初日から王太子は怒っている

 しばらくキョトンとしたままのロザリーヌ(さやか)に時が止まるメイドのキャシー。ダークブラウンの髪は地味に下の方で編まれている。そばかすが目立つ二十歳の真面目そうな彼女は様子を伺いながら言いにくそうに話し出すのであった。


「あのぉ ロザリーヌ様 その、昨夜手首を……」

「え?私手首を切ったのですか?どうして」


 夢であっても続く限りまずはメイド相手に会話をしてみようと思い、いつもの様に話すのであった。

 その声のトーン、優しい眼差しがロザリーヌには似合わない為かメイドのキャシーは戸惑っている。


「……覚えていらっしゃいませんか。昨晩お食事の席で、フィリップ様に少しきつく言われまして、それでお部屋に戻られた後……」


 ロザリーヌは、兄である王太子に婚約者リリアに対する虐めを皆の食事中に指摘されショックで自室で手首にナイフを切りつけたのが昨夜であった。

 パフォーマンスであったかの如く、浅めの傷はロザリーヌの指示により大げさに包帯に包まれていた。

 そんなことは全く記憶にないさやかも、小説のエピソードにあったような、無かったような……。少しずつ全く信じなかったのが、信じないけれど……と半信半疑へと変わってゆく。


「だ 大丈夫です。少し一人にしてくださる?」

「はい。もちろんでございます」

 と、へりくだって言ったロザリーヌにやはり、動揺しながらメイドのキャシーは部屋を去る。


 カチャンと重たいドアが閉まったのを確認するやいなや、部屋に掛けられた金枠の重厚かつ高級そうな鏡に自身を映す。


 そこには細く柔らかそうなプラチナブロンドの髪、若々しさからか艶はあり、白い乾燥気味の肌に少し赤らんだ頬、つぶらな美しいエメラルドグリーンの瞳。

「えっなに人?!」

 と言いつつも、美しさに見惚れていた。

(なんちゃらドールみたいっ可愛い)


 が急にソワソワしながら自身の頬を触り、髪をなで、来ているネグリジェのようなシルクのドレスワンピースをじっと見る

「……これ……まじなやつ……」


 どうやらやっと事態をのみ込んだのか、再びベッドへ座り視線は一点を見つめたまま、読んでいた小説を思い出そうと集中する。

 どうやったら現実世界に帰れるのか……と一瞬、ほんの一瞬位は考えたようだが、あまり未練は無いのが正直なところである。


「あ ロザリーヌ……」

 そうである。ロザリーヌ。悪役である。散々婚約者を虐め、最後は処刑されるロザリーヌである。まだ読んでいる途中だが何となくオチは分かっている。

「え 死ぬの……」


 そんな異世界での身の振り方を考えていると何やら騒がしい声がする。


「フィリップ様 フィリップ様 まだロザリーヌ様はお身支度が……」


「かまわないっ。またそうやって都合が悪くなると逃げ隠れする。一度ひっぱたくでもしなければっ」と飛び込んできたのは、ブロンドの髪にブルーの瞳のフィリップ王太子である。


(う 美しすぎる まさに絵から飛び出てきた王子様……)


 さやかからすれば、おとぎ話の王子様のような容姿の美男。思わず客観的に見惚れている。


(あっすごい怒ってる……よね)


 今自分は謝罪すべき立場と考えた彼女に、勢いよく飛び込んだフィリップは真顔で口をぽっかり開けた。


「ごめんなさい。私 わざと気をひこうとこんな事をしたのですね。ごめんなさい。邪魔などいたしません。」

 とまさかの絨毯に正座するロザリーヌ。

 日本式の反省スタイルである。


「…………」


 しかしこれまでに、婚約者の侯爵令嬢リリアにして来た嫌がらせを全て許すにはこんな謝罪では足りない。

 開いた口を閉じ、厳しい眼差しで静かに語りだす。


「泣き落としか……。一週間メイドの手伝いを命じる。話はその後だ。」

「フィ フィリップ様 そ、それはさすがに……」

 とメイドのキャシーが慌てふためくが、ロザリーヌはその場にじっと座り

「はい。お兄様」と言った。


 異例の王太子の妹がメイドの手伝いをするというメイドからすれば大迷惑な一週間の幕開けであった。


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