第十七話 戦の支度②

「そうだ、マージェリー。お前にはこれを渡しておく」


 クリフが腰から一本の短剣を取り出して、マージェリーの方へと寄越す。


 流麗な装飾を施した、銀色に光るそれに、彼女は見覚えがあった。


「これは……スキールニルね。どこでこれを?」


「あの町だ。武器以外は燃やしたと言っただろう、丸腰よりは役に立つ」


「……よく、さっき殺した相手の武器使おうなんて発想が出て来るわね」


 げんなりとした顔で、マージェリーが呟く。


 死体漁りスカベンジは下衆の中の下衆が行う行為と、マージェリーは聞かされて育った。


 魔術師同士の戦いでも、無論むくろが出ることはある。ただしそこで遺された装備や符などは拾わないことになっている。何の呪いや術式がかかっているか知れないものを、おちおち拾う訳にはいかない。


 それは決闘と戦争という、一見似通っていながら大きく性質をことにする闘争への意識の違いなのだが、彼女がそれを知る筈はない。


「戦場で貰えるものは病気以外何でも貰っておけ。大公領では常識だ」


「アンタの常識は世間の非常識よ、戦闘民族」


「……じゃあ、その戦闘民族が少し手ほどきしてやろう。指の傷を治せ」


「これは当てつけよ。本当はとっくに治ってるわ」


「……そうか」


 マージェリーが包帯を剥がすと、そこには初めから何も無いように、指の傷が塞がっていた。クリフが見た時には、幾筋もの切創があった筈なのだが。


「俺にも色々思う所があるだろう。ありたけぶつけてみろ」


「あら、言うじゃない」


「死なない自信があるから言っているんだ」


 ほうと息をついて、クリフが立ち上がる。それに倣う様にして、マージェリーも立ち上がった。先程まで見張っていた銅製の鍋には、切った林檎が砂糖と共に煮えている。その様子をノエルが目を輝かせて見つめていた。


「ノエル。後は煮詰めるだけだから見ておいてくれ。少し離れる」


「うむ、見ておれば良いのじゃな。行ってよいぞ」


「よし、じゃあ少し場所を移すぞ」


 クリフが長剣を担ぎ、短剣を差す。マージェリーも両手に手袋を填め、臨戦態勢を取る。マージェリーが先頭となり、二人は歩き始めた。


 林の中を少し進み、やや開けた場所へと出たところで彼女の足は止まる。十歩ほど距離を置いて、クリフも立ち止まった。


 森閑とした広場に、一人の剣士と一人の魔術師が対峙する。


「抜いてみろ。魔力を通して、口上を述べるんだ。それでスキールニルは


「…………」


 ベルトに差したスキールニルをマージェリーが抜き、ゆっくりと刀身に魔力を流し込む。銀で出来ている為か業物である為か、不思議なほどすんなりと魔力は通った。


「『宵の明星、明けの流星――」


 目を閉じて集中しながら、一音一音確かめる様に口上を述べる。


 マージェリーの謡う声に合わせて、刀身が青く明滅した。


「瞬き流れて陽を招け』、【スキールニル】!」


 一帯を爆発的に広がった魔力の渦が包み込み、スキールニルは双剣の形となった。


 ぐん、と濁流の中へと引っ張られる様に、マージェリーの体内へと何かが雪崩れ込んでくる。次々に誰かの姿やどこかの風景がフラッシュバックし、ぐるぐると駆け巡る。


「え、何これ……誰? 何?」


「それは使徒の記憶。正確には記憶らしきものを模倣コピーした情報だ。ゆっくりと息を吸え」


「…………」


 クリフの言葉に倣って、マージェリーがゆっくりと息を吸う。


 呼吸が整うにつれ、思考は次第に明瞭となっていく。頭に絶えずフラッシュバックしていた映像は次第に整理されて纏まり、雑音は静かになっていく。


 雑音の全てが消えた時、マージェリーの視界には一本の青い光の道が見えた。


「視界に、何か見えるわ」


「それが使徒のこれから辿る「道」だ。もう一度刀身に魔力を流せば、その道を辿ってスキールニルは自動的に攻撃する。試しにやってみろ」


 クリフが短剣を抜き、ゆらりと構える。


 身体には余分な力は見られない。半身に構え、じっとマージェリーの方を見つめている。


「大丈夫だ。加減はしてやるから、遠慮せず突っ込め」


「……ケガしても知らないわよ!」


 刀身に青い魔力を流し込むと、彼女の身体は自動的に動き始めた。


 最初の一歩目を踏み、次いで最高速で駆け出す。意識して出せる速度をとうに超えた疾駆に、マージェリーの身体が引っ張られる。


 閃光の様な切っ先が、クリフへと迫る。


 しかしクリフの動きは穏やかに、短剣の先をスキールニルの側面に当てて弾き飛ばした。勢いをそのままに、マージェリーがつんのめる。


「きゃああっ!」


 勢い余って、マージェリーが転ぶ。


 ざりざりと音を立てて、転んだ彼女の身体は地を這った。


「いったぁ……」


「まずは一本だ」


 起き上がろうとしたマージェリーの喉元に、クリフの短剣が突き付けられる。

 不意にやってきた命の危機に、マージェリーがごくりと生唾を呑んだ。


「ぼうっとすると命取りになるぞ。武器に引っ張られないよう、意識は張り詰めろ」


「くっ――!」


 マージェリーがもう一度スキールニルに魔力を流し込み、立ち上がる。擦りむいた膝や手が、立ちどころに治癒していくのがクリフに見えた。


 ――治癒術式? いいや毛色が少し違うな……。


 再びマージェリーが、クリフの方へと疾走を開始する。クリフはただ柳の如く構えて、こちらの間合いへ入るのを待つばかりである。


「馬鹿正直に突っ込むな! この武器は自動的に戦えるが、自動的だからこそ後で修正が効かない! もっと工夫しろ!」


「分かってるわよンなこと! 舐めんな!」


 マージェリーの辺りを、光の粒子が舞い始める。清澄な、凛とした気配が、マージェリーの切っ先から伝わる。


 気配は、彼女の身体からだけではない。この場の全てが、林の全てが、マージェリーに共鳴していた。今やクリフは、彼女の体内にあるに等しい。


「……なるほど、妖精種エルフの末裔……自然マナ嬰児みどりごの力か!」


「――。――――。――――。――――――」


 彼女の口から、金属質な高い音が四つ立て続けに鳴る。


 殆ど同時に、彼女の周囲に魔法陣が三つ描かれ……彼女の上半身ほどもある大きな火球が三つ出現した。


 火球は素早く、無軌道に動き回り、しかしクリフを目指して接近していく。


 ――徘徊する火球、ウィル・オ・ウィスプか。


 肘を挙げてややコンパクトに構え直し、クリフが火球を避けながらマージェリーの特攻を待つ。


 短剣や小太刀と言った間合いの狭い武器では、先手を取って必殺とすることは難しい。故に手札は返し手だけとなる。後の先を読んで必殺とする為には、洞察力と忍耐強さ、そして運で相手に勝る必要がある。


 とはいえ、注視すべき対象が近距離に四つもある状態では、万全に捌くことはできない。じりじりとクリフの足は後退し始めていた。


 ――無軌道……いいや違う、この動きは見た事がある。


 一歩、二歩、さらにもう一歩。


 五歩目を踏んだその時、クリフの足元で魔法陣が素早く展開された。


「む――」


「かかったわね」


 マージェリーが、にやりと笑う。


 魔法陣を中心として地面が爆発し、反射的にクリフが前方へと飛ぶ。……否、背後と側面に火球を配置した今、クリフは前方へと


 最適に洗練された戦士の直感。状況把握能力。


 彼女の狙いは、そこにあった。


「そこっ!」


 体勢は低く、刃は喉元を狙い、マージェリーがスキールニルを突き込む。


「ええい、仕方が無い……!」


 クリフの足元から背面へと、紅い魔力が立ち上る。


 短剣を振ろうとした彼の目に、ひときわ強い青の輝きが映った。


「――――――」


 マージェリーの目が、ちらりと瞬く。


 未来視。直後に起こる、最も確率の高い未来を映す鏡。そこには確かに、彼女の突きが外れる未来が映っている。


 このままではクリフに躱されてしまう。彼の後ろに配置した火球を喰らう可能性もある。ただしその時は、側面から迫る火球が彼を焼くだろう。


 決死の一撃が、クリフの喉元へと迫る。


「一本取ったわよ、クリフ!」


「くそっ……!」


 クリフの立っていた周囲一帯を、火球の爆発が呑み込んだ。


 轟音と振動、そして立ち込めた煙が辺りを包み込み――辺りは先程までの戦いが嘘の様に静かになった。


 やがて煙が晴れ、二人の姿が徐々に晴れていく。


「ふぅーー……」


「……嘘」


 仰向けに転がされたマージェリーに馬乗りになりながら、クリフはその喉元に短剣を突き付けていた。


 クリフにもマージェリーにも、これといった外傷は無い。必中必殺と思われた彼女の一撃も魔術も外れたということを、状況の全てが物語っていた。


「……悪い。思ったよりもから、少し加減し損ねた」


「どうして今、火球が逸れたの?」


 彼女の目の前で、放った三つの火球は突如としてあべこべな方向へと逸れ、何も巻き込むことなく爆発した。火球を当てる餌とした喉元への一撃は呆気なくいなされて、まるで石ころの様にクリフに投げ飛ばされた。


 彼女が先刻体験したのは、それが全てである。


「撒き餌だよ。お前の火球が誤作動を起こす様に、自分の魔力を一瞬だけ辺りに撒いた。相当な量を撒いたから、些かくたびれたがな」


「いつ、アタシの火球が魔力に反応してると分かったの」


「避けていた時さ。あれは一見バラバラに動いているように見えて、必ず俺の魔力の残り香を拾っていた。あの場で剣を振りながら火球を自分で操作するというのも、無理な話だしな」


「そう……そこまで分かってたのなら、アタシの完敗ね。もういいわ」


 ゆっくりとマージェリーが諸手を上げ、スキールニルを手から離す。抜刀されていたスキールニルは元の短剣へと戻り、かろんと軽い音を立てて地面へと落ちた。


「まさか森林ここでも勝てないなんてね。片手落ちなら引っぱたくくらいはできそうだったんだけど」


「初めてにしては上々だ。何より魔術の腕は特上だな、そこは本当に天才だと認めよう」


 クリフがマージェリーの上から離れて立ち上がり、彼女へと手を差し伸べる。マージェリーがその手を取って起き上がると、クリフは少しだけ笑った。


「聖堂に着くまでの道すがら、もう少し手ほどきは続ける。ある程度は戦えるようにしてやろう」


「ありがと。……ところでクリフ」


「何だ?」


「何か向こうの方、やたら焦げ臭くない?」


「……まさか」


 嫌な予感が、鎌首をもたげる。


 元来た道を二人が走って戻ると、ぶすぶすと黒い煙を上げる鍋とそれを見つめているノエルの姿が見えた。


「おぅ、思ったより早かったではないか! 何やら真っ黒になっておるが、本当にこれが美味くなるのかえ?」


「ノエル……」


「……お前、本当に見ていたのか?」


「うむ、しかと見ておったぞ。で、妾はもうこの黒い鍋の中身を眺めてなくて良いのかえ」


「…………」


 開いた口が塞がらない、とはこの様なことを言うのだろう。


 今度は両手で頭を抱えて、クリフはふらふらとその場に座り込んでしまった。


「こいつに人並みのことを期待した俺が馬鹿だった……」


「おいクリフ、もうええか? 妾もう我慢の限界ぞ?」


「ああいいさ。お役御免だよ畜生、この役立たず大魔王め」


 クリフが黒煙を上げ続ける鍋を火から取り上げると、中には殆ど消し炭になった、かつて林檎であった名状しがたい何かがくすぶっていた。


「これはもう駄目だから作り直す。作り直すが……」


 ぎろりと、クリフがノエルの方を睨みつける。気配に当てられて、ノエルの身体がびくんと跳ねた。


「作り直した分は、金輪際お前にはやらん」


「なぁっ!? 何故じゃクリフ! 妾は務めを果たしたぞ!」


「まあ当然の結果よね。ノエルの分まで、アタシが美味しく頂いとくから安心しなさい」


「何を言っておるのじゃぬしら! これは不敬じゃ! 王権への冒涜じゃ!」


 その後ノエルは二人に向かって、自分は間違っていないこと、悪いのは二人であること、自分には料理を口にする権利があることを説き続けたが、彼女がコンポートを口にすることはその日一度も無かった。

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