第十八話 殺しの覚悟

「ねえクリフ。そう言えば、アタシの家の事は何も話して無かったわよね」


 出発してから、二日目の夜。


 焚火から少し離れたところで本を読みながら、マージェリーが問いかけた。


「……そうだな。まだ聞いていない」


 焚火に新たな薪をくべながら、クリフが答える。


 彼女の目的や実力については知っていたが、彼女の過去については驚くほど知らないことが多いということに彼は気付いた。


「アタシの家はミケルセン家。四代続く魔術師の家系よ。魔術師としてはまだ歴史が浅いから、本職は銀行業みたいなもんだけどね」


「それは知っている。ミケルセン家からは大公領も融資を受けているからな」


「……アタシが兄弟姉妹の中で何番目か知ってる?」


「三女……いや次女か?」


「惜しい、アタシは四女。男女合わせて九番目の末娘よ。妹や姉さま達に魔術の素養は無かった。四女の私だけが……五人の兄さまよりも私はずっとずっと、素養に恵まれていた」


 ――なるほど、一番末の、それも娘がね……。


 顎をさすりながら、クリフが暫し黙考する。


 原則として、魔術師に男女の差は無い。重要なのは身体に宿る魔術回路の質と、どれだけ魔術の蘊奥うんおうを究められるかという才覚だけである。回路が宿りやすいという点では、些かばかり女性の方に軍配が上がる程度の差異は生じるがその程度である。


 だが、魔術師としての才覚を、出自や性別という色眼鏡なしに諸人が見られるかは別の話である。


「銀行業を継ぐことはできるでしょうけど、ミケルセン家の本懐たる『時の魔法』には至れない……。私が家督を継ぐと知った時、他の兄さま達が私に何をしたと思う?」


「…………」


 はん、とつまらなさそうに、ノエルが鼻を鳴らしてみせる。


「答えるまでもあるまい。邪魔な者なら蹴とばすまでじゃ。古今東西、家督の争いは暗殺と決まっておる」


「そ。初めて夕餉ゆうげに毒を盛られたのは七つの時。初めて殺し屋を向けられたのは十の時。十一の時には別荘ごと吹き飛ばされかけたわ」


「かかっ、ただの小娘にしては些か賑々にぎにぎしい幼少期じゃの。して、ぬしは何故今まで生き残ってきたのじゃ?」


「…………」


 目を伏せて、マージェリーが再びページをめくる。


「今、ミケルセン家に男子はいないわ。一人残らずアタシの命を狙い、一人残らず返り討ちに


「……、だと?」


「アンタ、子どものアタシが大の男を返り討ちにできるように見える訳? アタシは何もしてないわよ、殺ったのは――」


 ぱたん、と音を立てて、マージェリーが本を閉じた。


 一瞬だけ、空白の間が空く。


「フリーデ・カレンベルク。五人の兄さま、雇われた暗殺者や魔術師……その全てを殺したのは彼女よ」


「な――」


「フリーデはアタシの護衛として、お父様が魔女狩り部隊イノケンティウスから引き抜いたの。アタシが出奔したあの日まで、彼女は確かに、アタシのことを守り抜いてくれたわ」


「自分の護衛を務めた女と……戦うというのか……?」


「……かかか、かかかかかっ! では何か? ぬしはかつての家臣と、かつての同胞とという訳か! 蟲どもの共食いとは、いやいやゲテモノもまた一興よのぅ!」


 げらげらと声を上げながら、ノエルが腹を抱えて笑い転げる。


 随分と愉しそうに笑うノエルとは対照的に、クリフの顔は今まで見た事がないほどに張り詰めていた。


「…………笑うな、ノエル」


「かかかかっ! わ、わ、笑うなという方が無理じゃろうて! かかっ!」


「いいから笑うな! 黙っていろ!」


 大きく声を張り上げて、クリフが怒鳴る。その剣幕に気圧されて、ノエルとマージェリーが口を噤んだ。


 荒く息を吐き、歯を食いしばりながら、クリフが立ち上がってマージェリーを睨んだ。怒りや憤りが、彼女の中へと伝わって来る。


「……覚悟は、できているのか」


「クリフ……」


「お前は、フリーデと、刃を交える覚悟ができているのか!」


 触れるのは初めてではない筈の、クリフの激情。しかしその激しさは今までに感じたことの無い熱さでもってマージェリーを打ち据えた。


 僅かに、ほんの刹那、マージェリーが言葉に詰まる。


 即答できないこと。それが答えの全てであると、クリフには伝わった。


「で、出来ているに決まっているじゃないの! アタシはユークリッドを殺すために出奔したのよ!? その為なら、親だって、姉妹だって、フリーデだって……!」


 ぶるぶると身体を震わせながら、マージェリーが唇を噛み締める。ぎゅっと握りしめた拳からは、僅かに血が滲んでいた。


「殺せる、筈なんだから……!」


「……甘いのぅ。この前食べた林檎よりもずっとずっと甘いわい。殺せる覚悟じゃと?」


 姿勢を直してマージェリーの方を見遣り、ノエルが微笑む。


「覚悟だ何だと言うておる場合か。。相手がこちらを滅する為に動くならば、こちらも綺麗さっぱり滅ぼす為に動くしかないのじゃ。夷敵いてきであろうと親族であろうと、戦いの本質はこっきり一つ。、それだけよ」


 まるで射る様な、呪う様なノエルの視線に、マージェリーがたじろぐ。


 知識としては理解している筈だった。ユークリッドを殺すことも、エヴァを殺すことも、フリーデを殺すことも、本来同じ筈だと、彼女は分かっているだった。


 静かにマージェリー・ミケルセンを指さしながら、ノエルが続ける。


「マージェリー・ミケルセン。ぬしは未だ未通女おぼこなのじゃ。

 フリーデに、クリフに、妾に、その責を負うて貰っておったぬしは、未だ闘争の本質に辿り着いておらんのじゃ。

 クリフも一々甘やかすでない。そこな小娘は太陽の聖女ではないし、フリーデはぬしではない。そこを履き違えるでないわ」


「何だと……!?」


 牙を剥いていきり立つクリフを、マージェリーが片手で制する。


 彼女は、黙ってノエルの方を真っすぐ見つめていた。両の拳に血を滲ませながら、僅かに身体を震わせて、ノエルの言葉を受け止めようとしている。


「マージェリー……」


 もはや、今のクリフが掛けるべき言葉など何もない。


 それを理解して、彼はその場に座り込んだ。……依然としてその顔には、受け入れがたい憤りが満ちていたが。


「おい、小娘」


 ノエルがマージェリーを見つめながら、くるくると指先を動かす。


「幼い頃から命を守り、常に傍におったフリーデは、なるほどぬしにとって親も同然じゃろう」


「……ええ」


「良い。実に丁度良い。いやはや、運命とは数奇極まりないの」


 にやりと、ノエルが歪んだ笑みを浮かべる。反対にクリフの表情は、憤りから少し悲しみを帯びたものへと変化しつつあった。


 血に塗れた人生を送ってきたクリフには、ノエルが次に何を言うのかが初めから理解できていた。マージェリー本人も今に限っては……何を言われるのか分かっている。


「小娘、親殺しは巣立ちのじゃ。この戦、何としても単身でフリーデを討ち取れ」


 愉しそうに、歌うように。けれど巫山戯ふざけた様子は一切見せずに……ノエルはマージェリーにそう命じた。



そして、三日目。約束の日はやって来る。

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