神様ぜんぜん神ってない!

二条橋終咲

問題ばかりの女神様

「今日もバッチリと、人間界を見守っちゃいますよ〜!」


 呑気な口調でそう言いながら、女神ベーネは執務室の棚に置かれた水晶玉を両手で取り、いそいそと執務机の方へ運んでいく。


「ふんふふんふ〜ん♪」


 軽快に歩いてくと、身に纏った大きめのローブがひらひらと靡き、頭に被った白い帽子がぴょこぴょこと揺れ動く。


「うわぁっ!」


 すると、サイズの合ってないローブを踏んでしまい、ベーネは体勢を大きく崩す。その勢いで水晶玉は手元を離れて宙に放り出される。


 そしてそのまま床へ落下し、水晶玉は破砕音を立てながら粉々に砕け散った。


「あちゃ〜……」


 人間界を見るために使うはずだった水晶玉の哀れな姿を見て、ベーネはばつの悪い声を溢す。


「失礼し……。あっ!」


 そんな彼女の元に、生真面目そうな青年が姿を表した。


 彼、ベーネの従者を務める神官長のタウは、執務室の惨状と、帽子の下見える彼女の苦笑いから、事の全てを察する。


「あはは〜……」


「またですかベーネ様! もうこれで今月100個目ですよ⁉︎」


「わお! 大台じゃないですか! おめでたいので今日はお寿司でも食べ……」


「いい加減反省してください」


「ごめんちゃい☆」


 これっぽっちも反省の色を見せないまま、ベーネはダボダボなローブのポケットからアメを取り出してペロペロと舐め始める。


 その間に、タウはわざわざ執務室に備え付けておいた箒を手に取り、慣れた手つきで割れた水晶の片付けを始めた。


「全く……。貴重な水晶玉は山ほど壊すし、大事な会議は昼寝で欠席するし、料理しただけで火事を起こして御神木は燃やすし、人間界に作物を実らせすぎて国一つ埋めるし、聖杯に貯めた大切な聖水は全部こぼすし……」


 女神ベーネの起こした失態の数々を呪詛のように呟きながら、神官長タウはせっせと水晶玉の欠片を片付けていく。


「急死された先代の後を継いで最近就任したとは言え、少しは女神らしくしてくれないと困るんですけど……。部下の神官たちの間では『ベーネ様は女神ではないんじゃないか?』なんて噂が流れてしまってますし……」


「いや〜。一応は私も善処するように頑張ることは意識してるんですけどね〜」


 椅子にゆったりと腰掛けたまま、ベーネは悠長にアメを舐め続けている。


「でも、なんだかんだ言って、結局はタウが助けてくれるからいいじゃないですか」


「女神であるベーネ様に何かあったら、神官長である僕の首が危なくなるので仕方なくやってるだけで、別になにもよくないです。これ以上僕の仕事を増やさないでください」


「了解しました! 神官長さま!」


 機嫌の悪いタウを揶揄うようにして、ベーネは威勢だけいい返事を返す。呑気にチロチロとアメを舐め続けてるのを見るに、反省は全くしていない。


 すると突然、コンコンコンと、執務室の扉が控えめに叩かれた。


「はぁ〜い、どうぞ〜」


 間延びした声でベーネが答えると、扉が静かに開かれる。


「し、失礼します……」


 緊張した様子で現れたのは、頭に小さな角を二本と、黒く細いしっぽを一本生やした可愛らしい悪魔の少女だった。


「コルニじゃ〜ん! どったの〜?」


「おはよう、ベーネ。今日も元気そうだね……」


 友達のベーネに親しげな口調で名前を呼ばれた悪魔の少女は、自信なさそうにしっぽをもじもじと揺らしながら返事をする。


「仕事のことで、ちょっとタウさんに聞きたいことがあって……」


「何かありましたか、コルニさん」


「えっとですね……」


 丁寧な口調で対応をする神官のタウに、悪魔の少女であるコルニが相談を始める。


 こんな光景も、今では珍しくはない。


 亡き先代の女神によって、ベーネやタウたち『神族』と、コルニのような悪魔が属する『魔族』の壁が取り払われてからもう数十年が経つ。


 女神の元で働く悪魔がいれば、魔王の元で働く神官もいるのだとか。


「ありがとうございます……」


「わからないことがあれば、またいつでも来てください」


「はい。では、失礼し……」


 と、用事を終えた悪魔コルニが部屋を去ろうとしたところで、タウが呼び止める。


「あ、コルニさん」


「は、はい?」


 不思議そうな表情で立ち止まったコルニの前に、タウがしゃがみ込む。


 そして徐に彼女の首元へと手を伸ばす。


「リボンが曲がってますよ」


 普段から厄介極まりない女神の世話を焼いているおかげか、タウは慣れた手つきでコルニのリボンを直していく。


「っ……」


 突如、無駄に綺麗なタウの顔が自分の顔へ接近し、不意にコルニの全身を緊張感が襲う。


 艶やかな黒髪から垣間見える耳は赤く染まっており、黒く細いしっぽは緊張のせいでピーンと張っていた。




「……」



 

 そんな彼女の元へ、蔑むような冷酷な視線が白い帽子の下から向けられている。


「はい。できましたよ」


 しばらくしてコルニのリボンは無事に結び終えられた。


「ありがとうございます……」


「いえいえ。いつもの『後始末』に比べたら些細なことですから」


 嫌味っぽく言い放ち、タウは水晶玉の欠片を入れた袋を手に取る。


「じゃあ、僕は『後始末』に行ってきます。ベーネ様」


 女神であるベーネを蔑視した後、神官長タウは女神の執務室を去っていった。


 そして部屋の中には、女神と悪魔だけが残される。


「じゃあ、あたしも行……」




「コルニ」




 すると突然、先ほどまでの雰囲気とはうって変わって、まるで悪魔のような恐ろしい形相で、女神ベーネがドスの効いた低い声を出す。


「ひっ……」


 豹変した友達の様子に、コルニは頭の角から黒く細いしっぽの先端までガクガクと震えさせていた。


 それに構うことなく、口元に微笑みを湛えたベーネは、白い帽子の下から笑っていない両目を覗かせ、震えるコルニの肩をガシッと握りしめる。


「ど、どどどうしたの……?」


 怯えるコルニの耳元で、ベーネは囁く。




「命が惜しければ、二度とタウに近づかないことね」




「っ……⁉︎」


 耳に入り込んできた声のあまりの冷たさに、コルニは思わずその場から飛び退く。とても人間たちを慈悲深く見守る女神のものとは思えない、そんな冷徹な声音。


「……も〜、冗談だよ〜。そんな怖い顔しないで〜♪」


 しかし、一瞬の隙に、彼女はいつものほんわかとした表情に変わっていた。白い帽子の下に笑みを湛えながらアメをチロチロと舐めている。


 そんな様子を見ていると、さっきの冷酷さが嘘のように思えてくる。


 いやむしろ、いつもの彼女が嘘なのかもしれない。


「……」


 ここでコルニの中に、一つの疑問が生じる。


「べ、ベーネって、タウさんのこと、好きなの……?」


 角の生えた頭を不安そうに揺らし、黒く細いしっぽを気まずそうに振りながら、悪魔は女神に尋ねた。


「ちょ……。好きとか言わせないでよ〜。恥ずかしいじゃ〜ん♡」


 はぐらかすようにして、ベーネはわざとらしく頬に両手を当てて体をくねくねさせる。


 が、途中で冷静になったのか、彼女は目元を帽子で隠しながら呟いた。




「まぁ、タウに他の薄汚い女どもが寄り付いたら、嫌な気持ちにはなるかな〜」




「……」


 あまりにも自然に告げられたその言葉に、コルニは再び恐怖を覚える。


 真意を探ろうにも、目元は帽子で隠れていて判断できない。


「まぁとにかく、タウにやたらめったら近づかないこと」


「う、うん……。わかった、よ……」


「そうそう。それでいいの。タウは私の『後始末』で忙しいんだから♪」


 調子良さそうにそれだけ言い残し、ベーネはアメをチロチロ舐めながら部屋に置いてある茶器を手に取って甘いココアを入れ始める。


 それと同時に、執務室の扉がコンコンコンと鳴らされた。


「どうぞ〜」


「失礼します」


 噂をすれば、現れたのは神官長のタウだった。


 例の『後始末』を終えて戻ってきた彼の手元には、なにやら重要そうな書類が大量に抱えられている。


「ベーネ様。こちら神族と魔族の種族合併による新法案の立案書です」


 流暢にそう言いながら、タウは執務室の机の上に書類を置く。


「ですが、どうせベーネ様には理解できないでしょうから押印していただくだけで結構です。余計なことされても面倒ですから」


「最近、口悪くなってないですか?」


 両手に持ったココアを飲むベーネに向けて、鋭い言葉の数々が突き刺さる。


 そしてベーネは一旦ココアの入ったコップを置き、書類に目を通していく。


「こうなってしまったのは、一体誰のせいでしょうね。とにかく余計なことをする前に早く押してください」


「むっ……」


 女神である自分をぞんざいに扱われ、ベーネはほっぺをプクっと膨らませる。


「そんなに言われなくても、ハンコを押すくらい私だってできますもん!」


「嫌な予感が……」


 自信満々な様子のベーネを見て、コルニはぼそっと呟いた。


 そしてその予感は刹那の速さで的中する。


「あ」


 机の上に置いたコップにベーネが手をぶつけ、中身のココアを立案書の上にぶちまける。小難しい文字列の並んだ立案書は、瞬く間にココアのシミに飲み込まれていく。


 そして被害は机上だけにとどまらず、机から滴るココアがその下の白いカーペットまでも黒茶色に染め上げていく。


「っだーもうなにやってんですか……」


 タウは咄嗟に、後始末のため部屋に備え付けておいたタオルで机の上を拭いていく。


「ごめんちゃい☆」


「はぁ……」


 もうすっかり慣れたのか、半ば諦めた様子で後始末を続けるタウ。


 すると、何かに気づいたコルニが、純粋な疑問を目の前の女神に投げかける。


「ね、ねぇ……」


「ん、どうしたの、コルニ」


「今のって、わざとじゃ……」




「コルニ」




 たったその一言が、悪魔の少女を捩じ伏せ、彼女から言葉を奪った。


 大きなサイズの白いローブを纏った少女が、白い帽子の下から覗かせる凍てつく目つきに気圧され、コルニはしっぽまで震え上がらせる。


「コルニも忙しいでしょ? 私たちなんかに構ってないで、早く仕事に戻ったほうがいいんじゃない?」


「あ、う、うん。そ、そうだね……。じゃあ……」


 ベーネの労うような親切な提案に身を任せ、コルニはしっぽをなびかせながらおぼつかない足取りで女神の執務室を足早に去っていった。


 そして部屋の中には、女神と神官長だけが残される。


「めんどくさ……」


 女神に仕える身分とはいえ、流石にここまでくるとそんな思いも隠せなくなる。


 なんだかんだ言いながら、タウがせっせと後始末を続けていると、その後ろで無邪気な小悪魔のような囁きが聞こえる。




「そうやって、私だけに構っていればいいのです……」




 女神ベーネは呟く。


 背後で、黒く細い何かを揺らしながら。


「ん? 何か言いました?」


「いやぁ? なぁんでもないですよ〜」


 タウが振り返ると、そこには頭に白い帽子を被ったベーネがニコニコと笑みを湛えていた。


 そして彼女は、何かを隠すには十分な大きさの白いローブのポケットから、一つアメを取り出してチロチロと舐め始める。


「とにかく、今後は気をつけてください。あと、これ以上僕の仕事を増やさないでください」


「はっ! 承知しました神官長どのっ!」


「……」




 その後も女神ベーネは問題を起こし続け、神官長タウはその『後始末』に追われ続けたとか、いないとか。

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