【伍・虚ろの箱】
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翌朝――
ホテルの朝食を食べながら、まだ朔良さんはグチグチと文句を言っていた。
「別にさぁ、初々しい高校生カップルが二人きりでデートしたいって言うなら、オジサンは邪魔しないけどね。でも、おかしな探偵ごっこがしたいって言うなら、そりゃ、大人の責任として止めなきゃいけないわけ……って、言っても、どうせオジサンの言う事なんか聞いてくれないよねぇ。昔からそうだったよねぇ、蒼依くんはさぁ……ま、別にいいんですけどね。オジサンは一緒に行かないからね。ぜぇったい協力なんかしないからね」
はいはい、とおざなりに流したら、ちぇっと舌打ちし、今度はうって変わった甘えた声を出す。
「本当に今日は別行動をするつもりなの?」
もう、メンドクサイなぁ……と、朔良さんを睨んだ時、
「小日向さん」
不意に苗字を呼ばれて振り返ると、扉の陰から、こそっとフロントのお姉さんが手を振っていた。一昨日の夜、チェックインの手続きをしてくれた時のようなカチッとした黒いスーツの制服ではなく、カジュアルでフェミニンな明るい色の服を着ている。
「あ、すいません、今すぐ行きます」
朔良さんが片手を挙げてにこやかに返事をし、なるほど、と得心した。そう言えば、この人も小日向さんだった――と言うか、『フロントのお姉さんと遊びに行く』って、昨夜は強がりの嘘で言ってるんだと思ってたけど、本当だったんだ。
驚いた。
でも、改めて見ると、確かに朔良さんは顔だけは良い。線の細いビジュアル系の容姿だし、ミルクティー色の髪が窓から射し込む光を浴びてキラキラと輝いていて、肌もいまだに瑞々しい。とても三十一歳には見えない。舞い上がってしまうフロントのお姉さんの気持ちも分からなくはないかな……
「ほら、早く仕度しな。出掛けるぞ」
朔良さんは、ガラでもないくせに、駄々をこねる子供を叱る父親のように言った。威厳なんて微塵も無くて似合ってない。
僕と月ヶ瀬さんは、じとっ、と軽蔑を込めた半眼で朔良さんを睨み付けた。
「何言ってるの? 叔父さんはデートなんじゃないの? 僕ら邪魔でしょ?」
「我々にはお構いなく。あまり女性を待たせると嫌われるぞ」
「え? はあ? ええっ!?」
わたわたっ、となぜか朔良さんは慌て始めた。
「いや、違うって。誤解だよ。昨夜は意地悪なコト言って悪かったよ。あの人はただの親切で乗馬クラブの一日体験を予約してくれただけだって。カッコイイサラブレッドに乗せて貰えるぞ。だから、ほら、意地張ってないで一緒に行こうよ、二人とも」
信じ難い事に、朔良さんは本気で言っているようだった。フロントのお姉さんは分かり易く頬を染めているのに、朔良さんの鈍感さというか無神経さと言うかは、どう解釈していいのか、ちょっと分からない。
「叔父さんのメンタリティが理解できないよ」
「ああ。むしろ、その流れで、なぜ私たちを誘えるのか理解できん」
「は……?」
「叔父さんが結婚できない原因が分かったよ」
「いや、今は諭すより、ハッキリいってやった方が良い」
「断固拒否します」
ええ~~っ、と両手を頬に当てて朔良さんは叫んだ。
「ほんっとに行かないんだな? ほんっとに行かないんだな?」
「本当です」
「あっ、そう。もう分かった。もう知らない。勝手にしなさい。ただし、夕方五時がタイムリミットだぞ。それまでにホテルに戻って来いよ。あと、蛍さんのところへ遊びに行ってもいいけど、昨夜おまえたちが言ってたような……あ、あんな失礼な事は絶対に蛍さんには言うなよ。他人様に迷惑かけたら許さないからなっ!」
もうっ、とぷりぷり怒りながら朔良さんはお姉さんのところへ行ってしまった。
「あら、弟さんと妹さんはいいんですか?」
問われて、朔良さんは決まり悪そうに頭の後ろを掻く。
「すいません。あいつらは他に行きたい場所があるって言うんで、俺だけなんですけど大丈夫ですか?」
「えっ、ええっ、もちろん大丈夫ですよ!」
フロントのお姉さんは、とても嬉しそうにはしゃいでいた。
†††
フロント横のインフォメーションコーナーに置いてあったタクシー会社のフライヤーを一枚取って、僕と月ヶ瀬さんは一旦部屋に戻った。
もう少しで午前九時だ――
「どうしようか? 今から蛍さんに電話して、アポイント取る?」
「まぬけな事を言うな。我々は水森蛍の自宅を捜索しようと言うのだぞ」
「でも、蛍さんは家からあまり出ないよ。僕と暮らしてた頃からそうだったし、デイトレーダーってずっと家に居るものなんじゃないの?」
「陽動作戦だ。別の場所に呼び出して置いて、その隙に家捜しさせて貰う」
「呼び出すって、どうやって?」
一瞬、熊井さんにお願いして、蛍さんを呼び出して引き止めておいて貰おうかとも思ったけれど、どう話せばいいのか分からない。それに、熊井さんは蛍さんを庇った。考えたくないけれど、熊井さんは、実は蛍さんが父の遺体を処理したと知っていて庇っているのかも知れない。だとしたら、信頼は出来ない。
「誰に呼び出して貰えばいいんだ……」
「何を言っている? 君が呼び出すんだ。君以外に適任がいるかね?」
月ヶ瀬さんは、さも当たり前の事のように言った。
「え? だって、そんな事したら……」
誰が父さんの頭蓋骨を探すんだろう?
「私が指示する通りに電話しろ。大丈夫だ。任せてくれ」
†††
五回のコールで蛍さんは電話に出てくれた。
「こんな時間にどうしたの、蒼依くん?」
月ヶ瀬さんが掲げるタブレットPCには、僕が言うべき台詞がズラッと並んでいる。
「一角獣と虎について、お話したい事があります」
軽く息を飲む気配があり、蛍さんは数秒、黙り込んだ。
「何かしら?」
感情の乱れの無い優しい声だった。子供にものを訪ねる時のような。
「僕はたぶん、虎がどこへ行ったのか知っています」
「虎……? 虎がどうしたの?」
心臓がドキドキする。
「電話では話せません。実は、少しマズイ事になっていて……」
「どういう事?」
息をついて、後は一気に喋った。
「朔良さんと、父の話をしているうちに喧嘩になってしまって、あなたのところへ行かないように見張られてるんです。でも、どうしてもあなたに話さなければならない事があります。電話では話せない事です。これから朔良さんの目を盗んでホテルを抜け出しますから、直接会ってお話できませんか?」
少しの沈黙の後、蛍さんは我儘な子供をあやすように優しい声で言った。
「そう。叔父さんと喧嘩しちゃったの。それは困ったわね。いいわ、分かった。抜け出せたらタクシーでいらっしゃい。お金は払ってあげるから」
「あなたの家ではダメです。朔良さんにすぐに見つかってしまう」
蛍さんは今度は長く黙り込んだ。
ダメか? 僕は何か失敗したのだろうか? 月ヶ瀬さんをチラリと見る。続けろ、と唇の動きで指示された。息を吸って、ダメ元で残りの台詞を読み上げる。
「僕が――僕たち家族が昔住んでいた家の跡地で。あそこなら人目に付きません。何時に行けるか分かりませんが、今からそこへ行って待っていてください。なるべく早く抜け出します。十二時になってしまったら、また改めて電話します。そちらからは連絡しないでください。朔良さんにバレると困りますから……」
軽い溜息が聞こえ、次いで、蛍さんのいつも通りの穏やかな声が響く。
「分かったわ。すぐに行きます。あなたは一人で来るの?」
「はい。一人で行きます」
通話を終えた途端、どっと冷や汗が噴き出した。
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