遍歴と忘却の旅

 儂はですな、これでも昔は立派な足が2本あったのですわい。それはとても立派な足でしてな、丁度貴方様のその足よりも立派なもんじゃった。こう両の足で立つ感覚というのは久しく感じておらんけれども、かの時はそれはもう感じるなんて言葉が存在しておらんようじゃったなぁ。今ではほれ、もう一つ足になってしもうたが、これももう仕様がないことで、無いものは無いというのがこの世の真理ですな。

 そうそう、儂は何者か、ということでしたな。その前にはなぜ片足がなくなってしもうたのか、まずはそれを話さねばなりませぬ、まぁこれも貴方様にとって知りたいことでありましょう。


 儂はですな、昔はワルじゃったのです。それこそ邪智暴虐の限りを尽くす悪者でしてな、外では暴徒家では暴君といったようで、犯罪も犯してしまい、禁忌も犯してしまって、もうどうしようもないクズじゃったのですな。勿論人を殺めるなんてことも、もう話したくもないことじゃが、あるです。今ではそれを悔やんでおります、儂はここに来て悟ったのです、「私は間違っていた」と。片足はその代償なのです。


 ある日のことです。私が金を切らした頃のことです。その頃は当然のように職には付かず、浮浪の身で、親の脛をかじり、寝食は当時恋仲であった女性のもとであったり、これは良くないことではありますが、浮気相手の元だったりと転々としており、時には、他人から暴力で奪うこともありました。私は腕っぷしがそこそこ強かったのです。しかし金は使えば消える、その日は金を切らした日でしたのです。

 当然金のなくなった私が考えることというのは誰かから奪うということなのでさっそく私は街へ出て品定めをしておりました。街には色んな人がおります。私のように不道徳な者、止む終えず浮浪の身に落ちていったもの、襤褸ぼろ布を体に纏うもの、それから子どもと手を繋いで歩く婦人に、買い物に出ているであろう若者、鬼ごっこをしている子ども達、私はそんな者共を内心嘲りながら、誰から金を奪ってやろうか思案しておりました。


 そうしてふらふらと放浪しておりますと、なんとも金を持っていそうな、それでいて警戒心の薄そうな異邦人がいたのです。きっとこの国のものではあるまい、ましてやこの地域のものなんてことは以ての外だ。私はそう思いました。そして少しずつ歩を早め彼にゆっくりとそれも確実に近づきました。

 さて、この異邦人は初めてみるような料理に舌鼓を打っており、こちらの様子どころか周りすら見えていない様子。私は早まる鼓動を抑えながら、それでも念密さが必要でもある、と言い聞かせ物陰から彼のことを見ていました。そうです。私は豪胆でありながらも繊細な一面を持ち合わせている男だったのです。外では暴徒というのも結局は内弁慶に内包されていただけなのでごさいます。しかし、世の中というものはきっとそうなのでございましょう。全くの外部に対しては強く出るのではなく、いない事にする。そういうものなのです。


 そうして異邦人が食事を終わらせるのを私はまるで蛇のようにじっと待ちました。そして彼が食事処から出てきたところを蛇のように襲いかかってやろうと、そう思ったのです。私はじっと待ちました。そうじっと。そうして異邦人は店から出てくるのです。

 私は物陰から飛び出し異邦人の前に立ちました。意を決してというわけでもなく、これはただの狩りだったのです。生きるために必要な。私にとっては。


 「おい、金持ってんだろ??」私は開口一番異邦人に向かってそう言いました。異邦人は何か見知らぬ言葉で私に言葉を投げかけておられました。いや私が聞きたくなかっただけかもしれません。何れにせよその記憶というのは砂上の楼閣のように私にとっては必要のないものだったのでしょう。

 そして、私は鼻を拭い、その手で彼の頬を一発殴ったのです。そしてもう一度「金持ってんだろ?」と異邦人に向かって言いました。

 私はこのとき「なぜ周りにはこんなに困窮者達がいるのに、この眼の前の男はこんなに潤沢な生活をしているのか、これはおかしいことだ。よし、私がこいつから金を巻き上げて世の中をうまく整えてやろう」と愚かながらに本気でそう思いました。私はこの方のことは何も知らなかったのにも関わらず、天井の神様がそう世の中を設計したのにも関わらずです。私は自分が神であるかのように有頂天になっておりました。

 そして私は禁忌を侵すことになるのです。有頂天になった私はもはや理性というものを失っていたのでしょう。鞄をまさぐり、金を掴んで私に差し出そうとしたこの異邦人の首元を鷲が獲物を掴むようにガッと掴むとそのままその異邦人を殺めてしまったのです。そしてあろうことか私はこの世をあだなす怪物を成敗してやったと吹聴ふいちょうしてしまったのです。勿論金は自分のものにして。

 あとから聞くところによるとその異邦人は外国の重役だそうで、それも1代でその地位まで上り詰めた努力と才能あふれるお方だったそうなのです。私とは正反対で、この国を訪れたのも観光だけではなく友好的な講話のためとも言います。この異邦人は正義の者、神に使える天使だったのです。そんな彼を私はこの手で、この悪魔の手で無惨な御姿に変えてしまったのです。これは禁忌以外の何物でありましょうか。

 そして私は愚かにも彼からむしり取った金を一晩で使い果たし、また同じような愚行に挑もうとしたとき、神からの鉄槌を下され、落ちてきた看板にこの左足を潰されたというわけなのです。


 その後はご察しの通り、私は警察に捕まり、死刑となりました。その頃の私というのは片足が潰れたことにより、私の肝っ玉というのも潰されており、すっかり銷沈しょうちんしてしまい、裁判でも殆ど何も言葉を発せず、多くの者が驚いていたとも言います。


これが私が片足しかない理由なのでございます―


ここまでで儂が何者か、貴方様にもお分かりになられたでしょう。そうじゃ、儂はもう死んでおるのじゃよ。

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羊の森にて 犬歯 @unizonb

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