第13話

……刺される!


 綾子は目をつぶって、その時を待った。

 だが、いつまで経っても激痛は襲ってこない。

 そうっと目を開けて振り返った。

 老女は包丁を振り上げた体制のまま、何かに驚いたような顔で立ち尽くしている。


「え?」


 老女の視線を追うと、綾子と老女の間に先ほどの黒猫が座っていた。


「クロ……?」


 老女は包丁を床に落とすと、しゃがみこんで猫を抱きしめた。


「てっきり、お前まであの子と一緒に逝ったのかと……」

「あの……」


 どうしていいか分からず、綾子は老女に話しかけた。


「お行きなさい。もうあなたに、用はありません」


 老女は振り向きもせず答える。


「はあ……しかし……」

「行きなさい。ここにいると、今度こそ刺すかもしれませんよ」

「し……失礼します」


 綾子は大急ぎで、部屋から出た。


「え?」


 襖を閉める時、一瞬妙なものが見えた。


 思わず、もう一度襖を開く。


「なんですか?」


 猫を撫でながら老女は、めんどくさそうに言う。


「あの……」

「警察に行きたければ、好きにしなさい」

「え?」


 警察に駆け込む事は、考えてもいなかった。

 確かにさっき老女に殺されかけた。

 殺人未遂で訴える事はできる。

 しかし、そんな事をすれば自分が佐久間に対してやった事も明るみになる。

 詐欺罪や強要罪はすでに時効が成立していたとしても、夫やその家族に知られるのは何としても避けたかったのだ。


「いえ……警察にはいきませんが、その猫は……」

「あの子が小学生の頃に拾ってきた猫ですが……あの子が死んだ日から姿が見えなかったのです」

「そうですか」


 綾子は黒猫をじっと見つめた。

 しかし、さっき一瞬見えた妙なものは見当たらない。

 不意に猫は綾子の方に顔を向け睨みつけてきた。


「し……失礼します」


 綾子は慌てて襖を閉じる。


 転がるように玄関から飛び出した綾子は、立ち止まって玄関の方を振り返る。

 老女が今にも追いかけてくるような気がしたのだ。

 玄関が開く様子はない。

 安心したとき、不意に背後から肩を掴まれた。


「ひ!」

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