ハロウィンの国のスケアクロウ

すきま讚魚

ハロウィンの国のスケアクロウ

 さぁさ皆様ご唱和を。


 一年の暮れがやってくる。

 篝火かがりびの石炭は持ったかい? 暖炉や釜のお掃除は?

 まったく、まったく、せっかちさんばかりじゃぁないか。釜と鎌を間違うなんて。それじゃあ一体全体、皆が皆、死神グリムリーパーみたいになってしまう。


 バンシー諸君、叫び声を上げるにはまだ早い。


 君はベッドの下で、君は階段の下で、ああそう其処の君は曲がり角のゴミ箱に潜むんだ。脅かすのは一回きり。


 凶悪な顔のピエロ、流行りに乗って赤い風船かい? それは正直どうかと思うぞ?


 ああ、嗚呼、君はそう。夜風だね、髪の毛の間をぞわりと通り抜けるやつ。


 名前のない、暗闇の中の「其処にいるのはだぁれ?」の君。あのね、君はそんな煌びやかな電飾を点けたら本末転倒。


 まったく、まったく。せっかちと云うより浮かれきってやしないかい?



 サーウィンもしくはオール・ハロウズ・イーヴン、年明け前の最後の一夜だ。


 化け物達よ、人間達よ、呪文を忘れちゃいけないよ。


『汝、お菓子か、悪戯か』


 よろしい、よろしい。では今年も、オール・ハロウズ・イーヴンを。

 

 さぁ、全ての生きとし生ける紳士淑女諸君よ、今宵は奇妙なものをお目にかけてしんぜよう。




◆◇◆◇◆◇◆◇




「ウィリアム・ホロウ、キミは今年も行かないのかい?」


 ぞるぞるっ、と月夜の影が心なしか楽しそうに語りかけてくる。

 浮かれ足の魔女や化け物、妖精達をようやっと送り出した、着古したマントの男が呆れたようにその声に振り返った。

 その手には、火の灯っていないカンテラが。


「知っているくせに。今年も魔除けの篝火は売り切れだよ」

「そうやって救っても、いつか人間は寿命が尽きてしまうのにかい?」


 揶揄からかうような、それでいて抑揚のないその声。男のようで、女のようで、心の底から楽しそうなのに、心の底からつまらなさそうな。


「よしてくれよ、ア・バオ・ア・クゥー。キミはそれすらも別にどうだっていいんだろう?」

「イヤだなぁ、ウィリアム・ホロウ。その問いかけを私にする事自体が、それこそが無意味だ」


 悪意のない当然の声に、着古しマントの男——ウィリアム・ホロウ——は返事の代わりに盛大なため息をつく。

 嗤い声は聴こえない。だけど、ニヤニヤ嗤いだけがそこに残るような。


「死者の国も、生者の世界も、その境目が混じるオール・ハロウズ・イーヴンの夜。だけどそう、私には、僕には、ちっとも関係がない。だって裏も表も、結局一つの世界だからね」

「それは、キミだけだよ、ア・バオ・ア・クゥー。裏も表も在る者のキミだけさ。死者も死者の国の化け物共も、今夜一夜限りしか生者の世界に行く事は叶わないんだ」


 ニヤニヤ嗤いが、そこに残る——。



 ウィリアム・ホロウ、哀れな憐れな案山子カカシの男。

 この場所の門番、漂う魂を死者の国から出ないようにするスケアクロウ。

 ウィリアム・ホロウ、空虚ホロウのスケアクロウ。

 脳みそも心臓も、勇気もあるのに。彼にはそう、顔がないんだ。

 


 たった一人の女の子を、食べなかった代償で。




◆◇◆◇◆◇◆◇




 ウィリアムの人生は、ロクでもないものだった。

 両親を早くに亡くし、痩せっぽっちで、唯一受け継いだトウモロコシ畑はカラスに荒らされ、納屋は竜巻で吹っ飛んでしまった。

 人生に絶望したウィリアム、盗みも殺しも騙しもやった。そうして誰にも相手にされず、ぽっくり死んでしまった。


 散々悪さをやったウィリアム。だけどもウィリアムはなんだか満たされなかった。

 そうだ、幸せな人間の人生をぶち壊してやろう。ウィリアムの汚れた心は、死者の国でも門前払い、喜び勇んで悪魔の仲間入りを果たす。


 まるで骸骨のような虚ろな白い顔、人ではないその顔で、十月三十一日の年の暮れ、死者の国と生者の世界の境目が曖昧になる刻。


 人間達はその夜だけは、ひたすらに家の玄関の鍵を固く閉め、閉じこもる事しかできない。

 魔女や、悪魔や、死の妖精、化け物達が舌舐めずりをして街を闊歩していくからだ。


 ああ愉快、愉快。こいつはたいそう面白い。

 怯えた顔の人間を、大人も子供もパクリと飲みこんでいくのだ。

 鍵を壊すのも、壁をするりと抜けるのも、気分次第。自分の気分ひとつで人間達の生き死には決まる。皆は怯えて叫び、逃げ惑う。

 その恐怖に満ち溢れた顔を、手にしたカンテラで照らしてやるのだ。それは滑稽で愉快でたまらないひととき。

 ウィリアムは年に一度の年の暮れを、今か今かと常に待ち望んでいた。



 ——だけども、なぜかその心はちっとも満たされず。いつも心に空虚を飼っているようだった。




「おじさん、ここはどこ?」


 つい、とぼろのマントの裾を掴まれてウィリアムは振り返る。

 どうやら枯れ木のような身体を包む、マントに紛れてついてきてしまったらしい。


「なんだ、このチビ、食べちまうぞ」

「食べる? どうして?」

「どうしてって……」


 何故、こいつは怖がらない……?

 不思議に思ったウィリアムは、手に持ったカンテラを揺らし、その白い虚ろな顔にゾッとするような影を乗せてその小さな顔を覗き込む。


 しかし——。


「おじさん、悲しい匂いがする。マリィね、飴を持っているの、おじさんにあげるわ」


 小さな手には、カラフルな包み紙の飴がひとつ。


「はぁ?」と呟くウィリアムに、マリィと名乗った女の子はその瑪瑙のような混濁のある、グリーンの瞳を悲しそうに伏せる。


「えっと、飴ならね、実はもうひとつあるの。マリィのぶん。でもおじさんにあげる」


 どっちの色が好き? と聞かれて、ウィリアムは気がついた。

 女の子の瞳にはまるで光が宿っていない。この子は目が見えないのか、ウィリアムは一人納得した。


「飴なんていらねぇよ。そうだ、お嬢ちゃん、楽しいところがあるんだ、一緒に行かねえか?」


 いいの? と嬉しそうにマリィは笑う。


「じゃあ、飴をひとつあげるわ。お礼はちゃんとすぐに言いなさいって、いつもママが言うもの。ありがとうおじさん」


 死者の国まで連れて行って、せっかくだ、もう少し大きくしてから食べてやろう。ウィリアムは内心そうほくそ笑む。

 年に一度の殺戮の夜じゃ、彼の心は満たされなかったからだ。



「ねぇおじさん、おじさんの手はどうしてこんなに細いの?」

「腹が減ってるからだよ」

「ちゃんと食べなきゃ。倒れちゃうわ」

「いいんだ、これからいくところで、思う存分味わうからよ」


「ねぇおじさん、おじさんのお洋服はところどころ穴が空いてるみたいだわ」

「そうだなぁ、ずっと、おんなじぼろを着てるからな」

「まぁ。じゃあマリィが縫ってあげるわ、これでもお裁縫くらいはできるのよ」

「……」


「ねぇおじさん、おじさんの身体はなんだかとっても冷たいのね」

「そうだなぁ、温かいってもう忘れちまったな」

「じゃあマリィがくっついててあげる、ほら、あったかいでしょう?」


 ウィリアムはなんだかとても面倒くさくなってきた。

 マリィは全然怖がらない。疲れたとも言わない。

 もうずっと歩いているのに、こうして絶え間無く話しかけてくるのだ。


「おじさんは一人なの?」

「ああ」

「おじさんのパパとママは?」

「……死んじまったよ、ずっと昔に」


 そう……とマリィは初めて暗い顔で俯き、ぎゅっとウィリアムの枯れ木のような腰に抱きつく。


「マリィのパパとママもね、怖いお化けに連れて行かれたの。でもおじさんに会えたから、今はマリィちっとも怖くない」


 馬鹿なガキだ、ウィリアムは思った。

 もしかしたら自分が狩った命の中に、お前のパパとママがいるかもしれねえのに。


「おじさん、寂しい匂いがした。だからマリィ、思わずついてきちゃったの」


 ああもううるせえ!


 なんだか無性に腹が立って、ウィリアムはその小さな手を振り払う。


「そんなに心細いなら、今すぐパパとママのところに連れてってやろうか?」


 脅すように振り返って、おや? と気づく。

 死者の国、そこは生者は決して立ち寄れない、死後の世界。

 そこに棲まう自分は、生者と時の流れの感覚も違う。


 マリィの服は薄汚れ、ふっくらとしたバラ色の頬は今や青ざめていた。


 ウィリアムー! ウィリアムずるいぞ、抜け駆けだ!

 悪魔たちが囃し立てた。

 年に一度の収穫祭、それは悪魔や化け物達が人間を狩りに彷徨い歩く夜。


 ああマリィ、かわいそうなマリィ。

 彼女の命の灯火ともしびはもう弱々しく消えそうになっていた。


「パパとママに会えるの?」

「……あ、ああ、会えるぞ」

「おじさんは、寂しくない? ひとりぼっちは寂しくない?」


 弱々しいその手は、見えていないはずなのにはっきりとウィリアムの頰を撫でた。無意識に、ウィリアムは小さな身体を抱き上げていたのだ。


「おじさん、おじさんの顔は、なんだかカカシさんのようなのね」


 そりゃぁ俺が、本当に案山子だからだよ。

 ウィリアムの冷たい白い顔に、仄かな温かさが生まれた。


 ウィリアム! どうした! 早くいつものようにそのチビを食べちまえ!

 頭からがぶり? それとも手足をもいでから?

 悪魔達はケラケラと嗤い、囃し立てる。


「おじさんは……私を食べる、悪魔なの?」

「……」

「温かいね、おじさん。もしマリィを食べて、おじさんがお腹いっぱいになるなら、食べていいのよ? そしたらマリィ、ずっと一緒ね」


 でも……最後にそのマントだけは、繕いたかったなぁ。


 にっこり笑ったまま、マリィの小さな手は力なく落ちた——。




◆◇◆◇◆◇◆◇




 目を覚ますと、十一月の始まりの鐘が聞こえた。


 その手には、炎の燈った大きなルタバガがひとつ。

 少し憂いた目と、にっこり笑う顔を模したようにくりぬかれた、大きなルタバガ。

 その手触りは、最後に触れた誰かの頰とそっくりで。


「おじさん? おじさんどこ?」


 あたりを見渡して、マリィは気づく。


「目が、目が見えるわ。おじさん、マリィ、目が見えるようになったの、ねぇどこにいるの? おじさんのお顔が見たいわ」


 遠くに響く、カンテラの音。

 何故だかそれは、別れの挨拶にも聞こえて。


 ハッとして、探ったポケットの中には、ピンクとグリーンのストライプの包み紙の飴がひとつ。もうひとつは、何色だったのだろうか。


「おじさん、また来年。会いに来てね、マリィもっと大きなお菓子を用意しておくわ」



 その村では、ルタバガに灯った消えない不思議な炎を、毎年年末になると軒先に分けて灯すようになった。

 不思議と、その火が灯る家に、化け物達は来なくなったという。


 そしてもうひとつ——。



『汝、お菓子か、悪戯か』


 色とりどりのキャンディを、さっくりしたキャラメルの蕩けるトフィーを、こっくり甘いチョコレートに、ヴィヴィットなクリームいっぱいのカップケーキ。


 軒先には、炎の灯るちょっと憂えた眼差しの笑った顔のルタバガと、今年も綺麗なマントをひとつ。


 魔女や、悪魔や、お化けに妖精、色とりどりの仮装をした子供達が口々に呟き、村一番の美しい娘と評判のマリィはそのカゴにお菓子を入れていく。



 おじさん、名前も知らない、優しいおじさん。

 いつかまた逢えるかしら? その時はこのマントを絶対渡すんだからね。




◆◇◆◇◆◇◆◇




「オール・ハロウズ・イーヴンの夜ってさ。昔は人間を食ってたらしいぜ?」

「ええーっ、そうなの? 今じゃちっとも考えられない」

「ちょっと驚かしてさ、お菓子をもらってさ。そっちの方が楽しいじゃん、ボクは今のまんまがいいけどなぁ〜」


 一年に一度、人間に悪戯して、お菓子を貰う日。

 人も化け物も、混じってしまう夜。


 約束事は、ひとつの呪文と、篝火の石炭を人の玄関に灯して来る事。


「そんな事、アタシら魔女にはたやすい事さねぇ」

「俺たちだって負けないぞぅ」



 顔のないスケアクロウ。

 何百年もそこに佇み、オール・ハロウズ・イーヴンの夜に化け物達に篝火を渡す、古株の案内役。


 そのマントは、何百年も前から変わらない、古びた——だけど穴ひとつ開いていない夜空色のマント。


 彼は今年も、この夜に思い出したようにひとつの飴を取り出す。

 顔のない自分には、永遠に口にする事のできない、甘い優しさの味を——。

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