第九図 大ぼさつ

 朝朗あさぼらけ、女房達の最早還らんとするところ、「契りしこともございますれば、この上は何をかつつまれることございましょう。稍暫ややしばらくこのままにて御坐おはしませよ」などと私がう間にも日輪はおうとして盡大地じんだいちあまねらしはじめる。

 ところが熟々よくよくその光凞かがやきの中に見明みあきらめれば何たることか、賓実まろうどざねと思われた女房は由緒よしあり薄様うすように書かれたる懸想文けそうぶみに変じているではないか。美々しき女房達と思われたのは、これも薄様うすよう白懐紙しろかいしなど色々に書かれた懸想文で、かしらひねる女房は捻封ひねりふうした竪文たてぶみ豊下ふくよかなる容顔かほばせの女房は結文むすびぶみ、侍に思われしは使い古した筆であって、傘を差していた者は鞘笠さやがさかぶせた筆、車と思われたものは筆匣ふでばこであったのだ。

 何ともはや驚目きょうもくみはらすことべてならず、不可思議の甚だしきこと言うまでもないけれど、「果たしてそういうことであったか」との日の女房との約諾やくだくが思い合わさるるに及んで駭魄おどろきは弥増いやまばかりであった。

 二度ふたたび種々しゅじゅの文を見れば、どれも年経て古めかしくはあるもののその筆迹ひっせき神寂かむさびて尋常ならざること、現世うつしよに在る者の仕業しわざとも思われず、どのような人ののこせるものかと思いめぐらしていると、仮寝まろねするでもないのに夢であろうか、

 

 あはれなりむかしがたりもなりひらのあとばかりこそかたみなりけれ

(嗚呼、何と感慨深いこと、昔事むかしごとなるに業平なりひら麗筆れいひつあとだけはそれゆえに記念かたみとなるのですね)


何処いづこよりか颺言ようげんの耳に響けば、そうかそれ、業平なりひらの物した文であったかとその玄妙げんみょうなること道理とも思われる。

 此度こたび媒人なかうどであった女房は富士の大菩薩が権現ごんげん遊ばされたものであったかと察せらる。折々に下焦したこがれる我がうらを菩薩があわれんでいたわしくお思いになり、その恋慕の情の切なるがゆえ御利生ごりしょうを施されたということであろうか。斯有故かるがゆえにこそ、無心の木草きぐさとて有心うしんの人にもどける姿となり、無情なる水茎ふであとでさえも有情うじょうの人の如く我が眼前めのまえあらわれたやに思われてならない。

 人智の及ばぬことのおぎろにもにも不可思議なることであった。


【備考】

富士の大菩薩:「富士仙元大菩薩」の称を有する木花開耶姫このはなさくやびめの化身か。


✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿(後篇了)


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〔私訳〕桜梅草子 工藤行人 @k-yukito

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