第6話 開戦の合図

「あれはもしや……?」


 王都を出てから野宿で夜を越し、早朝から馬を走らせてようやく朝日が完全にその姿を現す頃に、ようやく俺は小川だっただろうものを発見した。


「あれを辿ればよさそうだな」


 ちょろちょろ頼りなげな水の流れしかみえないその枯れ沢は、本来であれば幅が四メートル深さは三十センチはあったように見える。


 地面がむき出しになっているところでは水草のようなものが茶色く枯れすさび、コケを生やした石があちらこちらに転がっている。


 ならば、この先に、としばらくの間、オディゴの足を進めていく。


 すると途端に 地面がぬかるんできただろうか、グチャ、ヌチャ、と重たい響きが伝わってくるようになってきた。


「どうなってんだ? 今日はいい感じに晴れてて無風だし、ここ最近で悪天候だったってのも記憶にないぞ?」


 謹慎中はやることが無くて空を見ているか本を読むかしかしていなかったし、間違いはないはず……。


 だというのに泥濘ぬかるみはドンドンと酷くなってきて、とうとうオディゴの足が思うように運べなくなってしまっていた。


「ここからは俺一人で行くよ、しばらく付近で待っていてくれ」


 バッとオディゴの背から降りた俺は首筋を撫でながらゆっくりと語りかけてやる。すると、こちらの言っていることが通じたのか、ブルルと軽くいなないた後、オディゴはゆっくりとぬかるみを避けるようにしながら、しっかりとした場所まで歩いていく。


 それを見届けた俺は枯れ沢に流れるわずかな水の流れを遡るように歩いていき―小高い丘を見つけた。


 丘―いや、あれは丘と呼んでいいものだろうか? 川幅をあふれ出すほどに広がった稜線、それは奥から流れ込んできている水流を弾いて辺り一帯を水まみれにさせていてこの枯れ沢には少量の水がこぼれ落ちている程度。


 何よりも見た目からしてかなりの重量感がある、よくよく地面を見てみると明らかにめり込んでいてまるで巨岩か何かであの川を塞いだようにも見える。


 だがしかし、あの丘には植生が―多くの草木が生えているのだ。岩ではないし、仮に誰かが力づくで移動させたならすぐにでも枯れ落ちているはずだ。それにほら、さっきから風に吹かれているのかさわさわと心地よい音を響かせて……。いや、ちょっと待て? 今日、風、吹いているか?


「いや、やっぱりおかしいだろ!!? ……あ」


 大声を出したところで、丘の向こうからニョキっと亀の顔が伸びてきて視線がカチ合った。


「ヴィイイイィ!!!!」


 ホイッスルの音を低くデカくしたようなけたたましい鳴き声があたりに響き渡ると同時に、ズシン、ズシン、と地面を震わせながら丘、いや化け亀がこっちに向き直ろうとしてくる。


 そのたびにざっぱざっぱと奥から水が流れ込んでくる。


「こりゃ、足場に気をつけながら戦わないとヤバいな……最悪、流される」


 俺は枯れ沢には降りないよう慎重にかつては小川だった位置を避けるように動き出し。


 ガキンっと小さな衝撃が俺の右足を襲った。


「おわっ!!?」


 慌てて右足を思いっきり振り上げてみると小さな石ころみたいなものがポンッと宙を舞った。しかしそれには両手と両脚、尻尾と首がついていて、こちらを睨みつけていた。


「子亀!?」


 ハッとした俺は自分の足元を見てみると地面の中からポコリポコリと小さなサイズの亀が湧いて出てきており、視界を拡げてみると大小さまざま五十匹近い亀があちらこちらからこちらを目掛けて突進してきていた。


「ややこしいなぁ!! もう!!」


 足下は泥まみれで動きづらい、その上、子亀がこちらの足元に纏わりついて邪魔してくるのが最悪の状況だ。おまけに、先ほどから水の量が増えてきているというのもある。


「ああっ!! クソ!!」


 それでもやることは変わらない。俺は剣を引き抜き、左腕に括り付けた盾を構えて、おもいっきり、足下にいる亀共を目の前へと蹴り上げた。

 

 地面から浮き上がった子亀を横薙ぎに両断し、盾で払って周囲に散らす。ついで蹴り上げた足を全力で踏みつけて何匹かを甲羅を叩き割るようにして砕くと、今度は逆の足を蹴り上げて、同じことを繰り返す。


 どうやら、子亀の方が体重が軽いからか早くこちらへくるようで俺はとくに苦労することなく戦えていく。辺り一帯に亀の血や肉がばら撒かれていき、その匂いを嫌ったのか何匹かは戦場から逃げ出していく。


 特に、遠いところからこちらに来ようとしていた子亀連中には効果てきめんだったのか、踏み砕けるようなサイズのやつはいなくなってきた。


 残っているのは、そこそこデカい奴らだ。


 と言っても、目の前にいる規格外のデカさのやつよりかはみんな小さい。中型といったところか。一番でかくて膝くらいまでの高さしかない……いや、デカいな。


 丘クラスのデカさのせいでどうにもその辺、完全に感覚が狂ってしまっている。


「ピイイイィ!!」


 よそ見をしていたところで、目の前にいる亀が思い切り首を伸ばしてこちらに噛みつこうとしてくる。


 それをスッとのけ反るような形で躱して、お返しとばかりに伸び切った首を跳ね飛ばす。


 今度はこちらの隙を突くように別の個体が突っ込んでくるのでそれを盾で受け止める。そこにまた別の亀が横合いからこちらに噛みつこうと首を伸ばしてきた。


 俺は先に噛みついて来ようとしている相手に剣を振るおうとして、ハッとして思いっきりその逆方向に飛んで逃げると、すれすれのところを盾の上から首を伸ばしてきた亀のくちばしのような口が貫いていく。


 どうやら盾で受け止めていた亀がその長く柔軟な首を活かしてこちらを攻撃しようとしていたようだ。


「なんって面倒な!!」


 吐き捨てたところで、咆哮が轟いた。


「ヴィイイイィィイイィ!!!」


 親玉が完全にこちらのほうを向いたのだ。俺とやつの目が最初の時のように真正面からかち合い、大亀はこちらを怒りの籠った視線で睨みつけてきた。


 そりゃそうだろう、なにせここまで同族を殺されたのだから怒らないはずはない。


 ならば相手をしてやろうと俺も再度構えなおして……先に残った亀を始末することにした。


 さっきの奇襲に味を占めたのか亀が一匹こちらへと突っ込んでくる。俺はさきほどと同じようなかたちでその亀を迎え撃ち、先ほどとは違い盾を思いっきり下から上へと掬い上げるような形で叩き込んでひっくり返してやる。


 軽く空に浮いてそのまま背中から地面に落ちた一匹の腹に飛び乗って辺りを見るとこちらを囲もうとしてた中型の亀が四匹、足元のを合わせて五匹。


 それを確認してまずは手近な一匹のせに向かって飛び移ろうとすると生意気にもそこにカウンターを合わせるように首を伸ばしてきた。


「残り四」


 その一撃を盾で弾き、甲羅の上に乗ったところで首を刎ねる。そして今度はひっくり返ったのをなんとか戻そうと自分の首を地面に着いて押し上げようとしているところを切り飛ばす。


「三!」


 こいつを助けようとしていたのか近づいてきたやつが慌てて首を引っ込めて隠れようとしたのでそこに剣を突き込む。


「二!!」


 残った二匹が示し合わせたかのように並んでこちらに相対したのを見て、俺は警戒度を上げながらあえてその真ん中へと走り込んだ。


 すると向かって右の一匹がこちらに向かって前脚を振り上げてきて同時に両方の首が真横からこちらを狙ってきた。


 足の先には鋭い爪が生えそろっており、それがこちらの顔を目掛けて飛んできて、両サイドからは硬いくちばしのように尖った歯が狙ってきている。


 ならば、と姿勢を低くして一気に距離を詰めた俺は向かって左側のカメの前脚をすれ違いざまに斬り落として姿勢を崩させる。


 その勢いのまま右側の亀の足の下に潜り込んだ俺は盾を腹側に差し込むように押し当てて思いっきり力を込めてひっくり返してやる。


 あとは簡単。


 前脚を失わせた一匹の首元を刺し貫いて「一」、そして最後、ひっくり返ったところから態勢を戻そうとしているところを切り落として「ゼロ


「ヴォォオオオ!!!!」


 目の前で自分の仲間が全て殺されたの怒りが頂点に達したのか、それとも鈍重な動きのせいで同族を守れなかった嘆きの声か、今まで以上に太く、低く、大きな声で吠えた大亀は足を止めた。


 それを見た俺は盾と剣を構えていつでも動けるように準備し。


「ヴィイァアア!!!」


 その雄叫びが開戦の合図になった。

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