議題「異世界召喚前にやるべき事」

めざし

何事も全力で取り組もうぜ!

 桜ヶ丘高等学校。


 旧校舎の1階のとある教室のドアには、A4用紙に「おたく研究会」と大きく書かれた張り紙が張られている。


 その教室内。

 どんよりとした梅雨空の下、だらけ切った3人はいつも通り思い思いの作業に没頭し時間を潰していたはずだった。


「お前達、最近たるんでるんじゃないか!?」

 教壇位置に立つヒデは机をバンっと叩いた。


『『また何か始まった』』


 他2名の心の声は同じだった。


 おたく研究会とは、世のおたくの生態を観察、研究し世の為人の為に……では無く、

 単に漫画やゲーム好きでコミュニケーション能力が低く、でもすぐに家には帰りたくない幼馴染3人によるの帰宅部員の集まりである。


 現在、ヒデを入れてナナ、健一の3名。

 通常彼らは放課後、思い思いの作業に没頭し会話などほとんどしない。

 しかし事あるごとに自称リーダーのヒデが、このような突拍子も無い事を言い出し、皆を強制的に巻き込むのだ。


「たるんでるって?」


 紅一点のナナは、視線を上げずに単行本をパラパラ捲りながら尋ねる。

 ヒデは大きく深呼吸すると、それはそれは大きな声で叫んだ。


「こんな状態じゃ、異世界召喚されても生きていけないだろうがぁああああ!!!!」



 さすがに驚いたナナと健一は顔を上げる。


「は?マジ何言ってんの?!」

「異世界?」


「ようやく事の重大さに気付いたようだな」

 ヒデはニヤリと笑う。


「と言う事で、今から第1回ハイレベルミーティングを始める」

 ヒデは声高らかに宣言した。


「は?」

「ハイレベル、ミーティング……?」


 ヒデはいそいそとチョークを用意し、黒板にダイナミックに書き始めた。


‘異世界召喚前にやるべきこと’


 書き終えたヒデはバンっと勢いよく手のひらで黒板を叩く。

「議題は、異世界召喚前にやるべきことについてだ」


 せっかく書いた黒板の文字がヒデの手のひらにベッタリ付き、袖で擦れた文字はいささか読みづらくなった。


「異世界……」

「やるべきこと……」


「ちなみに今回の議題は異世界召喚であって、異世界転生では無いので注意するように」


 こいつ突然何言い出したんだと2人は思ったが、ここは幼稚園からの付き合い。

 ヒデの性格を嫌というほど知っていた2人は、とりあえず聞く姿勢に徹することにした。


「我々人類は、いついかなる時も、強制的異世界召喚によって、異世界に飛ばされ、全く別の人生を歩むかもしれないと言う不安を、常に抱えている」


 ヒデはやたら小刻みに句読点を入れ、ハキハキと憂いを帯びたように話す。


『『いや、全く』』

 図らずもナナと健一、2人の心の声は一致していた。


「そこでだ!!」

 ヒデは何故かドヤ顔で一呼吸置く。


「これから召喚前の事前準備について議論、共有したいと思う」


 これは何かの新しい遊びか、それとも本気なのか2人はマジに混乱した。

 だがヒデはそんな2人を完全に無視し、新しい文字を黒板に書いていく。


 ①スキル取得について


『『①と言うことは②もあるのか・・・』』


「まず、召喚されるにあたり最も大事なのは異世界で生き抜く為の力、スキルである。

 これの良し悪しでモブになるかチートになるかが決まる訳だが……ここまでで何か異議のあるものはいるか?」

「異議あり!!!!」


 ぶんっと空気を切る音が聞こえる程勢いよく手を挙げたナナに、隣に座る健一は若干身を引いた。

 ナナには何か思うところがあったらしい。


「おお、ナナ、何だ」


 ヒデはナナを指さすと、ナナは言われてもいないのに勢い良く席をたちあがった。


「確かにスキルはとても大事だと思うけど、私の統計では召喚された大部分の人間が凄いチート能力を持っていて、こっちの世界で可もなく不可もない顔面偏差値でも異世界では何故か気が付いたらモテモテウハウハでハーレム、逆ハーレムになっているので、特に議論及び共有することは無いと思います!私もそのつもりでいます!」


 可もなく不可もない顔面偏差値のナナが言い切る。


『『何?お前逆ハー狙いなの?』』

 男子2名は若干引いた。


「ゴホン、ナナありがとう、話は分かった。だがしかし」

「何よ?」


 ヒデは片方の眉を器用に上げると

「お前は今、『召喚された大部分の人間が』と言ったな」

「ええ、確かに」

「お前がもし、その大部分の人間から外れた存在だった場合どうなる」

「っ!!」


 ナナは激しく動揺した。


「気付いたようだな。そう、せっかく召喚されたにも関わらずモブとなるのだ」


 勝ち誇ったかのようにナナを指差しながらヒデは言い放った。


 もう好きにしてくれ、と思いながら健一は空気に徹する。


「そっ……そんな~」


 ナナは崩れ落ち、机に突っ伏してマジ泣きし始めた。


「せっかく夢にまで見た異世界召喚を果たしたのに、モブなんていやあああああ~」


『『夢にまで見たんだぁ~~』』


「現実はモブでも、召喚されれば公爵や第2王子からやたらモテて、婚約破棄とか、聖女とか色々あって、隣国の王子に溺愛されて、剣と魔法と筋肉でウハウハな私の夢がぁ……」


 特に必要の無い情報ではあるが、ナナは筋肉フェチであった。


「落ち着けナナ、だからこそスキルが大事なんだ」

 ヒデはナナの所まで歩き、そっと肩に手を添えた。


「……?」

 ナナは机から顔を上げる。


「俺の統計ではほぼ間違い無く、召喚前、つまり現実世界で得意だったものが召喚後スキルとして引き継がれる。逆にこれを利用するんだ」

 安心しろ、とヒデはキランと前歯を見せて笑った。


「現実世界で得意なもの……ぱっと思いつかないし」

 しょぼんとナナは肩を落とす。


「じゃあ逆にどんなスキルが欲しいんだ?異世界に行ったらやりたい事とかなりたい職業とか」

「やりたい事……」

「ほら、何かあるだろう?遠慮せず言ってみろよ」


 ヒデは内心非常に焦っていた。

 何せナナがマジ泣きした姿など、幼稚園以来見たこと無い。何とかナナのテンションを上げさせようと必死だった。


「あっ」

 ナナはぱっと顔を上げる。

「私聖女になりたい!それで精霊に愛されて愛し子とか呼ばれたい!!」


 ぱあぁぁぁ

 効果音を付けると、まさにこんな感じである。

 先程の泣きべそ顔などどこへやら。

 瞳にはキラキラした輝きが戻り、頬が朱に染まっている。

 機嫌が良くなる事は良い事だ。


『聖女とはまた大きく出たな!』

 などと口が裂けても言えないヒデは、

「そうかそうか」とひたすら無意味に頷いた。


 隣の席の健一はひたすら無言を貫いている。

 そう、健一は空気の読める男子高校生なのだ。


「聖女のスキルと言えば……」


 次第に教室の空気が暖まってきたと感じたヒデは、速やかに話を戻した。


「聖属性で神託、浄化!回復とかか?」

「そうそう、それで超絶美形の精霊王に超絶愛されるのよ!」

 ナナは意気揚々と答える。


「そ、そうか、だったら……」

 ヒデはしばし考えながら、


「だったら?」

「まず般若心経暗記な。それから夏休みに入ったら近くの寺で滝行してこい」

「………………は?」


 唐突なヒデの提案に、ナナは頭が白くなった。


「それとお前ん家、仏壇あったよな」

「居間にあるけど」

「お前今日から毎日線香あげてきちんと手を合わせろ」

「ん?」

「それからお盆に婆ちゃん家に行って、しっかり墓参りもしてこい」

「待って?いや勿論そのつもりだけど……それって聖女と関係ある?」


 こいつ何言ってんの?

 ナナは眉をひそめた。


「関係あるか無いかではない!今やれる事を最大限にやるんだよ!!聖女になる為にやるべきことを!聖女に向けて!!聖女の為に!!!聖女らしくぅ!!!!」


 ヒデのとんでもない声量と勢いにナナは固まる。


「すまない、何ていうか説明が難しいんだが……現実世界で聖女っぽいと思うことをやっていけばスキルレベルが上がると思うんだ。聖女風と言うか、漠然とした聖女への道と言うか方向性と言うか熱量と言うかベクトル?」


『『ベクトルと言いたいだけでは?』』


 ヒデは昨日習った数学用語を得意気に使う。ちなみに授業中寝ていたので意味は全く分かっていない。


「つまり聖女っぽい事をどんどんすれば良いのね」

「そういう事」

 違和感を感じながらも何となくナナは理解した。


「後は浄化と回復か……」


 ヒデはボソリと呟くと、

「ナナ、お前これからマキ○ンと絆創膏鞄常備な」

「……了解」


 全く解せないナナであったが、ここは従うことにした。


「健一も何かあるか?聖女と言えば、みたいなの」


 ヒデは何気なしに健一に話を振ったのだが、

「ああ、それなら」

 何故か健一は姿勢を正して座り直した。


 何か思うところがあったらしい。

 健一はくいっとメガネを引き上げた。


「聖女なら絶対に肌と髪の手入れを怠ってはならない。何故ならば常に神の加護の下輝いていなければならないからだ」


『『何が始まった?』』


 ヒデとナナの心はざわついた。

 どうやら健一は、聖女に対して並々ならぬ思い入れや拘りがあるらしい。

 健一は続けた。


「毎日の美白、最低週2回のスクラブ、バスソルト等による半身浴と入浴後のリンパマッサージは必須だ。ジェルネイルは論外、ヘアカラーなどもっての外。いつも優しい花の香がしており、それから」

「「それから?」」

「下着は白のみ!」


 ばーん!!

 効果音を付けたらまさにこんな感じである。

 健一は勝ち誇った顔でそう宣言した。


「はあ?」

「分かる!」


 ナナは激しく困惑し、ヒデは激しく同意した。


「しかもただの白ではない!繊細なレースをふんだんに使った白。pure whiteだ!!!」


『pure white』を異様に発音良く言う健一に、ナナはかなりイラついたが、


「それな!」

 何故かヒデと健一はしっかりと握手を交わす。


「補足しておくと、布とレースの割合は7:3が望ましい、が……そうだな、6:4でもギリギリ可だ。お前が似合うか似合わないかはこの際置いといて、形から入る事はとても重要だ」

「さらっと失礼だな、おい」

「そうと決まったらナナ、お前全部下着買い替えろ」


 ヒデは容赦なく命令する。


「はあ!?ふざけんな!女子の下着がどれだけ高いか知らないだろうが!」

「知ってるさ」


 健一は答えた。

 特に必要ない情報だが、健一には歳の離れた恐姉がおり、日々を五体満足で生き抜く為にありとあらゆる女性の情報収集が欠かせないのである。


「ナナ。これは、聖女にとって何物にも代えがたい程の重要案件なんだ」

「白のレースの下着が?」

「「勿論」」

 ヒデと健一は、今日一の笑顔で頷いた。



「ところで込み入った事を聞くが、ナナのバストサイズはどれだけだ?」

「ええええ!?何で?!」


 突然の健一のセクハラ発言にナナは困惑する。


「簡単な話だ。聖女のバストサイズはAマイナスかE以上の2択しか存在しないからな。

 もしお前が中途半端なBやCやDであるならば、努力してどちらかに寄せろ」

「ちゅ、中途半端だと……」

 ナナは膝から崩れ落ちた。


「小さくしたければさらし等で潰せ、大きくしたければ唐揚げとキャベツ、イソフラボンを意識して爆食いするんだな」

 健一は優しくアドバイスする。


『何でこいつ、こんなに詳しいんだ?』

 ヒデは若干引き気味であった。


「ほら、落ち込んでる暇があったら、ToDoリストをノートに書くんだ」

「む~」


 ナナはしぶしぶ鞄からお気に入りの手帳とペンを取り出した。



 ☆これからやること☆

 ①般若心経暗記

 ②滝行

 ③毎日仏壇に線香をあげて手を合わせる

 ④お盆にお墓参りをする

 ⑤マキ○ンと絆創膏は鞄に常備

 ⑥髪と肌のケアをきちんとする。ジェルネイル、カラーはしない

(美白・スクラブ・半身浴・リンパマッサージ等々)

 ⑦優しい花の香りの香水を使う

 ⑧下着を全部白のレースに買い替える

 ⑨唐揚げとキャベツ、イソフラボンを爆食いする


「まあ思いついたら都度言うが、お前も常に聖女らしい事を考え、聖女に恥じぬ行動を心掛けるように」

「ワカリマシタ……」

「次、健一」


 ヒデは健一を指差した。


『やっぱり俺もあるのか……』


 健一は心の中で項垂れた。

 ちらりと盗み見た腕時計は、4時半を少し回ったところ。

 放課後はどうやら始まったばかりのようだ。


「健一、お前はどうだ。今現在得意なスキルはあるのか?」


 ヒデは健一に尋ねた。


「いや、俺は……」


 素っ気なく答えながらも、健一は脳内を高速回転させていた。


 得意なスキル、分野……。


 もし異世界で自分の得意分野を余すところなく活かせるのならば、それは嬉しい限りである。

 しかし残念ながら、今の健一には全く思い付かなかった。


「…………」

「…………」

「…………」


 教室に長い静寂が訪れる。


「う~ん。ほら、健一って何か頭良さそうじゃん。理数系?っぽい?だから賢者とか向いてそう~」


 身長164センチ、体重56キロ。

 黒髪をセンター分けしており、現在黒ぶち眼鏡をしているのが健一の外見だ。


 沈黙に耐えかねたナナが、気を遣って口を開く。しかしその言葉に健一はおもむろに立ち上がり、ナナをギロッと睨んだ。


「ここで軽はずみな言動は控えてもらいたいものだな」

「え……軽はずみ?」


 ナナは健一が何故怒っているのか理解出来なかった。


「その『理数系』と言う言葉だ」

「?ごめん、実は文系だったとか?」

 ナナは言い直したが、


「だからそう言う所なんだよ!!」


 バンッ!!と健一は力任せに机を叩いた。

 ヒデとナナの身体がびくっと揺れる。


「お前達分かっているのか?そもそも『理数系?文系?』と言う問い自体が既におかしいという事を!そうさおかしい、ちゃんちゃらおかしいんだよ!!」


『『ちゃんちゃら……』』


 2人は、何故健一がここまで切れているのかさっぱり理解出来なかった。

 しかし健一は声を張りながら、ほぼ息継ぎ無しで話し続ける。


「その問いの正確な意味は、『あなたは理数系の方が得意ですか?それとも文系の方が得意ですか?』だ?」

「え、あ、はい」

「何故そもそも二択なんだ?」

 健一は真顔でナナにズイッと詰め寄る。


「これと同様の問いに『甘党?辛党?』『きのこ派?たけのこ派?』『猫派?犬派?』等々上げ出したらキリがないが、この問いこそ不完全、いや間違っていると俺はここではっきりと断言させてもらいたい」


 ナナは何故だか分からないが、健一のとんでもない地雷を踏み抜いてしまったようだ。


「甘党か辛党か。ハッキリ言って俺はどちらでもない。むしろ出汁のきいた薄味が好みだ。きのこたけのこ?俺はチョコが嫌いだ。犬派猫派?俺は人間以外の動物が大嫌いだ。虫は好きだが。理数系文系にしても同じだ、俺は勉強自体が嫌いだ」


 誰も聞いていないのに、健一はうんうんと頷きながら自分の好みを答えていく。

 確かに健一は小さい頃、外出先で蜘蛛を捕まえては自分家の居間の天井に放して、


「俺んち蜘蛛飼ってるんだ!」

 と嬉しそうに話していた。

 まあ暫くして、やたら蜘蛛が多い事に気付いた彼の姉にバレて、ボコボコにされていたが。


「つまり、質問する相手はどちらか一方を必ず好きでなければならない。俺のように勉強自体が嫌いで苦手な奴に気軽に『理数系?文系?』なんて質問しようモンなら、『理数系か文系か……自分は勉強自体が嫌いだから理数系なんてあり得ない。それじゃあ文系か?いやしかし文法は意味分からんし古文や漢文、漢字は大嫌いだ。本を読むと言ったって漫画かラノベくらいで、これで果たして胸を張って文系と言えるのだろうか?いや、言えまい。それじゃ理数系か?んな訳あるか。と言う事はやはり文系か。そうだな、どちらかと言えば文系か?』と言う凄まじい葛藤が脳内で繰り広げられるのだ。これは誠の文系タイプの人間には失礼であり、その後罪悪感に苛まれる俺の気持ちが分かるのか?お前達は。分からないだろう!どうせ見掛け倒しだよ、俺は!!」

「な、なんかごめん」


 健一には余程のトラウマがあったのだろう。

 ナナは反省して素直に謝った。

 そして実はヒデはそのトラウマを知っていた。


 隠す程でもない。

 小学校3年の時、健一は隣の席のよしこ、通称よっちゃんに算数の質問をされて答える事が出来なかったのだ。

 その時よっちゃんはため息と共にぽつりと呟いた。

「何か、見た目と違うね」と。


 この時既に眼鏡をかけていた健一。

 完全によっちゃんに、見かけ倒しと認識されてしまった。

 よっちゃんに甘酸っぱい恋心を抱いていた健一は、子供心に大層傷付いた。

 まあ、恋心と言っても自分に笑いかけてくれたよっちゃんに、

「あれ?この子俺の事好きなのかな?」

 と勘違いして、勝手に好意を持ってしまっただけなのだが。


「大丈夫だ、お前にも良いところはある」

 ヒデは涙ぐみながら健一の肩にそっと手を置いた。


「……良いところ?」


 トラウマを刺激された不機嫌な健一は、じろっとヒデを睨む。


「ああ、お前、小6の海浜遠足の時、海で溺れただろう」

「?……ああ」


 それが何か?

 健一は疑わしげに眉間にシワを寄せる。


「あの時、あの場にいた誰もが思った。『ああ、あいつ死んだな』って」


 ひどい言われようである。

 ナナは静かにヒデの話に耳を傾けていた。


「大波が押し寄せてあっと言う間に波に攫われたお前は、運よく尖った岩に海パンの紐が引っかかり、脱げてフルチンになりはしたが何とか砂浜まで辿り着いた。つまりお前は……」


 その時の状況を、ナナもはっきりと覚えている。

 岩に海パンを奪われフルチンだったが、どこかで見付けた海藻で乳首だけ隠した健一は、フラフラとした足取りで何とか砂浜まで上がって来たのだ。

 チンも足取りと同じく、フラフラと揺れていたのは内緒だ。


 その姿を見て、きっと誰もが思っただろう。


 隠す場所、おかしくない?

 そもそも男子は最初から乳首は出ているのでは?


 あの頃ナナは子供ながらに大層不思議に思ったものだ。


「……お前は?」


 健一はヒデの次の言葉を待った。

 ナナを尻目に2人の話は続いている。


「つまりお前は海の神に愛されているのだ!!」


 ヒデは満点の笑顔で健一に告げた。


『む、無理があるのでは……』


 恐ろしいこじつけっぷりに、ナナはヒデの顔をチラリと盗み見る。

 すると彼は満面の笑みを浮かべてはいるものの、額からはつうっと汗が流れ落ちていた。

 どうやら本人も、かなり無理がある事は十分理解しているようだ。


「海の神、だと?」


 健一は茫然と答える。


「そうだ。つまりお前は、海の神や水の精霊の加護を持つ水魔法を得意とした魔術師になるのだ!」


 ヒデはズビシッと健一を力強く指差した。


『うわ~はずかち~~』


 厨二病真っ青の設定に、ナナは恥ずかしさの余り身体をくねらせる。


「お前はその力を増強する為に、夏休みはプールや海の監視員のバイトに励むんだ」


 ヒデは健一に優しく提案する。


「俺が魔術師、か……」


 健一は何故か数秒間、自分の手の平をじっと見つめると、

「悪くない」

 ニヤリと笑うとゆっくりと席につき、自信ありげに足を組みながら優雅に片肘を付いた。


『おいおいおいおい!もう天才魔術師気取りかよ!!』

 ナナは心の中で激しく突っ込んだ。


 て言うか、健一には魔術師より虫遣いの方が合っているのでは?


 ナナはそう思ったが、本人が魔術師で満足しているようなので敢えて口には出さなかった。

 そしてヒデは事無きを得たとほっと息を吐き、何食わぬ顔で教壇へと戻っていった。


「してヒデ、お前はどうするのだ?」

 健一はヒデに尋ねた。


 明らかにキャラが違うが、賢明な2人は突っ込むことを放棄する。


「あ、ああ、俺はすでに決まっている。勇者だ」

 当然にようにヒデは答えた。


「は?」

「え?」

 2人は揃ってぽかんと口を開ける。


「ん?何だ?何かおかしいか?」

 ヒデは2人に尋ねる。


「いや勇者ってお前。何を根拠に」

 素に戻った健一がヒデに尋ねた。

 どうやらキャラ設定は終了したようだ。


「ん?何だそんな事か」

 ヒデは呆れたように苦笑すると、


「お前達、俺の名前を言ってみろ」

 どこかで聞いた事があるようなセリフをドヤ顔で言い放つ。


「?ヒデの名前?」

「……あ……」


 しばらく考えていた健一だったが、何かに気付いたようにヒデの顔を見た。


「どうやら気付いたようだな」

 ヒデはニヤリと笑う。


「え?え?え?」

 ナナは未だに分からず、2人の顔を交互に見る。


「まさかお前、自分の名前が『英雄』だからか?」

「正解!」

 ヒデは健一を指差しながら満面の笑みで答えた。


 ナナははっとした。

 ヒデの名前は田中英雄(タナカ ヒデオ)。

 そう、彼は英雄だった。


「俺は生まれながらの英雄。すでに神に選ばれし人間だ」

 ヒデは前髪をかき上げながらポーズを取る。


 ナナと健一はかなりイラついたが、突っ込むべきか非常に困った。


「そ、そうか。ヒデは既にスキル持ちか~あ~羨ましい~」

「そうだな~ヒデばかりずるいぞ~」


 二人は迫真の演技でお茶を濁す事にした。



「そ、それはそうと、ここまで話しておいて何だけど、そもそも召喚ていつされるの?」


 ナナは素朴な疑問を口にした。


「良い質問だ。まさかお前達、いつ来るかも分からない召喚を相手任せで待とうとはしていないか?」

「え?召喚ってそう言うものでしょ?何かほら、気が付いたら突然、みたいな」

「出来ればトイレ中は避けて欲しいよなあ」

 健一は願望を口にする。


「確かに普通はそうだ。しかし俺達は違う!受け身では無く、自ら召喚されにいくのだ!そう!これでな!!」


 ヒデは鞄から1冊の本を取り出し、力強く2人に見せた。


‛引き寄せの法則〈完全版〉’


 本の表紙にはそう書かれてあった。


「俺はこれで異世界を引き寄せる!」

 はっきりと宣言するヒデに、2人はしばし言葉を失った。


「いやいやいやいやいや、それって少し前に自称意識高い系女子がこぞって読み漁っていたスピリチュアル系の本だよねえ」

 我に返ったナナはヒデに突っ込む。


「確か俺の姉貴も似たような本を何冊か持っていたはずだ」

 健一も呆れた顔でヒデに言う。

 しかし当のヒデはいたって真面目に続ける。


「ここの帯を見てみろ」

 そう言って本を健一に手渡しながら帯を指差した。

 ナナと健一は同時にそれをのぞき込む。


『これで私は理想の彼氏を引き寄せました!今はとっても幸せです  よしこ』

『私はこれで理想の現実を引き寄せました!思い通りの世界は最高に楽しくてワクワクが止まりません! 奈美子』


「「…………??」」

「見ろ、この奈美子はこの本で理想の世界を引き寄せている。つまりこれこそが異世界の事だ」


 よしこがあのよっちゃんかはこの際置いておいて。

『『絶対に違う!!』』

 健一とナナは危うく大声を出しそうになった。


「俺が本屋で時間を潰している時に偶然出会ったんだ。まさに運命だ。俺はこれに則って頑張って異世界を引き寄せる!お前達、楽しみにしておけよ!」

 ヒデはキランと白い歯を見せて笑う。


『おい、これマジで出来ると思うか?』

 健一はパラパラと本をめくりながらこそっとナナに尋ねた。


『いや、どう考えても無理っしょ。って言うかそもそも引き寄せってそういうモノじゃないんじゃないの?よく知らんけど』

 聞いたことはあるが、それがどういうモノなのか全く分からない2人は首を捻る。


「ん~何々……引き寄せの法則を使うと自分の夢や希望、物を引き寄せる事が出来る、か。まあ、あながち間違ってはいないかもしれないな」

 健一は斜め読みしながら呟く。


「え~本当?」

「ああ、まずは何か欲しいモノを思い浮かべましょう。そしてその願いを宇宙に放り投げましょう」

 健一が淡々と音読していく。


「え?宇宙?突然スペクタクルだね……」

「そうする事で宇宙が自動的にあなたの願いを叶えてくれます。願いはそれを願った瞬間すでに叶っているのです、叶った世界にすでにいるのです、か……」

「ほわぁあああああああああ」

 ナナは頬を両手で挟んでくねくねと体を動かす。

 健一はパタリと本を閉じた。


「「いけるかも知れない」」


 3人はお互いの顔を見合せながらしっかりと頷く。

 幸いな事にもうすぐ夏休みに突入する。


「お前達。夏休みは各々異世界召喚に向けて励め。登校日に第2回のミーティングを開催する」

 その言葉でヒデはミーティングを締めくくった。



 そして迎えた夏休み。


 ヒデは読書に没頭。

 ナナは下着の資金調達の為に日々バイトに明け暮れ、空いた時間で寺や神社に参拝に行き、お盆には墓参りに率先して行った。

 健一は近くの市民プールと海で監視員のバイトを始めた。


 彼等は第三者から見ると、高校生としては模範的な夏休みを過ごしていたのだが、今のところ異世界からの召喚は、残念ながら無い。

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議題「異世界召喚前にやるべき事」 めざし @__mezashi__

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