第4話 約束と呼び出し

 一通り叫び終わった二人はテーブル席に移っていた。対面の椅子に座っている女子生徒は俯いたまま、小動物のようにシュンとしている。ボサボサに伸びた金髪と丸眼鏡、加えて怪しげな白衣が目に留まる。なんてことを冷静に分析している場合では無い。席に着いたは良いものの、沈黙が気まずいのだ。机上に並ぶぐちゃぐちゃになったプリンと半分くらい零れてしまった缶コーヒーが更に彼女の罪の意識を加速させているような気がして、もっと居心地が悪くなってきた。


「あの~、それで、あなたはなんでベンチの下にいたんですか?」

「え、えっと……。その……」


 思わず慧が口を開くと、それを待っていましたと言わんばかりに、彼女は弁明を始めた。それを要約するとこうだ。

 四時間にも及ぶ退屈な授業を終えた彼女は、四時限目終了を告げるチャイムと同時に教室を飛び出し、いつも昼食を摂っているこのテラスに駆けこんだのだそうだが、ここに来て昼食を持ってきていないことを思い出した彼女はベンチに座り込み、今から購買に行くべきかと考えたが、そもそも財布も持ってきていないことに気付き、絶望した後にベンチに寝転がったらそのまま眠ってしまったらしい。そして大層寝相の悪い彼女はそのままベンチの下に転がり込み、自分の好物であるブラックコーヒーの匂いと甘味の気配を感じ取って急に目覚め、目の前にあった椅子の足に捕まったと思ったら、それが慧の両足だった。とのことであった。


「は、はぁ、なるほど……」


 正直信じられない。信じられるわけが無いだろ! と思った慧は苦笑いをしながらも、一応賛同の意を示した。が、やはり完全に納得がいったわけではない。ところが、


「わ、分かってくれるのかい? 僕の第六感の素晴らしさを!」

「え? えっと、第六感?」

「イエス! シックスセンスさ!」


 あまりの突拍子の無さと、一転した彼女の態度に驚いた慧は口をあんぐりと開いたまま硬直し、今何が起きているのか再度考えたが、結局分からず仕舞いであった。


「どうしたんだい、君? ……あぁ、これは失礼。僕は宇留島輝虎うるしまてとら。二年生さ」


 彼女はそう言うと椅子を倒すような勢いで立ち上がり、慧に右手を差し伸べた。握手でも求めているのかと察した慧が静かに立ち上がると、彼女が自分とほとんど同じくらいの身長であることに気付いた。


「さ、手を出して。友好の握手を」

「あ、はい。俺は風見慧です。一年です」


 慧はそう言いながら手を差し出し、二人は握手を交わした。


「そうか、君は新入生だったのか。全く情けない姿を見せてしまった。アハハハハ!」


 輝虎はそう言って笑い飛ばすと、慧との握手を解いて再び席に着いた。そして真剣な面持ちになり、慧のことを見上げ、


「ところで君、このコーヒーとプリン。食べないのかい?」


 と言った。


(ここに来て物乞いかよ……。まぁ良いか。これ以上絡まれるのも嫌だし)


 そう考えた慧は「えぇ、良いですよ」と伝え、開封していないプラスチックのスプーンを渡し、一礼してテーブルから離れた。


「君、どこに行くんだい?」

「どこって、教室に戻るんですよ」

「なぜ?」

「なぜって、授業が始まるからですよ」

「なに、もうそんな時間なのかい! 分かった。今日のお礼はまた今度にしよう。君は先に戻りたまえ。僕はこれを食べてから行く!」


 輝虎はそう言いながらスプーンを袋から取り出し、シートを剥がしてぐちゃぐちゃになったプリンを食べ始めた。


(はぁ、今日はやたらと変な奴に絡まれるな)


 そんなことを思いながら、慧は教室に戻った。


 その後、通例となっている自己紹介だけの五時限目を過ごした慧は、こちらも通例となっている個室トイレへと向かおうと席を立つのだが、


「おい、今度は逃がさねーぞ」


 と、変な奴の一人に暫定している友宏が、椅子の横に立って慧の進行ルートを妨害した。


「逃げるって……」


 別にそんな親しいわけでも無いのに。と言ってやろうかとも思ったが、それは流石に堪えた。


「お前、いつもトイレ行くじゃん。もしかして頻尿気味?」

「いや、そう言うわけじゃ」

「え、じゃあまさか、お前学校の個室トイレでエロ画像でも見てんのか!」

「そんなわけ無いだろ!」


 遮るようにそう言うと、慧は急に周りの目が気になって、首をすくめながら目を泳がせる。こちらを見て笑っている奴は数人いるが、恐らくアレは友宏の突飛な発言に笑っているだけだよな。うん、そう言うことにしておこう。決めつけた慧が息を整えながら座り直し、友宏から目を逸らそうと視線を左に送った瞬間、こちらを見ている伊武と目が合った。数秒間見つめられた後、彼女は「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「そんな全力で否定するなよ。本気だと思われるぜ?」

「はぁ、君……。友宏が変なこと言うからだろ」

「まぁまぁ、そう怒るなって。お前がトイレ行っちまうと暇なんだよ。今度からは一緒に行こうぜ」

「いや、それは流石に」


 慧は苦笑いで返しながら、確かに休み時間の度にトイレに駆け込むのは怪しすぎるよな。と考えを改めつつも、伊武と目が合ったこと、鼻で笑われたことの方が気になってしまい、その後の友宏との会話は上の空で聞き流したのであった。


 六時限目終了のチャイム。普段ならば(やったー、下校だ!)なんて思っていたこのひと時が、今日は億劫に感じられる。授業終わりにはすかさず近寄ってきていた友宏も、チラリと慧の方を向いてガッツポーズをして見せ、部活動に行ってしまった。


(こういう時は薄情な奴だな。まぁいいや、一旦人がいないところに行ってラヴィと作戦会議でも――)

「ねぇ」


 考え事をしながら立ち上がった直後、左隣から声がした。そちらを見ると、伊武が上体を起こして慧を見ていた。少し長い銀色の前髪が左の瞳を薄く隠しているせいか、右目ばかりが強調して見える。その色素の薄い気だるげな瞳は、真っすぐに慧を見つめていた。


「な、なに?」


 間が空いてしまったことに焦った慧は、声が裏返らないように注意して、自分は至って平静ですよと言った様子でそう返した。


「あなた……。帰るつもり?」


 尋問でも始まるのかと身構えていた慧だが、その続きは意外にも、単なる質問であった。


「いや、帰らないよ。ただ、その……」


 ラヴィと会話をするためにトイレに行く。と正直に言えれば良かったのだが、当然そんなことは言えない。だからと言って、トイレに行く。とだけ言ったら、五時限目終わりの十分休みで聞かれた会話がいよいよ本当なのではないかと邪推されかねない。話しながらそこまで考え至った慧は徐々に徐々に言葉を濁していった。


「ま、いいや。どこか行くなら早く行って来て」


 言葉から誤魔化しを悟ったのか、伊武は慧の言葉を遮るようにそう言うと、視線を外して窓の方を向いてしまった。


(これはマズいか……。でも、ラヴィと話さないわけにはいかないし……。いや待てよ、むしろここでトイレに行かない方が、エロ画像をトイレで見ていることを認めているみたいにならないか? うん、そうだ。別には俺は後ろめたいことをするためにトイレに行くわけじゃない。ただトイレに行くだけ。何もおかしいことなんかない。それに、さっさと話を済ませて帰ってくれば良いだけだ)


 そうして自分を胸の中で正当化した慧は、「すぐ戻ってくる」と彼女の背中に言葉を残し、個室トイレに向かった。


【遅かったですね、ご主人。私は暇でしたよ。プンプン!】

「悪い。ちょっと色々あってさ」

【あの隣の席の方ですか?】

「え? うん。まぁそうだけど」

【なんですか、その顔は。そちら側の声はいつでも聞こえているんですよ?】

「あ、まぁそうか。イヤホンはあくまでもラヴィの声を聞くためだもんな」

【えぇ、そうですとも】

「そう考えると……。せこい奴だな」

【な、何ですと! 失礼な!】

「悪い悪い。っと、こんな言い合いをしてる暇も無いんだ。ひとまず、片耳だけイヤホンしていくって感じで良いか?」

【全く、ご主人は自分勝手なんですから……。良いですよ、それで】

「こんなんで拗ねるなよ。ちょっとからかっただけなのに」


 興が冷めた調子でそう言うと、慧は左耳にだけイヤホンを装着して立ち上がった。


【ハッ! からかってくれるほど親密になったという事ですね!】

「あぁ~、まぁ、そんなところかな」

【もう、ご主人ったら! 照れ隠しですか!】

「はいはい。もう教室に戻るから、ちゃんと仕事してくれよ」

【お任せあれ!】


 その後も話し続けるラヴィを無視して、慧は自分の教室に戻った。


「ごめん、お待た……せ……」


 教室の後方にあるスライドドアを開けて伊武に謝罪をしながら教室に入ったつもりの慧だったが、その視界には一人しか映っておらず、しかもそれが雀野璃音だったので、慧は何かを察したように言葉を小さくしていった。


「いい度胸ね。このあたしから逃げようなんて」


 腰に手を当てて仁王立ちをしているその背中からは、太く低い声が慧を威嚇するように響いた。


「い、いや、違うんだって。その、ちょっとトイレに行ってただけで。それにほら、ちゃんと戻って来ただろ?」


 猛る動物を宥める調子でそう言うが、効き目があったようには見えない。


「そう言う問題じゃないの!」


 勢いよく振り返り、キッとこちらを睨みながらそう言うと、口をわなわなと震えさせた。そして、


「約束……。約束したんだから、その時間にその場所に居なさいってことよ!」


 大きな瞳が怒りによって鋭くなり、彼女はその表情を保ったまま一歩一歩慧に近付いてくる。その鬼気迫る姿を見た慧は、昨日昇降口で見た彼女を思い出していた。


「で、あの女は?」

「え、えっと。俺がトイレに行く前はここにいたんだけど……」

「本当に?」

「うん。それに、ちゃんと残るつもりだって言ってたし」

「ふーん、あっそう。でもあの女は帰ったってことね?」

「まぁ、そう言うことになるのかな?」

「はぁ、二人してすっぽかされたってことね」


 璃音はそう言うと、手近にある椅子を引き出してそこに腰かけた。


(ここからは……。どうすればいいんだ……?)


 先ほどまでの勢いは失せ、静かに座っている璃音を見た慧は閉口した。このまま帰ってしまって良いのか。それとも話の続きがあるのか。彼女が話を切り出さない限り、慧にはどうしようもなかった。すると、


【何をしてるんですか。話を広げて下さい!】


 早速アドバイスが飛んできた。


「広げるって、何をどうするんだよ……!」


 璃音から顔を逸らした慧は、極力声を抑えてそう言った。


【もう~。しっかりと彼女の話を聞いておかないと! 恋愛のヒントは、会話に潜んでいるのですよ!】

「それは後で聞くから、今は早く答えを教えてくれよ……!」


 時折璃音がこちらを見ているような気がした慧は早口で答えを急かしたが、ラヴィから返答は無い。


「おいラヴィ……!」

「ちょっとあんた、さっきから何してんの?」


 流石に怪しい動きを長くし過ぎたのか、ついに璃音がそう切り出した。


「え、あ、いやー、えっと」


 と、誤魔化しつつ、


(考えろ、考えろ、雀野璃音は何を話してた。まずは俺と江波戸伊武がいなかったこと、その後に約束が云々、すっぽかしが云々……)

「まさか、無視して逃げるつもり?」

「い、いやいや。約束をー、すっぽかされて、凹んでたんだよ」


 全く思ってもいなかったが、頼りに出来るのはラヴィのアドバイスのみだったので、慧はダメもとでそれに従って璃音との会話に関連がありそうなことを片言になりながら雑に並べてみた。すると彼女はぎろっと慧のことを睨み、鼻で笑った。


「ふんっ、まったく、こんなことで凹むんじゃないわよ」


 罵倒しているような、見下しているような返事が来たが、内容に反して彼女の声音や表情はどこか晴れやかであり、言われた慧もそこまで嫌な気はしていなかった。


「そ、そりゃ誰だって約束をすっぽかされたら凹むだろ!」


 会話の流れからつい強めの口調で反論してしまった慧は、マズいと思ってすぐに口を噤んだ。


「ま、まぁ、そうね。……あっ、あたし、もう部活の時間だから」


 慧の言葉にたじろぎを見せた璃音は、チラリと時計の方を見てわざとらしく声を上げた。そして勢い良く席を立ち、スタスタと慧の横を抜けて廊下に出た。と思うと、またすぐに立ち止まった。


「これで終わりじゃないから! あの女が来なかった代わり、あんたに埋め合わせしてもらうから覚悟しておきなさい!」


 少しも振り向かずにそう言うと、璃音は隣の教室に駆けこんだ。


「あ、ちょっと! ……俺が埋め合わせするのかよ」

【まぁまぁ、丸く収まったのですから、良しとしましょうよ】

「丸く収まったのか?」

【えぇ。お隣の席の方も救えて、しっかりと彼女の心も抑えられましたよ】

「あんなので?」

【はい。彼女の会話から話題を広げ、かつ彼女の傷を癒すような言葉をかけることが出来たと、私は思いますよ】

「ふーん、まぁそれなら良いけどさ。なんですぐに答えを教えてくれなかったんだ?」

【私はあくまでもナビですから! 答えに辿り着く運転は、ご主人本人にしていただきますとも!】

「はぁ、マジか。そう言う感じね……」


 慧は悪態を垂れながらも、心の中では(確かにラヴィのアドバイスを頼りにしたから乗り切れたのかもな)と、多少はラヴィの功績を認めつつ、鞄を背負い直して廊下に出た。


「まぁいいや、今後お前を使うかは、家に帰ってから決めるよ」

【何ですと! 使ってくれなくては困ります! それかせめて、せめてお話だけでも……!】

「それも後で考えるよ。とにかく今日は、さっさと家に帰って休みたいんだ」


 たったの一日で様々な出会いに揉まれた慧は、全身から疲労困憊のオーラを発しながら階段を下って行き、昇降口に辿り着いた。後はこのまま靴を履き替えて帰路に就くだけだ。と思ったその時、再び彼に災難が降りかかるのであった。


「お、ようやく来たな」

「え?」


 声がした方を振り向くと、そこには昼休みに会った熱血学年主任が仰々しく立っていた。


「風見、職員室に来い。少し話がある」

「あ、ちょっと!」


 学年主任の男は自分本位に言うと、慧の意志などお構いなしに、右手に持たれている革靴を下駄箱に押し戻し、そのまま慧の右腕を掴み、罪人を無理矢理処刑台に連れ出すように慧を職員室へ連行するのであった。

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