【実録】異世界の現状

北海ハル

【実録】異世界の現状

 ふと目を覚ますと、そこは異世界だった​───などという書き出しを行う過程は既に過ぎた。


 彼は純白のベッドから身体を起こし、いつものように洗面台へ向かう。

 ついこの前まではトイレの場所すら分からなかったものだが、習慣、慣れとは凄まじいものである。夢とさえ疑うほどの屋敷の間取りを、彼は掌握した。


 冷たく心地よい流水でばしゃばしゃと顔を洗い、狂った寝相で作られた寝癖を直す。そうして前髪をかき揚げたところで、屋敷の主人である少女が洗面所へやって来た。

「あら、随分と早いのね」

 年に似合わぬ小生意気な口調で彼に声をかけ、彼もまた応えた。「ああ、ペペ。おはよう」


「おはよう。…それで?もう慣れたかしら?」

「うん、今日は完璧に迷わずここまで来られたから大丈夫。ありがとう」

「ふん…まあ屋敷の中で迷って泣かれるよりは、さっさと聞いてもらった方がマシだから、困ったらすぐに給仕を呼びなさい」

「分かったよ」


 そうして二、三の会話のやり取りをして、彼とペペと呼ばれた少女はホールで食事を摂る。


 こんがりと濃い狐色を付けた食パンに、緑の中の赤いトマトが映えるサラダ。牛人間ミノタウロスの腸詰めに、コーンスープ。

 彼の歳の頃ではなかなか珍しく整った朝食に目と口を喜ばせ、ぺろりと平らげた。


 ペペの食事が終わるのを待つ間、彼は今日のプランを練っていた。

 この世界に来てからというもの、仕事という仕事も、冒険も、恋も、何一つ行っていない。

 ただ行きずりに彼女に拾われ、何故かこうして飼い慣らされ​───もとい、命を拾われる身となっていた。

 せいぜいやっている事と言えば、ペペの買い物の荷物持ちくらいである。これでは彼女の割に合わないはずだ。


 流石にそんな堕落した生活にも嫌気がさし始めていたため、彼は昨日、街で拾ってきたビラを読みながら思案した。


『未経験者歓迎!私たちと一緒に未来を作ろう!』

『若手募集!アットホームな職場です!』


 そんな文字が踊るビラを読んでいると、いつの間にか食事を終えていたペペが後ろから覗き込んでいた。


「何よあんた、働きたいの?」

 うおっ、と彼は思わず声を上げた。

「い、いやまあ、ずっとペペの世話になりっぱなしだと負担になると思うし、だったら少しでも働いて恩返しを…と」

 一瞬、ペペの顔に翳りが見えたのは気のせいだろうか。すぐにペペは返す。

「気にしなくていいのよそんなの。まあ…あんたその方が張り合いがあるって言うなら、それは止めないけれど」


 普段の強気な口調ではなく、少し呟くような物言いに彼は違和感を覚える。

 どうしたと言うのだろう。

「ペペ……?」

 聞き返すも、返事はない。肯定も否定もしなかった。


 今思えば、あれがペペなりの優しさだったのだろう。

 ビラに書かれた住所へ働きに出てから、それを強く感じた。


 〇


 近年、異世界は他の世界線からの転生が頻発しており、本来の姿を消しつつあった。

 というか、他の世界線の文化が転生者と共に持ち寄られた影響で、異世界は彼らの元いた世界に再構築されていったのである。


 煉瓦造りの街並みは金属の足場が組まれ、数ヶ月の時を経てコンクリート造へ変わった。


 街を流れる川は水質環境の悪化で濁り、川での洗濯は不可能になった。


 街の周りを取り巻く恐ろしいモンスターたちは、の文化である機銃や手榴弾の前に倒れた。


 馬車は車に、樽は硝子に、木はプラスチックへ


 元々いた世界から救済を求める形で転生してきたはずの彼らが、いつの間にか元の世界の様相を表すように街を塗り替えていく。

 そんな状況を、ペペは一人哀しく思っていた。


 道端に異国の衣服を纏った男が倒れていると、いつもペペは「また転生者か」と連れて帰った。

 はじめは人助けの筈であったが、連れ帰る男たちから異国の話を聞く度に興味が湧き、それからは彼女の下を男が離れたタイミングで訪れる新たな転生者を拾ってきては話を聞いていた。


 そんな男たちが、異国の風景を、彼らの故郷をこの世界に再現しようとしている。


 はじめの開拓があって以降、ペペは転生者を拾うことをやめようかと悩んだ。

 しかし、それは同時に見殺しにする事でもあったために、心根が優しいペペには出来なかった。


 そうしてまた、先月も新たな男を街に放ってしまった。

 彼は今、どうしているのだろうか。


 〇


 じりじりと照り付ける炎天下の中、彼は腰に携えた安全帯を隣のパイプへ繋ぎ変えた。

「おい兄ちゃん!一時間休憩!こりゃちょっと休まねえと危ねぇわ!」親方の声が下からかかり、彼は「はぁい」と腑抜けた返事を返す。


 おかしい。

 街は開拓される様子を見せ、さながら経済成長期の東京を思い出させる。

 地上へ戻ると、ちょうど親方も同じ話をしていた。

「いやいや…あちィな、おい!30度超えてんだろ!」

「まあ、この感じだと超えてますね」

「だよなぁ!あ、ほれ、これ飲めよ。熱中症で倒れるぞ」

 そう言って親方が渡してきたコーラを受け取る。「ありがとうございます」と返して、彼はコーラのボトルを開けた。

 ぱしゅっ、と子気味良い音を立て、細かな水滴が弾ける。……なんでこの世界でコーラを飲んでいるのかは知らないが。


「にしてもなぁ」と親方が言う。

「こうしてわけが分からんまま、情緒溢れる世界に飛ばされたってのに、いつの間にやら同じようにして日本から来た人間に次々と組み替えられていくのはなんとも……作業していてこんな事言うのもアレだが、少し寂しいな」

「そうですね…」


 いつしか日は暮れており、街は夕焼けに染まる。

 完全に旧世界の文化を輸入し切れていない異世界は、昭和40年代後期を思い起こさせた。

「三丁目の夕日だな」親方は呟く。

「こうして数十年後、また俺たちがいた世界みたいな姿に変わっていくのかもな」


 転生者たちが軒を連ねる異世界。


 そこにはもう、異世界としての姿は残っていなかった。

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