第26話

 「何だ! 何が起こったんだ?」

 僕は衝撃にはね起きた。ゴドーも異変に気がついて飛び起きた。剣士ジュペに続いて、勇者シュリも起きたが、すやすやと寝息を立てている者がいた。

「トキ、起きろ。奴らがやってきた」

「え? 誰が来たって?」

「闇だ」

 それを聞いたトキの顔には、決意の色がうかがえた。外で聞こえた雷のような轟と稲妻のような光のあと、静けさが戻ったが、このあと何が起こるのか予測不可能だった。皆がドアを見つめていた次の瞬間、ガクンッと地面が下がったかと思うと、家の屋根と壁がすべて外側へと吹っ飛んだ。僕らは身体を飛ばされないように身をかがめて堪えたが、その力は凄まじく、渦巻く風にただ翻弄されるばかりだった。僕の身体はトキが捕まえ、ジュペをゴドーが掴み、シュリは壁掛けに守られ黒い風の渦から逃れた。降り立った場所はあの黒い塔の前だった。僕は思わずそれに触れてしまった。その瞬間、恐ろしい物を見た。苦しみに顔を歪ませて泣き叫ぶ亡者のような者たち。すぐに手を放したが、その衝撃と何か嫌な物に触れた不快な気分に目眩のような感覚を覚えた。

「どうした? 敵はすぐそこにいる。気を抜くな」

 ゴドーの言葉に、気を引き締めなくてはと自分を奮い立たせた。

「はい」

 ジュペはすでに二本の剣を手に、敵のいる方向に目を向けていた。暗闇の中の闇は、目に見えるものではないが、確かにそこには邪悪な何かがいる。今までとは違う。もっと恐ろしく、そして、強い力がそこにはあった。

「ソンシ」

 僕は思わずその名を言った。

「誰だって?」

 シュリは驚いたように僕を見た。闇から姿を現したのは、まぎれもなくソンシだった。しかし、様子は以前とは異なり、禍々しいほどの邪悪で重たい空気を纏っていた。

「ソンシ、目を覚ませ。お前の様な優秀は剣士がなぜ闇に心を惑わされたのだ? なあ、何とか言ってくれ」

 シュリは以前の無口だが、真面目で誠実な彼に戻ってほしいと願っているに違いないが、今のソンシに、シュリの声は届かなかった。

「知り合いなのだろうが、今は闇そのものだ。倒すしかない」

「いいえ、ゴドー。それは出来ません。僕はこの者を倒すつもりはありません。最高の剣士であり、師に忠実なこの男を殺めるなど罪深い」

「お前は太郎? それともヤマト?」

「ヤマトです。突然、こちらへ戻ってきました。そんなことより、これはとても厄介ですよ。彼を打ち負かすには僕の力は及びません。ドクーグの最高剣士、あなたしかこの役目は務まらない。闇の力は僕が押えます。ジュペはソンシの攻撃を受け止めて下さい。シュリはソンシの闇を切り裂いて下さい」

 それだけ言い終わると、ソンシからの攻撃が始まった。闇のように黒い触手がシュルシュルと鞭のように伸びて、僕を捕まえようした。しかし、まだ開眼の時ではなかった。触手をよけきれないと思った瞬間、ゴドーの杖が光った。

「俺がいることを忘れていないだろうな?」

 彼に救われた。もちろん、ゴドーの存在は僕にとって重要だった。闇と戦う仲間は一人たりとも欠けてはならない。トキも杖を振るい、幾つも伸びてくる触手をなぎ払っていた。ソンシの魔剣のような邪悪な強さに、さすがのジュペも押され始めていた。

「開眼」

 僕はある程度までひきつけたソンシに向かい、その目を開いた。眩しい光は辺りを真昼のように包んだ。皆があまりの眩しさに怯み、かがみ込んだ。勇者シュリまでも。

 光が消えかかると、その場にはソンシの姿が見えなくなっていた。

「シュリ、ソンシの闇は斬ったのか?」

 その答えは誰もが分かっていた。

「申し訳ない。あまりの眩しさに剣を振るうことができなかった」

「いいでしょう。彼とはまたどこかで会うことになりますから」

 光の勇者一行が通る街も国も荒野でも、その先々で闇に襲われ、傷跡を残して行った。ここもまた、嵐の後のような瓦礫と廃墟の街と化した。

「トキ、この街を頼む。俺は行かねばならない」

「はい、ゴドー。いつかまた、ここへ帰ってくるでしょ? それまでにボクは立派な魔術師になって、きっとこの街の英雄になっているよ」

「フンッ」

 ゴドーはいつものように鼻を鳴らして笑った。

 僕らは魔術師の街を後にして、先を急いだ。白々と夜が明け始めて、東の地平線から太陽が顔を出す。

「ゴドー、この道の先にはどんな街があるんだ?」

「知りたいか?」

 シュリの質問に、フンッと鼻を鳴らし、

「ギャングの街さ。お前みたいな王子様には似つかわしくない街」

 ゴドーの話しによると、その街では各国で定めた法律に反する様々な取引がされていて、その縄張りを二分する二つのグループに分かれているという。勢力は五分五分で、時々もめ事はは起こるが、お互いつぶし合うまではいかないらしい。だが、よそ者には相当厳しく、その街で商売しようものなら、命を取られることもあるという。そんな話を聞いて、シュリは縮みあがったようだ。

「そんな危険な街は遠回りしてでも避けて行った方がいい。わたしたちはそんなところで命を落とすわけにはいかないからな」

「いや、そうはいかねぇ。あの街は必ず寄らねばならない。避けて通ろうものなら、ギャングに命を取られても文句はいえねぇ。街を通って、通行料を支払うのが決まりだ」

 そんな話をしている間にも、その街へ向かう商人らしい人が先を急ぎながら僕らを追い越して行った。後ろから馬蹄の音がして、それがだんだんと近づいてきた。一頭の黒い馬が檻の荷台を引いていた。檻には黒い布が被せてあったが、その端が風でふわりとめくれた。そこに見えたのは、ぎょろりとした赤い目に、濡れたような光沢のある痩せた身体と、先の尖った長い尻尾。

「あれは?」

 呟くように言うと、ゴドーはそれを一瞥した。

「悪魔と呼ばれているものさ。正体は醜い姿をした生き物だ。この世の果てに人を寄せ付けない『世界を分かつ大いなる壁』と言われる山脈が連なる。その向こう側には、この世の者とは思えない、恐ろしく醜い姿をした者が棲んでいる」

「大いなる壁、そんなものが本当に存在したのか? ただの伝説だと思っていた」

 シュリが言うと、

「聞いたことがある。しかし、伝説では大いなる壁の向こうは神聖な地とされ、そこには聖なる生き物が棲むと言われていたはずだ」

 ジュペもそれについて知りたがった。ゴドーは足を止め静かに首を振り、語り始めた。


 『世界を分かつ大いなる壁』この世の果てにあり、断崖絶壁の天にも届くほどにそそり立つ、その名の通り、壁のような山脈が連なる。誰もが真実を知りたがり、壁を越えようとする者が後を絶たなかったが、登りきるどころか、転落して命を落とすこととなるのだ。それでも壁を超えるため、いつしか装備を整えてくるようになり、大いなる壁の前には宿場町までもでき、食料や武具なども売られ始めた。山脈を超える者もあったが、二度とこちらの世界へ戻ることはなかった。向こうの世界には悪魔が棲むと噂され、一人の男が興味本位と力試しに大いなる壁を越えようと挑んだ。宿場町の者たちも、多くの命知らずを送り出したが、また一人の命知らずが旅立つのを見送った。二度と戻らぬと思っていたが、その男は五日後に山脈を滑るように下り、再び宿場町へ帰ってきた。皆、その男を訝し気に見ていたが、一人の女が尋ねた。

「あんたは、あの大いなる壁の向こうへ行ったのかい?」

「ああ、行ったさ」

「それで、どうして生きてここへ帰って来れたんだい?」

「向こうの者に、一つ種を置いて行けと言われた。その通りにしただけだ」

「向こうには何がいたんだい?」

「この世の者とは思えないような醜い化け物だ」


「その男は口止めされていたことを、軽々と口にした。そのためか天から罰を与えられたのだ」

 僕にはその話しに出てくる男は、ゴドー本人ではないかと感じた。回想するかのように遠い目をしていたから。

「それで、その男は何の種を置いて来たのだ? そして、そんな罰を受けたのさ」

 ゴドーはフンッと鼻を鳴らし、それは愚問だと言わんばかりに、シュリを一瞥し、再び歩き始めた。シュリは本当に理解できなかったのだろうか? 僕には分かる。『世界を分かつ大いなる壁』の向こう側の世界は、様々な生き物を掛け合わせた亜種の生息地。更なる変化を求めて、人の血までも取り入れようとしたのだろう。特にゴドーのような特殊な力を持つ者など、うってつけの材料に違いなかった。

 ギャングの街セルジウスに着いたのは夜も更けるころだった。街は眠ることを知らないのか、品のない煌々たる光で満ちていた。外では僕の知らない博打を打っていて、男が大声をあげて悔しがっている。見たこともない生き物を鎖でつないで歩く男もいる。人に話しかけて何か交渉しているようだ。話しかけられた男はかがみこんで生き物を見ていた。背丈が僕の腰あたりまであるかないかで、耳が大きく身体の色が灰色で服は身に着けていないが、二足歩行する奇妙な生き物だった。

「あんまりきょろきょろするんじゃねぇ。こっちだ、ついてこい」

 僕らは珍しい光景に気を取られていた。ゴドーが早く来いと急かすように先を歩く。ギャングのリーダーの一人が、ゴドーとは顔見知りだという。大通りの一角に大きな建物があって、ゴドーはそこへ入っていった。

「いらっしゃいませ!」

 割と綺麗な若い女が白いドレス姿で出迎えた。

「お兄さん、お見掛けするのは初めてね。旅の方かしら? ここにいらっしゃるなんてお目が高い。けれど、ここは少々お高いですよ。それに、お子様をお連れでは似つかわしくない場所ですよ。宿をお探しならば、他を当たられたらよいかと思いますよ」

 ゴドーはフンッと鼻を鳴らし、

「ロンダにゴドーという者が来たと伝えてくれ。ここで待つ」

 と一言言った。綺麗な顔の女は怪訝な表情を見せた後、

「少々お待ちください」

 と言って、奥へと入っていった。しばらくして、真っ赤なドレスを着た背の高い女がやって来た。腰に締めたベルトには、拳銃が左右一つずつ。ハイヒールのショートブーツには小型ナイフが装備されていた。いつでも戦えるということだろうか? それほどここは危険な場所なのだろう。

「おや、ほんと。ゴドー、あんた生きていたんだね」

「ああ、おかげさんでな。あんたも変わらずご健在とはな」

「どういう意味さ」

 ロンダは口元を緩ませた。

「元気で何よりだ。突然の訪問ですまねぇが、俺たちは旅を急いでいる。あんたの口利きで、ここの通行と次の街の通行を許可してもらいたいんだ」

「なんだい、そんなことかい。まあ、あたしを頼って尋ねてきてくれたんだからね。それぐらいの事はしてやるよ。ただし、事情を説明してもらわないとね。ガキを連れてるなんて、あんたらしくない。よほどの事があるんだろう? 奥の部屋で話しを聞こうじゃない」

 案内された部屋の戸を閉めると、厚みのある鉄扉であることが分かった。

「ああ、扉ね。ここはシェルターだよ。こんな物騒な街だから。自由に座って。ゴドー、さあ、あんたの旅の話しを聞かせてよ」

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