その人は、「じゅうりょく」というものを操作した。
「あ……あんばらんさあ?」
その人――ユウはそういったが、さっぱりわからない。
まったく、耳慣れない、聞いたこともない言葉だ。
そもそもこの人は、おかしなことばかりだ。
絶体絶命の窮地にあったわたしとジーナを助けてくれたし、その話ぶりや態度をみると、優しくて、けっして悪い人ではなそうだけれど、とにかく理解できないことが多すぎる。
考えが混乱し、なにをどう聞くべきか、わたしがとまどっていると
「うぅう……」
ジーナが声を上げた。
「あっ、ジーナ、ジーナ!」
わたしはあわてて、ジーナに駆けよった。
ジーナの顔をのぞきこむ。
「ジーナ、だいじょうぶ?」
ぼうっとしていたジーナの目の焦点がわたしに合って
「……ライラ?……あれ?……あたし……どうなったの?」
いつものジーナの声がもれた。
「ジーナ!」
良かった。
わたしの目から、思わず涙があふれた。
「ジーナが死なないでよかった……」
そんなわたしをジーナはきょとんとした顔でみて、顔を落とし、胴衣からのぞいている、自分のはだかの胸を見て、そして横にいるユウを見て、あっと小さく声をあげて顔を赤くし、あわてて片手で胴衣の前をかきあわせた。
「ジーナ、あなたほんとうになんともないの?」
「うん、ぜんぜん平気! どっこも痛くないし」
そういって、ジーナはぴょんと飛びおきた。
驚くほかない。あんなにひどく斬られていたのに傷跡一つ残っておらず、なんの痛みもなくなっている。服のところどころにまだ残る血のあとだけが、ジーナの身に起こったことの名残で、それさえなければ、ジーナがまさに死のうとしていたことなんて信じられないだろう。
「そうだ、これを羽織っておこうか」
ユウは、自分の上衣を脱ぐと、ジーナに着せてあげた。
それをみてはじめてわかったのだけれど、そのローブのような上衣にあった中央のラインは、服を前でとじるしくみだったのだ。ラインに付いている小さな四角いものを引き上げると、どういうしかけなのか分からないけど、服の左右がかみ合って、ぴったりと閉じてもうはなれない。
こんな服、はじめてみる。
わたしがびっくりして見つめていると、それに気づいたユウが
「そうか……ファスナーは、この世界にはまだ、ないんだ……」
とつぶやいた。
「ふぁすなあ?」
(なんのことだろう)
「あの……」
ジーナが、おずおずと
「あんたが、あいつらをやっつけて、助けてくれたの?」
ユウに聞いた。
「ん……まあ、そういうことになるかな」
ジーナは、ユウからちょっと離れて、正面から向き合うと、ぺこりと頭を下げて
「助けてくれて、ありがとうございます」
と、ていねいにお礼をした。
「でも……」
ジーナは首をかしげ、そして鼻をヒクヒクさせた。
ジーナは獣人だ。見た目は、ヒトとほとんどかわらないが、すっと伸びた鼻先だけは、湿った獣の鼻をしている。
その鼻先がヒクヒク動いて、
「あんた、みかけない人ね……。そしてふしぎな匂い……」
ジーナの嗅覚は、ヒトよりはるかにするどいのだ。
「えっ。ふしぎなにおい? えっ、ぼく、何かくさいかな?」
ユウは、ちょっとあわてた顔をした。自分の服のにおいをかいでいる。そんなユウをみて、わたしはなんだか、年上の人なのに、ユウをかわいらしいと思ってしまった。
ジーナは、あわてて首をふった。
「そうじゃない、そうじゃなくて……なにか、これまでに、いちども嗅いだことがないんだけど、なんていうか、けっして悪い匂いではなくて、その、よ、よくわからないんだけど嗅いでいると……なんていうか……そ、その、ドキドキするような…」
ジーナの声はだんだん小さくなって、しどろもどろになって、その顔がなんだかほんのり赤くなって。
ユウはとまどった顔をしている。
「これ…ひょっとして、ふぇろもん?」
またよくわからないことをつぶやく。
「とりあえず、これをどうしたらいいかな?」
ユウが、あたりを見回して言った。
十人ほどの男たちが、倒れたままの位置で、わたしたちの目の前に転がっている。
手足はへんなふうにねじくれ、からだは地面にめりこみ、おそろしい力がそこに働いたことを示していた。
「あっ、こいつだ」
ジーナが、その中に、彼女を冷酷に斬りつけた男を見つけ、おそるおそる近寄る。
剣の先で肩や腕を二度、三度、刺してみたが、男はピクリともしない。
「こいつら……みんな、死んでるの?」
ジーナがユウにきく。
「どうかな……ぼくもちょっと腹が立ったので、手心を加えそこなったかもね……」
この人は、わたしたちのために怒ってくれたんだ、そう思った。
「ひやー、すごいね、こんな人数をやっつけるなんて、お兄さんて大魔導師なんだね」
「でも……、こんな魔法見たことも聞いたこともないです。これっていったい何魔法なんですか」
魔法は、世界に満ちる火水風土の四つのエレメントと、それを統括する光の力を得て発動される。したがって、この世のすべての魔法は、当然ながら、火魔法、水魔法、風魔法、土魔法、そして上位の光魔法、このどれかに分類されるのだ。
しかし、ユウの答えはわたしの理解を絶するものだった。
「ああ、あれは『重力』を操作したんだ」
「「じゅうりょく? じゅうりょくってなに?」」
わたしとジーナが、きつねにつままれたような顔でぽかんとしているのをみて、ユウは
「いいかい」
かがみこんで、石塊をひろいあげた。
それを目の前までもってきて、
「この石」
手をはなすと、石は地面にポトリとおちた。
倒れている男のダガーを手にとって
「このダガーも」
手を離すと、ダガーは落下して、地面にちょっと刺さり、ぱたりと倒れた。
「ぼくらだって」
ユウは、その場でいちど飛び上がって、着地した。
「どんなものも、支えがなければ下に落ちるね?」
「当たり前じゃん」
ジーナが感想を言う。
「そう、当たり前。でも、なんでそうなると思う?」
ジーナは首をひねる。わたしも、そのわけなんて、考えたことがなかった。
そうなるから、そうなるとしか。
ユウが説明した。
「ものが下に落ちるのは、ものにたいして、引きつける力が下から働いているからだ。それは、この地上のすべてのものに働いているんだよ。ぼくらが飛び上がっても、また地面に戻るのは、その引きつける力の働きなんだ」
「でも、飛ぶ鳥は落ちてこないよ?」
ジーナが疑問をていした。
「そうだね」
ユウはにこっと笑った。
「飛ぶ鳥にもその力は働いている。でも落ちてこないのは、その力に拮抗する別の力を、鳥が翼で生み出しているからだ。きみが鳥を弓で射てしまえば、鳥はもう、その力を生み出せないから、石のように落ちてくるでしょ」
ユウは続けた。
「その、全てのものに働いている、引きつける力を『重力』というんだ。
重力はふつう一定だけど、ぼくは
あいつらは、突然、自分をふくめて、すべての物が重くなり、ものすごい力で地面に押さえつけられたように感じたんじゃないかな。」
「だからあの靴に突き刺さったダガーも」
「そう、そのときダガーはたぶん、あれ一本で大岩のような重さになったと思うよ。だから根本までつきぬけた。
そして、人間の体は、そんな重力に耐えて、立っていることはできないね。骨は砕けるし、心臓も血を運べないし、筋肉を動かして呼吸することさえ難しいと思うよ」
ユウはおそろしいことをサラリと言った。
「すごいね!」
魔法にあまり詳しくないジーナは、わからないなりに、すごい技だと単純に興奮しているが、多少なりとも魔法の知識のあるものなら、ユウのいっていることがどれほどたいへんなことがわかるだろう。
ひょっとしたら風魔法か土魔法の上級者なら、これに近いことができるのかもしれないが、ユウの使った力は、風魔法でも土魔法ではなく、かといってほかのどのエレメントともちがう気がする。
だれも聞いたことがないような、まったく新しい原理なのだ。
でも、そんなことがあるんだろうか。どのエレメントにも属さない魔法なんて……
わたしが考え込んでいると、ユウがいった。
「それで、これをどうしようか? けいさつにでも届ける?」
「けいさつ?」
「あ、ああ…ここに、そんなものないよね…」
ユウは少し考えて、
「えっと、……こういう連中を罰してくれるところは、どこかな?」
「うーん……冒険者ギルド?」
「そっか! ギルドに届ければ、ひょっとしてお尋ね者の報奨金もらえるかも!」
ジーナが色めきたった。
「ねえ、ライラ! 集めた薬草を届けるついでに、ギルドに知らせようよ!」
さっき死の淵をのぞいたとはとうてい思えない元気さでいった。
男たちに襲われる前に、私たちが集めていた薬草は、あたりにちらばっていた。ユウも手伝ってくれて、全部かき集めると、わたしたちは森を出た。その間も、男たちは、こわれた人形のように横たわったままだった……。
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