第29話 不穏な足音

 だだっ広い王城の廊下には多くの役人や使用人が歩いている。彼らの多くは品を失うことが無いようにしずしずと音を立てずに歩いている。


 そんな王城の廊下に無遠慮な足音が響く。


 静かに歩いている何人かがその音に気が付いてきょろきょろと辺りを見回してみるが、そこには同じように歩く人々しかおらず、そうしている間にも足音はずかずかと去っていく。


 音はすれども、姿は見えず。その事実に気が付いた者が顔を青くして足早に目的地や職場に逃げていった。


 ともすれば怪談にまで発展しそうなことをしておきながら、足音の主は何も気にせずに大きな扉の前にやってきた。そしてそのままノックもなしに開け放った。


「うん?」


 部屋の主は、そこまで気にしていないように開かれた扉を見やった。扉はそのまま一人でに閉まったように見える。もちろん、そこには誰の姿もない。


「ハァ……せめてノックくらいはしてくださいよ」


 そんな怪事態だというのに、椅子に座ったままの男は平然とした様子でそう言った。


「なんだ、つまらん」


 言葉と共にスぅっと扉の近くに人の姿が露わになった。


「ついこの間までそれこそ小便を垂らすほどにすくみ上っていたというのに」


「それはこちらが七歳か八歳の頃の話でしょう!? もうこちらは四十を超えております!!」


 バンっと机を叩いて立ち上がった男を見て、姿を現したエルフの男が笑った。


「私からすれば昨日のことのようなものだ」


「まったく……、ヴィゴ殿は変わりませんねぇ」


「そちらは老けたな」


「それは……まあ、人間ですから」


 ちょっとだけ言葉を詰まらせて、ガルフォディア国国王エドワードⅢ世は力が抜けたように椅子へと腰かけた。


「だが、ちょっとしたことを気にする癖は変わってない」


 その言葉にピクっと王の肩が動いた。


「どうした? 王たる者が動揺してそれを態度に出すとは、らしくないぞ」


「……他の者の前では気を付けています」


「ならばいい」


 ヴィゴは笑うとそのまま、執務机の前を通り過ぎて休憩用に置いていたソファに座り込んだ。


「で? 報告はどこまで聞いている?」


 部屋の主を無視してくつろぎ始めたヴィゴの声に王は軽く頭を抱えた。


「ルダス湖畔における魔物襲撃事件について、ですか?」


「おう」


 ふう、と王はため息を一つ吐いた。


「事件の被害者については生徒の軽傷者が三十二名。救出にあたった教師、騎士団の負傷については死者ゼロ。負傷者は百名程度。首謀は二家、関連した家は現在確定しているだけで十一。実行犯については確保済み……ここまでが現在、こちらに上がっている報告になります」


「なるほど。で、そちらとしては?」


「頭が痛い、としか言いようがないですね。今回の事件でいくつかの家は取り潰さねばならないし、外交的な処理もあります。他にも空いた領地の管理を誰に任せるのか、王立学園の警備強化はどうするか、考えることが山のように……」


「その中には、あの黒騎士殿についても含まれているのか?」


 ヴィゴがにんまりと弓のように目を歪めた。


「まあ……。で、どうでしたか?」


 真剣な目つきで王が問いかけると、ヴィゴはふっと鼻から息を抜いてから目をつむった。


「ま、王国に敵意があるようには見えなかった。政治的なあれこれについても考えてるような素振りもなし」


 軽く言い放ったヴィゴの言葉に、王は重っ苦しい声で。


「そんな彼が、内乱を防ぐためと言って時の王子相手に剣を向けると思いますか?」


「ん? なんだそれは?」


「ああ、いや……ここだけの話ですよ?」


「何を今更。私とそちらの会話はいつだってそうだろう?」


「いや、そうなんですが……こちらの第三王子が存在しないことになったことはご存じで?」


「ああ、それについては知っているが……いや待て。合点がいった。その当事者だった最年少騎士が、黒騎士だということか?」


「おそらくは、ですが……」


 その王の言葉にヴィゴはソファにだらしなく崩していた姿勢を戻し、ボレアダイルやグレンデルと戦っていた時のことを思い返して。


「ふむ、私の見た黒騎士殿は少なくとも腹芸の出来るタイプでは無かった。私がプラスタに行くのを言い当てた時も素直に驚いていたし、ファルツ家の娘を前に動揺しまくっていた。政治的な思惑だなんだというのを考える奴ではない」


 ヴィゴが断定した言葉を聞いて、王は天上を見上げた。


「だというなら、別人か……。あるいは、王立学園正門前での騒ぎも誰かが意図して引き起こしたか」


「いや、そうじゃないだろう」


 きっぱりと、ヴィゴは言い切った。


「政治的なアレコレについて考えてなかったから、王子が内乱の引き金を起こそうとしているのに気が付いて、後先考えずに行動したんだろう」


 軽く言ったそのヴィゴの言葉に王は頭を抱えた。


「彼、男爵家の息子ですよ?」


「そこら辺の教育を受けていなかったんじゃ?」


「いやでも普通、ちょっとは考えません? 自分がここでこうしたらどうなるか? とか……」


「覚えておくといい。世の中、そうやって頭を使う前に、勝手に行動し始めるやつもいるんだ、と」


 はあ、と王はため息をついた。


「ま、まあ彼については放っておいても問題なさそうだ、ということでいいですか?」


「ああ、あいつが王国に害をなすことはないだろう」


 はあ、と大きく息を吐きながら王は背もたれに身体を預けた。


「なんか、こう肩の荷と言うか心の重しが取れたようでホッとしたんですけど、同時にこう、脱力感と言うか、虚無感と言うか……」


「まあ、気にするだけ無駄だったな」


 ヴィゴに止めを刺されて、王は机に突っ伏した。


 しばしそのままで王は呼吸を整えてからむくりと体を起こして。


「いずれにせよ、国内には問題が山積み。これからも、ヴィゴ殿を頼らせてもらう形になりそうです」


「なに、構わんさ」


 ヴィゴが立ち上がって。


「お前の曽祖父には賭けで負けた分の支払いを随分と待ってもらっていたからな」


 そう言って、姿を消した。


「まったく、そんなことを言って……もう何十年もタダ働きをしているんでしょう?」


 問いかけた王の言葉に返事は無かった。

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