第8話 大きな……

 今宵、那月にはピンクのウサギがいた。


 左側の髪に留められた、十センチほどの大きさをしたアクセサリーだが、その耳は三十センチほどもあり、上へ伸びたまま那月の歩みに合わせて揺れている。


 アニメ調ながら、見逃さねえぜ、と言わんばかりに凶悪な顔をしている。


「あの男だな」


 呪神じゅしんが言った。


「うん、けっこうヤバい」


 那月も頷きながらその目で確認した。


 いま那月の目には、拡張現実よろしく視覚フィルターが施されている。


 アクセサリーの効果で、異常を探知し色づけをする。


 そこには重度が高い、赤で色づけされた人間がいた。


 ──夜七時過ぎ、街の中央通り。


 商業施設の多い大通りと違い、オフィスとしてあるビルが建ち並んでいる。


 それゆえ帰路につくスーツ姿の人間が何人か見える程度だが、代わりのように片側二車線の車道には乗用車が往来していた。


 そんななか、呪神が言った男が一人、こちらへ向かって歩いていた。


 年齢は三十歳前後か。


 やはりスーツ姿で、何らかの事務職であろうことはうかがえるが、様子はかなり異様だった。


 ワイシャツのボタンは掛け違え、ズボンから中途半端にはみだし、右足にはサンダルがかれていた。


 メガネもかたむいてかけられ、顔の左半分は赤紫に変色していて、まさに感染者という言葉がぴったりな状態であった。


 無表情で前を見据えたまま、ゆっくりと歩みを進めている。


 那月との距離、およそ十メートル。


「はーい、治療しまーす」


 そう言うと那月は、ジャケット左側のポケットからスピールを取り出した。


 一見すると玩具のような、中折れ式単発装填の小さなハンドガン型のスピール。


 いつもと違うスピールを片手で構え、那月は引き金を引いた。


 心地よい明るく弾けた銃声と同時に、桃色に包まれた黄色い光が男を撃ち抜いた。


 同時に、パーンと割れたガラス片を思わせるものが男の後方へ飛散。


 赤紫のそれは、そのまま地面に落ちて消滅した。


「あ……、あれ? 俺はいったい……、え? ええぇー?」


 顔を含め身体から赤紫のものが消え、正気に戻った男は違和感の一つ一つに驚いていた。


 それにかまわず、那月は男に背を向け歩き出した。


「はい、治療完了」


「お疲れ様です」


 ひと仕事終えた那月に惣神そうしんが微笑みながらねぎらいの言葉をかけた。


桃福弾とうふくだん、やっぱり効果は絶大だね」


 右手のスピールを見ながら、那月は感心して言った。


「ああ。陰気や邪気の一切をはらう、陽気、笑福の魔法だからね。夜獣やじゅうの汚染を取り除くには一番手っ取り早い」


「東洋の観点からできた魔法だが、素早く目的を達成できるんだ。良いものは取り入れるべきだ」


 銃神じゅうしん、呪神の言葉に那月は頷いて答えた。


「でも那月、気をつけて。病み上がりなんだし、身体を慣らすための仕事なんだから」


「そうでッス。無理をして美味しいものが食べられなくなったら大変でッス」


「ガーッハハハ、那月なら夜獣の一つや二つ出くわしたところで何とでもなるわい」


「ちょっとシショウ、いけませんよ」


 心配する衣神いしん宅神たくしんをよそに、武神が勢いづかせる発言をするが、惣神がそれをいさめた。


「本当は効果筒こうかとう一つあれば事足りるんだがな……」


 すると商神しょうしんが、やれやれといったかんじで呟いた。


「場合によっては攻撃と回復を行う、二丁撃ちをする可能性もあるし、悪い買い物ではないと思うよ。何より使用者の意見を尊重しないとね」


「うん。これは夜獣用だから人に向けて撃ちたくない」


 銃神の言葉から、那月は右腰のホルスターに納まっているスピールをポンと叩いた。


 いつも使用している回転式と自動拳銃を足した形状のスピールだが、商神の言うとおり、そのシリンダーに効果筒を入れて使用すれば同様に魔法が撃てるし、安価ですむ。


 しかし那月は、同じスピールのくくりにある物でも用途と対象を専門化して、これは人に向けて撃って良い安心安全なもの、としたいのだった。


「心配するなキンジイ。そいつは効果筒の交換もできる。戦いや仕事の方法が増えるだけだ。損はせん」


「ガーッハハハ、そのとおり。新しい戦い方を身につければ那月は更に強くなる」


「そうそう。那月、カッコヨクなるわー」


「大丈夫。那月ならすぐに元が取れまッス」


 呪神と武神、そして衣神と宅神も、商神を納得させるべく、その有用性を改めて説いた。


「分かってる。那月なら元を取るなんざ、あっという間だ。更なる稼ぎ、楽しみにしてるぜ」


「了解」


 四柱の神の言い分を飲み込み、期待する商神に、那月が敬礼をした。


「さあ、気を取り直していきましょう」


「はい、センセー」


 惣神が促し、那月が元気に答えた。



 ──そして那月が改めて歩き出したとき、事態は急変。



 突如、ウサギ型アクセサリーの両目が赤く点滅し、耳が激しく前後した。


 そしてその反応は那月の視覚にも表れた。


「え、ちょっと、すごい数!」


 隣りの大通りから、重度が黄色に色づけされた人間が次々と現れ、その一帯が塗りつぶされてしまった。


「汚染が低いとはいえ、この数は異常だ。確認しろ」


「うん」


 呪神の声を聞きながら那月は駆け出した。


 大通りに出ると、人々はそれを中心に立ち止まっていた。


「うわ、でかっ……」


 そこにいたのは、二本足で立つ漆黒しっこくのスーツを着た、ゾウであった。


 それも動物園からそのままやってきたかのように四メートル程の大きさと、体重五トンといって納得できる立派な肉付きをしていた。


 目つきが鋭く、圧倒する体型と威圧感は、まさに首領・ドンといったものを感じさせた。


「あれ……、夜獣なの?」


 衣神が驚きながら言った。


 するとドンは、その太くて長い鼻を高く上げると、その先から人間の精神を汚染させる負素ふそをシャワーのようにして撒き散らした。


 那月の目の前に表されていた黄色がオレンジに変化し、重度が高くなった事を示した。


「間違いなく夜獣だ。仕留めないと」


 治療用を収め、いつものスピールを取り出し両手で構える那月。


 だが、象型の夜獣は鼻を下げながら静かに消えていった。





◆◆◆◆◆◆


このとき那月が着けていたウサギのアクセサリーと、使用していた桃福弾の効果筒をシリーズ作『世界亜夜』の主人公・野八彩のばちあやも使います。

参考までに。

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