武蔵野ミュージアム見学ツアー2021

烏川 ハル

武蔵野ミュージアム見学ツアー2021

   

「わあ、きれいな青空!」

 東所沢の駅を出て、武蔵野の地に一歩足を踏み入れた途端、彼女が歓声を上げる。

「本当に素晴らしい光景……」

 と言いながら、むしろ僕は、晴れ渡った空よりも駅前の開放感に感動していた。

 こちらは駅の裏側だろうか。バスターミナルやタクシー乗り場どころか、スーパーやレストランのようなビルも存在しなかった。

 信号を渡った先にはポツポツと店も見えるが、二階建てや三階建てばかり。少し離れれば一回り大きな建造物もあるけれど、商店ではなくマンションやアパートみたいだ。

 しかし、こんなところで感動していたらキリがない。見学ツアーは始まったばかりで、むしろ本番はこの先だ。

「さあ、行きましょう」

 軽く背中を叩いて彼女を促し、歩き始めるのだった。




 駅舎を過ぎると、ちょっとした公園になっていた。子供が走り回って遊べるほどのスペースはなく、低木の生垣や立派な大木など、至る所に緑が植えられている。目の保養になるような、憩いの場なのだろう。

 立ち寄りたい誘惑にも駆られるが、我慢して横を通り過ぎる。気持ちを切り替えて道路の反対側を見れば、ハンバーガーショップやドラッグストア。店名こそ違うものの、見慣れた業種の建物だった。


「あら、これは何かしら?」

 彼女の気を引いたのは、公園が終わった辺りの白い建物だ。民家や商店にしては小さいが、公衆トイレにしては立派過ぎる。

 よく見ると……。

「『KOBAN』と書いてありますね。つまり交番です」

「まあ、おまわりさん!」

 一瞬目を丸くしてから、彼女は表情を曇らせた。

「私、大丈夫かしら? この格好、浮いてません?」

「ははは……。大丈夫ですよ」

「でも、シンジさんには見抜かれましたから……」

 と、心配そうな声を出す。


 彼女も同じツアーの参加者だが、出発前からの知り合いではなく、初対面は駅の構内だった。

 女子トイレを出た場所で、きょろきょろと周りを見回す女性。状況的には、待っているはずの連れを探している様子だけれど、どうも雰囲気が違う。期待で顔を輝かせている感じで、その輝きは魅力的だった。

 おそらく僕も似たようなワクワク顔をしているに違いない。そう思ったところで気が付いた。彼女も同じ立場ではないのか、と。

 だから、思い切って声をかけてみたのだ。

「あの……。もしかして、見学ツアー2021の参加者ですか?」

「えっ、見学ツアー2021……。ということは、あなたも!」

「シンジと言います。よろしく」

「ユカです。こちらこそ、よろしくお願いします」

 駅のトイレの前で握手する男女。今思えば、あれこそ浮いて見える光景だったかもしれない。


「格好云々じゃないです。一種の共感シンパシーでしょうか。パッと見て、僕と同じだと感じる部分があって……」

 改めて彼女の身なりに注目してみるが、不自然な点は何もなかった。

 赤いコートも、その下から覗く茶色のロングスカートも、すらりとした体型によく似合っている。長い黒髪は艶やかで、面長な顔立ちは薄化粧でも美しかった。感染症対策の白マスクで顔の下半分を隠しているのが勿体ないほどだが、この令和の時代では仕方がない。

 本当は「素敵です」と言いたいところだが、さすがにめておく。

「先ほども言ったように、問題ありません。気にせず、この武蔵野を楽しみましょう!」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります。でも……」

 言葉とは裏腹に、まだ彼女は不安そうに見える。

「……少し心細いので、このツアーの間、手を繋いでいても構わないでしょうか?」

「ええ、どうぞ!」

 ちょっと勢いが過ぎたかな、と感じて、慌てて付け加える。

「心細さの解消だけじゃなく、その方がカップルに見えて、ますます周りに溶け込むでしょうね」

「あらまあ! それはそれで、なんだか恥ずかしいですわ」

 照れ笑いを浮かべながら、彼女は僕の手を握った。




 カップルに見えれば周りに溶け込むというのは、少し強引な理由付けだったかもしれない。

 駅前の通りを歩く人々の中に、特に仲睦まじい恋人たちの姿は見られなかった。

 それでも僕たちは手を繋いだまま、目的地へ向かって歩いて行く。

 武蔵野ミュージアムは、東所沢の駅から徒歩10分。駅前の大通りを北西へ進み、洋服屋を目印にして曲がり、東所沢公園を抜けた先にあるという。


 駅前には何もなかったが、先ほどの交番を過ぎたくらいから、商店や少し大きめの建物が並び始めていた。ただし商店街というほどではない。

 それらが減って、また視界が広がった辺りで、僕の手を握るユカさんがギュッと力を込めた。

「ここですよね? 目印の洋服屋って」

 僕たちが住んでいるところでも見るような、有名な子供服のチェーン店だ。

 信号を渡って、十字路を南西へ。今度の通りは街路樹が多く、それだけで気分が良くなる。

 歩きながらでも緑を満喫したくて、大きく深呼吸すると、

「あら!」

 微笑んだユカさんは立ち止まってくれて、僕の真似をする。

 ちょっとしたことだが、これも一つの証だろう。この武蔵野が僕たちにとっていかに素晴らしいか、と表す出来事だった。


 街路樹の道はすぐに終わりとなり、目の前には、いっそうの緑が広がっていた。

 東所沢公園だ。

「これを越えれば、いよいよ……」

 ユカさんが声を弾ませる。

 期待に胸を膨らませるという言葉もあるように、ちらりと視線を向ければ、彼女の胸は最初よりも少し盛り上がって見えた。でも急にバストアップするはずもないから、目の錯覚かもしれない。

 彼女の手は、いつの間にか汗ばんでいる。僕も同様だろうが、二人とも手を放そうとはしなかった。

「さあ、行きましょう!」

 改めて声をかけて、歩くペースを速める。ユカさんの手を引く形になるかと思いきや、むしろ逆。彼女は僕以上の早足になっていた。


「おお!」

「これが!」

 感動の声が、同時に口から漏れていた。

 写真では何度も見ていたが、やはり実物は違う。武蔵野ミュージアムは、神々しさすら感じられる建造物だった。

 この角度からは、左側が少し膨らんだり、上部が四つに分かれているように見えたりして、まるで大きな灰色の手みたいだ。

「えーっと、入り口は……」

「あっちです!」

 ユカさんの戸惑いの声を掻き消して、僕は左の方を指差した。少しわかりにくいが、地図によれば、そこから入れるはずだ。




「あら、これって……」

PプロジェクションMマッピングですね」

 建物の入り口近くには、大きなデジタルアート。令和の武蔵野の『新しい芸術』のつもりだろうか。

 面白いとは思うけれど、感動は覚えなかった。古き良き武蔵野に対する期待感が強くて、デジタルというだけで「何か違う」と思ってしまう。

 おそらく僕だけでなく、それはユカさんも同じだろう。


 昔の特撮ヒーローと仏教を混ぜたような金色像。

 中華街を思わせる雰囲気の赤い門。

 妖怪のイラストが左右に続く回廊。

 地方の神様を表現した藁人形。

「わあっ、すごい!」

「ええ、全くです」

 話には聞いていたが実際に目にするのは初めてのものばかり。僕たちは何度も立ち止まり、感嘆の声を上げていた。

 大勢おおぜいの見物客がいる中、ここまで大袈裟に騒いでいるのは僕たち二人だけ。少し周りの視線が気になるけれど、仕方ないだろう。

 僕とユカさんは、武蔵野ミュージアム見学ツアー2021の真っ最中。他の来訪者たちとは感激の度合いが異なるのも当然だった。


 武蔵野ミュージアムには、マンガラノベ図書館というものも併設されている。

 吹き抜け構造の大きな空間で、壁一面に並べられた無数の書物。まさにラノベや漫画でしか見たことがない世界であり、

「……!」

 僕もユカさんも絶句して、思わず顔を見合わせるほどだった。

 手を繋いだ男女が無言で見つめ合うさまは、はたから見れば、それこそカップルに見えたかもしれない。

 気づいてしまえば恥ずかしくなり、僕は口を開いた。

「……凄いですね。壮観な眺めです」

「ええ、本当に」

 ユカさんは僕から視線を逸らして、再び本たちに向けていた。

「いつも電子書籍で読んでいる小説も、元々は、こうした紙の本でしたのね……」

 うっとりとした彼女の横顔は美しく、まるで性的な恍惚感を浮かべているようにも見えるくらいだった。


 武蔵野ミュージアムという名称だが、武蔵野そのものに関する展示物は案外少なかった気がする。

 もちろん皆無ではなく、武蔵野ギャラリーと称する区画も用意されていた。武蔵野の神話や、この辺りの森の古い姿などが描かれている。

 だが期待していたほどではなく、あまり僕の印象には残らなかった。

 むしろ、一面にススキが広がる秋色のイラストを前にして、ユカさんと交わした会話。

「ススキ野の武蔵野も、本物をこの目で見てみたかったですわ」

「ははは……。贅沢言っちゃいけません」

 そちらの方が、心に深く刻まれたくらいだ。




 楽しい時間は、あっという間に過ぎるものだ。

 夕方、駅のトイレの前まで戻り、そこで僕たちは別れを告げる。

「今日は楽しかったです。ありがとう」

「あらやだ、シンジさん。まるでデートみたいな挨拶……。それじゃ!」

 軽く言い放ち、彼女は女子トイレに駆け込んでいった。

 確かに、礼を言うべき相手は彼女ではない。そう思いながら、僕も男子トイレへ。


 他人に見られては困るので、公衆トイレや電話ボックスを使うことが推奨されている。ただし令和の武蔵野には電話ボックスは見当たらず、今回は駅のトイレが時空転移のポイントに選ばれていた。

 もちろん時間転移装置タイムマシンは、僕のような一般人が簡単に扱える代物しろものではない。今回の使用には、大手の出版社が関わっていた。

 第500回武蔵野文学賞の賞品、500回記念としての特別見学ツアーだ。2021年という令和の時代、完成後1年足らずの武蔵野ミュージアムを訪れる、という時間旅行だった。


 本当に名残惜しいけれど……。

 時空転移の光に包まれて、僕は元の世界へ向かう。

 薄汚れた高層ビルが建ち並ぶ、無機質な時代へと。




(「武蔵野ミュージアム見学ツアー2021」完)

   

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