第28話 グレンデル戦4

 左手でのジャブだ。


 軽く素早く、軽く爪でひっかくようにしながら手数重視で繰り出される爪撃を俺は盾で防いでいく。盾の守りを散らせるよう、上下左右にジャブは打ち分けられて、そのさなかにこっちの意識を散らすように右の刃を動かすようなフェイントが織り交ぜられてくる。


 先ほどまでの一撃の重さと両手のコンビネーションを軸にした戦い方とは違う、右手一本を本命に絞ったような戦法。追い詰められてガチになったのか、それとも今までの戦いの中で進歩したのかは知らないが、中々に厄介だ。


 幾つも戦い方を持っているというのはそれだけでコッチの頭を悩ませるものだ。次に相手が何をしてくるのか予想がつかないというのは、それだけで神経をすり減らされていく。


「まあ、だからと言って」


 ガンっと、外側から回してこようとした左手を盾の縁でブッ叩く。


 次の瞬間、目の前にはグレンデルの口が迫ってきていて、チラッと意識を右手にやれば、俺が避けたところを狙おうと動きが無いまま。


「負ける気はしないんだが」


 俺は焦らずに自分の右手に持った剣を口の中に上顎に刺さるように突き込んでいき、そのまま顎が閉まるときに右手を抜きさった。


 ガキンと、歯が鳴るのに合わせてグレンデルの眉間近くに角が生えた。


 俺の剣だ。


 上顎に斜めに刺さった俺の剣が、閉じてくる下顎に押されてそのまま肉と骨と鱗までを貫いて体表から突き出たのだ。


 この結果が意外だったのか、それとも余程のダメージだったのかグレンデルの動きが止った。


「駄目押し!!」


 それでもこちらが止まってやる気は毛頭ない。


 左手に持った盾の角を下あごに叩き込んでグレンデルを大きくのけぞらしたところに。


「イィィ!!ヨイッショオオォ!!!」


 盾を両手持ちして思いっきりぶち込んで背中から転がしていく。


 その状態で露わになるのは、一番最初に血を噴出させてやった無防備な首筋の傷だ。今は筋肉が盛り上がって隠されてはいるけれども、しっかりと傷跡は残っている。


 俺はそこに盾を振りかぶって角の部分を全力で撃ち込んだ。傷口がぱっくりと開いて血が噴き出し、ボレアダイルも動きを取り戻して、なんとかこの状況を脱出しようともがき始めた。


 だがそれも最後の足掻きでしかない。


 グレンデルが斬りつけてこようとした右手の刃を躱して、俺はもう一度全体重と勢いを乗せて全力で盾を傷口に突き立てた。


 ボキッとグシャッの間のような耳障りな骨の折れる音と共に、グレンデルの動きがもう一度止まり、ドクドクと鼓動の音に合わせるようにして首筋から血がとめどなく流れ出していく。


 ぴくぴくとグレンデルがまだ動いているけれども、もうそれだけだ。抵抗も何もなかった。


 俺は念のために、グレンデルの右手から刃を拝借してその首筋へと滑り込ませた。今まで一定のリズムで出てきていた血が一挙に噴き出して、グレンデルは動きを止めた。


 それを確認して、俺はようやっと一息を吐いて、地面に腰を下ろした。


「でかした!! そこで休んでろ!!」


 それと同時に、ヴィゴが一目散に湖の方へと駆け出していく。


「そうだ! まだ新手が居た……」


 立ち上がろうとしたところで、力が抜けた。両手を地面についてギリギリで倒れ込まずには済んだが、四つん這いの姿勢になってしまう。


 そこへ。


「こちらですわ!!」


 オディゴを駆って、ベルタ嬢がコチラへと向かってきていた。その後ろには学園の教師陣と騎士団までも引き連れていた。手配されていたという王都からの救援だろう。


「黒騎士さん……」


 あ、なんかベルタ嬢が悲壮な声を出してコッチに向かってきている。


 俺は身体を横たえるようにして尻を地面につけると、問題ないことを示すように軽く手を振った。


 それで、少しは察してくれたのだろう。ベルタ嬢の顔がほんの少しだけほころんだ。


 ああ、しかしあれだ。バカ王子のせいで常に眉間にしわが寄ってて若干近寄りがたい雰囲気だったというのに、険がとれると本当に美少女そのものって感じだ。ハニトラなんぞに引っ掛かって本当に馬鹿なことをしたもんだ。


 そんな美少女のベルタ嬢を背に乗せたままオディゴがゆっくりとこちらに向かってくる。近くで立ち止まるとそっと顔を寄せてきてこちらの様子を窺うようジッとしている。


「心配させちゃったか?」


 そう言ってその鼻筋を優しく撫でてやるとどこか嬉しそうに目を細めてオディゴがステップを踏んだ。


「わ!?」


 それがいけなかった。


 急に動くとは思っていなかったんだろう。体勢を崩したベルタ嬢がオディゴから落ちそうになり。


「「あっ……」」


 慌てて立ち上がり抱き留めてしまった。


 そのままにしておくというわけにもいかないので、そっと地面に足を着けて差し上げる。そのまま何事もなかったようにすこしだけ距離を開けるけれど、ちょっと気まずい。


「あの……ありがとうございます」


「いえ、その、お怪我がないようでよかった……あ゛っ!?」


 無事を喜ぼうとしたところで、俺は気が付いてしまった。返り血で血まみれだったせいでベルタ嬢の御召し物を血で汚してしまったことに。


「す……すいません、ベルタ嬢!! 服が血だらけに!!」


「いえ、そんなに気になさらなくて、も……?」


 あ、やべ、ベルタ嬢が何かに気が付いたようにこちらをじっと見てきている……バレた?


「戻ったぞ」


 そんな微妙な雰囲気をどうしようかと思っていた矢先に背後からヴィゴの声がした。


「先ほどの氷の矢を放ってきた術師を捕まえてきた。丁度よく騎士団も来ているから引き渡してこようと思うのだが、それでいいか?」


 ヴィゴから聞かれて、俺はそのまま頷いた。


「ああ、しかし、よく上手いこと捕まえられたな」


「いや、毒を飲んで自殺しようとしてくれたのがよかった。死にかけのところをふん縛って解毒すればいいだけだったからな。すこぶる楽な仕事だった」


 自刃されていたら厄介だった。と笑うヴィゴの目がマジだったので俺としては笑えなかった。


「このままコイツを引き渡して王都に帰れば謝礼はデカいだろうが……黒騎士殿はどうするつもりだ?」


「俺は……」


 ちらっと横目でベルタ嬢を確認してみると真剣な目つきで顎に手をやって俺のことを観察していた。


「ちょっと北方で用事があるからこのまま出発する予定」


「シェーンハイム辺境伯の繋がりで北というと、ロンディニアのプラスタか?」


「すごいな、なんでわかるんだ!?」


 図星を点かれたことよりも驚きが勝って、俺はついつい行き先を否定することもなくヴィゴに聞き返していた。


「これでも貴族から厄介ごとを引き受けることには慣れていてな。これくらいの予想はできる」


 はぁ~、と感心していたところで、ヴィゴがチラッとベルタ嬢や騎士団の方へと目を遣った。


「黒騎士殿の報酬についても私の方から口添えをしておく。しばらくプラスタに滞在していてくれれば使者が今回の恩賞を持って訪ねてくるように言い含めておこう」


「そんなこともできるのか?」


「なに、今回の仕事はそれだけのものだということだ」


 そういうとヴィゴはそっとこちらの背を叩いた。そして小声で。


「それに、いつまでもここにいるとマズいのだろう? 後のことは私に任せて行くといい」


 目線の先を追ってみると、鋭い目つきをしたベルタ嬢の姿があった。


「すまん、感謝する」


 俺も小声で応えてから。


 サッと倒れ伏しているグレンデルの口をこじ開けて、その中から剣を引き抜いた。唾液と血でべとべとになっているけれど手入れは後回しだ。


「オディゴ!!」


 剣を鞘に納めてから愛馬の名前を呼んでやると、嬉しそうに俺の傍に駆け寄ってきた。俺はそのままオディゴの背に飛び乗って、手綱を振るった。


「あ!! お待ちになって!!」


 ベルタ嬢の声がするが、ここで止まることは出来ない。


「すいませんが、これで失礼いたします!!」


 後ろから声が聞こえてくるのを振り切るように、俺は振り返らずにオディゴを走らせた。

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