぅ、だから魔族は人間を滅ぼす訳にはいかないわ。手心加えて攻撃してたのよぅ」
ぷりぷりと口を尖らせてブスくれる少女。
まあ、言われてみれば納得だ。これだけ歴然とした戦力の差があって、人類が滅ぼされていないのが良い証拠だろう。
「んじゃ、今回はなんで?」
彼等はむやみやたらに人を襲わなかったが、今回は街の兵士らを壊滅させるような攻撃をしてきた。
しばしうつむき、メープルは喉を振り絞るように囁いた。
「勇者よぅ。半年ぐらい前から、こちらと反対の海岸の国に女神が寄越した勇者が現れたのよぅ」
「勇者.....?」
「あんたくらいの歳三人組だわぁ。そいつらが人間らを守るようになって、ここと反対側の人間を拐えなくなったのよぅ」
三人?
はっと梅は顔を上げ、サミュエルを振り返った。彼も小さく頷く。
女神が梅達より先に送った若者らだ。ここと反対の国に送られてたのか。
いや、アタシらが反対に飛ばされたんだな。ここの教会に神託来てなかったものね。それで塩の供給が保たれなくなったってことか。
人間を塩に変えると言うおぞましさはともかく、彼等にも切羽詰まった理由があったのだろう。
聞けば、海から塩を得るには海の魔族らと戦い、奪う他なく、取り敢えず間に合わせに人間を放牧して、育ったら拐うを繰り返していたが、塩に出来ないなら人間を飼ういわれはない。
だから、海の魔族と戦うのに邪魔な人間の国の一部を滅ぼし更地を作ろうと決めたらしい。
「.....なんか、魔族って短絡的やな。極端から極端に走りすぎてないかや?」
「あらぁ。だって、人間なんて放っておけば勝手に増えるじゃない? 鬱陶しい兵士達だけを間引いちゃえば、どうとでもなると思ってぇ」
あっけらかんと言い放つツインテール。
それに思わず苦虫を潰し、梅はメープルの枷を外した。
「梅っ?!」
驚く伯爵とサミュエルを制し、梅は、にかっと笑って見せる。
「ダイジョブ、これあるし♪」
梅の手には見慣れたスプレー缶。視界に入った極悪な代物を見て、雄叫びを上げる魔族の二人だった。
「だからさぁ、邪魔だったしぃ。少し間引くぐらい良いでしょう?」
テーブルを挟んで座り、紅茶を口にする少女二人。
「だぁめだよぅ。塩が欲しいなら言えば良いのに。上げるよ? なんぼでも」
「え?」
きょん? とするメープルが、この後、梅のインベントリの塩に狂喜乱舞するのは御約束である。
梅は何度もインベントリに塩の袋を往復させ、麻袋に移しかえた。そして小山になった塩に歓喜し、メープル達は御機嫌で引き揚げていく。
それを胡乱げな眼差しで見送り、国防を茶飲み話で終わらせた少女を誰もが刮目して見つめた。
反対に壊滅状態まで追い込まれたオルドルーラ国の街、ルドラ。
勇者らに怨みを持つ魔族らによって、この街だけは念入りに炙られていた。
それを知らない梅は、今日も暢気に畑仕事に精を出す。
後日、今回の事が原因で、王宮に召喚されることも、今の彼女は知らない。
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