Episode.03 私と踊ってくださいませんか?

 時は少し遡り、ノエルが化粧室を飛び出した直後。

 祈るような姿勢の伊織を閃光が包み込んでいた。


「こ、これは……っ!?」


 驚きに目を見開くと、真っ白な光に視界が灼かれてしまう。

 しばらくして光が収まると、少しずつ視力が戻ってきた。


「……いったい、何だったんだ?」


 両目を擦り、まだ少し霞む視界を戻していく。


「い、イオリ様……? その姿は……――」

「……え?」


 振り向くと、レティシアが口元を抑えながら目を大きく見開いている。何かあったんだろうか。


「ひとまず、少しでもマシに見えるように化粧を直さない……と……?」


 鏡の前に立ち、動きが止まる。


「………………………………え、だれ?」


 鏡に映し出されたのは、どこか儚げな印象を受ける女性。ハッキリ言って、まったく見覚えがない。


「えっと……どなた、です……?」


 鏡越しに問いかけてみる。

 ここは異世界だ。もしかしたら、鏡の妖精みたいな存在がいるのかもしれない。


「……イオリ様。それはただの鏡ですわよ?」

「で、ですよねー……」


 やはり、鏡の妖精が住んでいるわけではないらしい。

 それに自分の動きに合わせて動くあたり、やはりこれは自分の姿を映しているということで間違いないのだろう。たぶん。


「もしかして、これが《変身》の魔法?」


 さっきの話にも出てきた魔法だ。考えられる中では、その可能性が一番高い。

 しかし、レティシアは静かに首を横に振る。


「いえ、先ほどの発光現象からは一切マナの反応がございませんでしたわ。ですので、そのお姿は“魔法ではない何か”の結果であると考えられます……が……」


 言いつつ、レティシアは身体の至る所を触って感触を確かめていく。


「やはり、完全に肉体が変質しておりますわね」

「要するに?」

「――『なぜか、イオリ様が女性に突然変異した』ということで間違いないかと」


 唖然とし、口を開けたまま固まってしまう。


「……これって、戻るのかな?」

「それは何とも……」


 化粧室内にお通夜のような空気が流れる。

 しかし、すぐにあることに気づいて、ポンッと手を打つ。


「あ、でもこれで《聖女》が男だってバレないんじゃないか……?」


 魔法だと気づかれるからNG。しかし、今の姿はレティシア曰く、魔法とは異なる方法で肉体が女性に変質してしまっているとのこと。

 なら、このままこの変身が解けなければ、行ける――!


「よしっ、なら軽く乱れた服装と化粧を整えてっと……」

「え、イオリ様ってお化粧の心得もございますの?」

「ええ、飲み会の一発芸みたいな感じでたまに女装させられていましたので」


 まあ、いくら中性的な顔立ちとはいえ、違和感は強烈だったけど……。

 ただ、その頃の経験が活きてくるとは思わなかった。何事も経験しておくべきなんだなぁ。


「よしっ、こんなところかな」


 もう一度、鏡で姿を確認する。

 化粧もバッチリ。髪も長くなって勝手がわからなかったが、一応何とかなった。自分で言うのも気恥ずかしいが、この姿ならドレスもキマっている。


「では、ノエルさんを追いかけてきます!」

「ええ、わたくしも同行いたしますわ。案内人が必要でしょう?」

「あ、ありがとうございます」


     ◇


 そして時間は流れ、現在。伊織は国王の前に立っていた。


「ど、どうして……?」


 隣のノエルが目も口も開いた間抜けな表情のまま、こちらを見上げている。


「すみません、少し支度に手間取ってしまいまして」


 膝をつくノエルの手を取り、そっと立ち上がらせる。

 そして、一瞬だけ耳元に口を寄せる。


「(詳しいことは後で説明しますので、ここは……)」

「(は、はい。わかりました)」


 ノエルが立ち上がったことを確認してから、添えていた手を離す。

 その後、国王に向き直ると、スカートを少し摘まんで頭を下げた。


「お初にお目にかかります、国王陛下。俺……いえ、私が《聖女》として呼ばれましたイオリ・サイトウと申します」

「俺……? そなたは男のような言葉を使うのだな?」


 マズい。いつもの癖で一人称が『俺』のまま喋ってしまった。


「あっ、えっと……それはぁ……」


 全身から冷や汗が噴き出して止まらない。

 女性の姿を得て万事解決となるはずだったのに、こんな些細なミスで終わるなんて許されるはずがない。


(マズいマズい! 男だってバレたら首を刎ねられるとかないよね……! ないよね!?)


 うつむいて黙っていると、ノエルが割って入ってくる。


「へ、陛下! 少しよろしいでしょうか!?」

「うむ」

「実は、イオリ様の故郷では女性が『俺』という一人称を使う慣習があるようなのです。ですので、決してイオリ様が男性であるなどということはございませんので……!」


 必死に弁明するノエル。直後、なぜか国王が腹を抱えて笑い出した。


「はっはっは! 女性なのは一目瞭然であろう! ワシはそんなこと微塵も疑っておらんわ!」


 ほっと胸を撫で下ろす。それと同時に、バレる危険のある行動は慎もうと改めて心に誓うのだった。


 結局、そのまま国王への挨拶はつつがなく終了。

 しかし、真の試練はこれからだった。


「おお、聖女様! なんとお美しい……!」

「な、何かお困りごとがございましたら、どうぞこのわたくしまで……!」

「せ、聖女様はどのような男せ……ごほん、料理がお好きで?」


 貴族からの質問の嵐。この現象には身に覚えがある。


 ――『転校生を物珍しさから転校初日に取り囲んで質問攻めにするアレ』だ。


 この状況に陥ってしまえば、もう自分にできることはひとつしかない。

 そう、嵐が去るまで適当に受け流しながら愛想笑いをする。これ一択だ。


「あ、あのぅ……皆様、ご質問は順番に……」


 額に汗をにじませながら、適当に愛想笑いをしながら貴族たちの質問をのらりくらりとかわし続ける。

 それにしても、なかなか途切れない。さすがに疲れてくる。

 引き攣りそうな顔を必死に繕っていると、突然、クラシックのような音楽が鳴り始める。すると、なぜか談笑していた貴族たちはホールの中心を空けはじめる。


(え、いったい何がはじまるの……?)


 目を点にしながらホール内を見渡すと、何やら男女がペアを組んで優雅に踊っているのが見える。


(あっ……これが噂に聞くダンスパーティー……?)


 思わず、顔を引き攣らせる。

 物珍しい転校生ポジションの《聖女》は、まだ誰ともペアを組んでいない。しかも、周りには半ば血走った目を向ける貴族諸兄。

 となれば……――。


「せ、聖女様! ぜひ、わたくしとダンスを……!」

「なっ、貴様! 抜け駆けとは何事かッ! ぜ、ぜぜ……ぜひ、この私と!!」

「ふっ、諸君はそう目を血走らせるから、女性から避けられるのだ。まずはわたくしのような余裕を持ってだな……ダ、ダダダ……ダンスハオスキデスカナ……ッ!?」


 もう、「ああ、やっぱり……」という気持ちしか湧いてこない。

 ただこうして必死に口説いているのは聖女(♀)ではなく、聖女(♂)というのが何とも虚しい。事実を知ったら卒倒するんじゃないだろうか。


「ちょ、ちょっと皆様落ち着いて……」


 優雅な音楽を背に、必死に鼻息の荒い貴族たちを押し止めようとする。それでも、ダンスのお誘いをかけてくる貴族たちの列は長くなるばかり。

 そんなとき、足音が乱雑に響くホール内に、ひと際はっきりとした輪郭の足音がコツコツと鼓膜を叩いた。


「――皆様方、失礼。すでに聖女様には、ダンスの先約がございますので」

「ふぇ……?」


 振り向くと、何とも整った顔立ちの青年が佇んでいる。

 金髪碧眼。いかにも物語の王子様ポジションに相応しい風体だ。


「では、皆様。失礼いたします」

「え、あっ……」


 呆然としていると、急に青年に手を取られて引っ張られてしまう。

 皆が思い思いにステップを踏む空間に連れていたれ、初めて目の前の青年と目が合った。


「強引なお誘いをして申し訳ありません、聖女様」

「い、いえ、助かりました。ありがとうございます」


 顔をうつむけながら、確信する。

 これはアレだ。序盤にヒロインを颯爽と救い出して親愛度を上げるみたいな、そういうイベントだ。

 女性ならこれでキュンとするのかもしれない。でも、この聖女……中身が男なんです……。


 申し訳なさに心を痛めていると、青年が顔を覗き込んで少し困った表情を浮かべる。


「ふふっ、これでは私も他の方々と変わりませんね」

「へ?」

「強引に迫って、聖女様を困らせてしまっていますし、ね?」


 軽くウインクをして、わざとらしく微笑む青年。

 これが普通のヒロインなら恋の予感がしてくるのだろうけど、中身は男。ついうっかり真顔になってしまわないように繕うので必死だ。


「申し遅れました。私は王宮騎士団で騎士団長を任されております、アルベール・ド・シャレットと申します」

「あ、俺はイオリ・サイトウです。よろしくお願いします」

「やはり、ご自身のことを『俺』と言うのですか。別の世界には、変わった慣習もあるのですね」

「え、ええ、そうなんですよー……ハハッ……」


 国王の前であんな説明をした以上、今さら『私』なんて使ったら逆に不自然だ。バレるんじゃないかと気が気じゃないが、仕方がない。

 すると、アルベールがおもむろに手を差し出してくる。


「――では改めて、私と踊ってくださいませんか、イオリ様?」


 ……完全に忘れていた。そういえば、そういう流れだった。

 なんとかダンスを回避するルートはないものか。必死に考えを巡らせる。


「え、ええっと……でも……あっ、俺の故郷にはこういった二人組で行う踊りがなくてですね……」

「ほう……。では、お一人で踊られるのですか?」

「ぐっ……そ、そうですね……はい……」


 ダメだ。取り繕えば繕うほど、どんどん墓穴を掘っている気がする。


「なるほど……。では、よろしければ異世界のダンスをご教授していただけませんか?」

「ふぇっ……!?」


 その流れは想定していなかった。

 どうする、斎藤伊織23歳……!? 生まれてこの方、ダンスを習った経験なんてない。そもそも、ダンスにどんな種類があるのかすらもまったくわからない。

 どうする……。どうする……!?


「え、ええっと……」

「……やはり、少し不躾なお願いでしたか?」


 捨てられた子犬のような純真な瞳でじっと見つめてくるアルベール。

 そんな目で見つめられたら、心が痛い。めちゃくちゃ痛い。


「ま、任せてください! これでも、地元では一番ダンスが上手でしたので……っ!!」

「おおっ! ありがとうございます!」


 ――言ってしまったぁぁぁ……!


 もう後戻りはできない。

 深呼吸をしてどうにか心の平静を保ちながら、ホールの中心へ。

 すると、周りで踊っていた人たちも察して徐々に手を止めて端に寄っていく。


(……き、期待のまなざしが痛い)


 ホールの中心にひとり立ち、最後に大きく息を吐く。


 目を閉じて、今までの23年間の中で踊った記憶を掘り起こす。

 あれは確か、飲み会のとき一発芸で披露した……――。


「……では、僭越ながらこの《聖女》イオリ。ひとつ舞わせていただきます」


 足を大きく開き、両手に何かを握るような形をとる。

 そして、目を開くと同時、大きく円を描くように腕を振り回し始めた。


「ハイッ! ハイッ!」


 そこから何かを斬るように、さらには突くように両手と身体を激しく動かし続ける。

 これが高校時代、アイドルオタクの同級生から伝授され、以来飲み会の一発芸で打ち続けた踊り――『ヲタ芸』だ。


「ハイッ! ハイッ! ハイッ! ハイッ!」


 規則的に掛け声をかけながら、ドレスの裾を振り乱してヲタ芸を打つ。

 そして、打ち終えた頃には、喧騒に包まれていたはずのホール内も静寂に支配されてしまっていた。


(あれ、また何かやらかしたような気が……?)


 荒々しい息を吐きながら、徐々に頭が冷静さを取り戻していく。


 今の自分は仮にも《聖女》だ。たぶんこの国を救う英雄的な超重要人物のはず。しかも、ここはこの国で一番偉い国王の前。

 そんな場でヲタ芸を打つ馬鹿がどの世界にいるというのだろうか。

 ……はい、俺です。すみません。


(ど、どどど、どうする……!? 気が動転していて~……みたいな言い訳が通じるか!?)


 ビクビク怯えながら、そーっと国王の表情を窺う。


 ――国王、眉間にしわを寄せてこちらを凝視しております。


(あ、ダメだ。これ終わったわ……)


 自身の死を悟った直後、国王がゆったりと立ち上がり、なぜか手を叩きはじめる。

 すると、徐々に拍手がホール内の至る所から上がる。


「素晴らしい! 何とも生命力と情熱にあふれた舞踊か! よければ、その舞踊の名を聞かせてもらえないだろうか、イオリ殿?」

「あ、ええっと今のは『ヲタ芸』の中でも『一刀流ムラマサ』という技でして……」

「“ヲタゲイ”に“イットウリュウムラマサ”とな……。よしっ、ワシにもその技伝授してはもらえないかの?」

「ふぇっ!?」


 こちらが了承する前に、国王は纏っていたマントを椅子の上に置き去りにして、歩み寄ってくる。

 すると、同じくヲタ芸を教えてほしいという貴族たちが次々と声を上げる。


「じゃ、じゃあ、皆さん。やりますか……?」

「「「お願いしますっ!!」」」



 ――異世界生活一日目。日本のしがないフリーターだった俺は、なぜか《聖女》として王侯貴族の皆様に『ヲタ芸』を教えています。

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