残虐な男たちに襲われて、その人に出会う。

   ――「生命とは、動的平衡である」(福岡伸一教授)



 昏い森の中。

 あたりには鉄さびのような血の匂いがあふれている。それは倒れているジーナの血だ。


 (ああ、もう、もちこたえられない!)


 杖をつかんで突き出すわたしの両腕が、ぶるぶると震える。


 「風の結界! 風の結界!」


 声の限り、詠唱を連呼する。しかし、詠唱に応えてわたしの目の前に立ち現れている光の壁は、たよりなく揺れて、今にも破れて霧散しそうだ。

 結界の向こうには、他人を蹂躙する欲望を隠そうともせず、短刀ダガーを構え、わたしとジーナを包囲する男たち。

 胸の悪くなるような笑い声をあげながら、じりじりと近づいて、わたしたちを威嚇する。

 心臓があぶり、冷たい汗が背中を伝う。


 (ジーナに、はやく処置を)


 顔は盗賊たちに向けたまま、視界の端で、地面に倒れ伏しているジーナをとらえる。

 剣をもつ右手を投げ出したかたちで、仰向けに倒れているジーナの胸は、革の胴衣がざっくりと裂け、あふれ出る血に染まっている。

 見開いた目はうつろで、なにかを言うように、かすかに口がうごいている。

 苦痛をうったえているのか、助けを求めているのか。


 (血を、血を止めないと!)


 こころは焦るが、今はなにもできない。

 この結界が無くなれば、盗賊が殺到し、わたしたちはそれでお終いだからだ。

 悲惨な結末しか見えない。


 だから


「風の結界! 風の結界!」


 私は詠唱を続けるしかない。

 でも、わたしの魔力も底をつきかけ、結界はますます頼りなくおぼろげに――。


 こんなはずじゃなかった。

 こんな初級のクエストで、こんなことになるなんて。

 かけだしのわたしたちでもできる、薬草集めのクエストで。

 わずかばかりの報酬で、ホームのみんなに、いつも食べられないものを買って帰ろうと思ったのに。

 ふたりとも薬草に夢中になり、気がついたら、深い森の中で男たちにかこまれていた。


 「ほおぉーう、コレはコレはすてきなお嬢さんがた、だ。なあ、今日の俺たちはついているな?」

 「おう。この前の獲物もそれは良かったが、な」

 「まあ、とりあえず楽しませてもらおうか」

 「金に換えるのはその後だ」


 などと胸の悪くなるようなことを口にしながら、わたしたちを無造作に捕らえようとする男に、


 「来るな!」


 ジーナが抵抗し、剣をふるった。


 「っ!」


 ジーナの剣が男の指先に、かすり傷を負わせた。

 つぎの瞬間、腹を立てた男のダガーが、ジーナの体をなんのためらいもなく切り裂いた。そのためらいの無さで、男たちが他人の命の価値をどうみているか、わかりすぎるほどわかる。

 斬られたジーナは物も言わずその場に倒れ、みるみる血があふれた。


 「ジーナ!」


 茫然とみているだけだったわたしは、我にかえり、風の結界を発動した。

 私の知っている数少ない魔法が展開する、光る結界に押し出されて、男たちは、しばらくの間、私とジーナに近づけない。


 でも、ただそれだけだ。


 私はまだ攻撃魔法を知らない。

 こんな状況でも、相手になんのダメージも与えられないのだ。

 そして、結界を発動し続ければ、たいしたことのないわたしの魔力は減り続ける。


 あとどれだけの間、この結界がもつのか。

 男たちは、素人ではない。ただ待つだけで、わたしたちが無力になることがわかっているから、焦りもしない。わたしたちを包囲して、ニヤニヤ笑っている。


 絶望感がみぞおちのあたりから広がってくる。

 それでも、わたしにはこれしかない。


 「風の結界……風の結界!」


 ふるえる声で叫び続けた。


 ――そのときだ。


 「……これはひどいな」


 後ろから、静かな声がした。

 驚いてふりかえると、倒れたジーナの横に膝をつく、人影があった。

 おかしな服を着ていた。上衣は、黄色くて、宮廷魔術師が着るようなフードのついた服だが、ローブとはちがい腰のあたりまでの丈しかない。ボタンはなく、正面になにかのラインが入っていた。胸にもなにかの文字のような模様。

 ぴったりした細いズボンは、見たことがない青い生地で、靴もなんだかおかしかった。

 すっぽりフードをかぶっているので、顔はよくわからない。


 「たとえ、これはだめだろう……」


 声からは意外に若そうだ。


 「ちょっとごめんね」


 その人は、ジーナに優しく一言、声をかけると、斬られて裂けたジーナの胴衣を両手で大きく広げた。

 それでジーナの胸の膨らみがあらわになる。

 左の鎖骨から、乳房を通ってみぞおちの辺りまでが、ぱっくりと割れて、血まみれの中、黄色い皮下組織も見えている。

 そうされてもジーナは無抵抗だ。

 もう意識もほとんどないのだろう、息をしているかどうかさえわからない。今まさに命が消えかかっているとしか思えない。

 痛々しいその姿に


 (ああ、ジーナ……ごめん……わたしには)


 膝もふるえ、目を閉じてしまいそうになる。


 「すぐだからね」


 その人は、右手でジーナの背を支えると、左の掌を傷の上に差し伸べた。

 傷をなぞるその手が、一瞬蒼く光る。


 「えっ?」


 左手がのけられたとき、そこにはもう傷はなかった。


 「回復魔法? でも、あんな大きな傷口がふさがるって?」


 今、ジーナの白い胸は静かに上下し、その表情にも苦痛はない。


 (これは……ひょっとして、ジーナは助かるの?)


 希望がわき、そのときようやく、気がついて愕然とした。


 (そもそもこの人はどうやって、発動中のわたしの結界の中に入ってこられたのか? 殺到する何人もの男たちでさえ入れないでいたのに!)


 おかしい。おかしなことばかりだ。


 「おい! てめえはいったいなんだ!」

 「いきなり、どこから来やがった?」


 ことのなりゆきに驚いてあぜんとしていたのは、男たちも同じだったようだ。

 我にかえったように、がなり声をぶつけてきた。

 そして、その時、わたしの集中も魔力も尽き、結界の光が消える。

 男たちがそれを見逃すはずがない。


 「いまだ!」

 「野郎!」

 「そいつもまとめて片付けろ!」


 雄叫びをあげて、ダガーを突き出しながら殺到する男たち。

 その人が、顔を上げて男たちに目を向けた。


 ミシリ


 その瞬間に、空気に満ちる、何かが軋むような感覚。


 「情状酌量の余地なしだね……やっぱり」


 その人がつぶやき、


 「ぎゃっ?」


 先頭の男がとがった声をあげて立ち止まった。

 血走った目で、自分の腕をみた。


 「うわわわーっ」


 そして叫んだ。

 突き出した腕が、途中からぽっきりと垂直に折れ曲がっていた。

 まるで、腕の先に、突然ものすごい力が加わったように。


 そして、ダガーは。


 男の指からはなれ、その柄までが深々と男の足の甲に突き刺さっていた。

 手をはなしてしまったために、ダガーが落下して足に刺さったのか? 

 それにしては、たかだかダガーが、取り落としただけで刺さるものだろうか? このての靴は、荒っぽい活動ができるように、甲には鉄板を入れて頑丈につくってあるというのに。


 ミシリ。


 また軋むような気配がして。


 「ぐぇ」

 「げっ」

 「がっ」


 盗賊たちの呻き声。

 ばきばき、べきべきという異常な音をたてながら、男たち全員が、同時にその場にくずおれた。

 倒れたのではなくて。

 押し潰されたように。

 いや、なにかとてつもなく重い荷物をもたされたかのように。そして全身の骨格がその重みにたえかねて、不気味な音を立てて折れ、砕けたのだ。


 (あれも魔法? でも……でも、こんな魔法、聞いたこともない)


 

 もはや動くものはない。

 その場に満ちていた重い気配がふっと消えた。

 その人がわたしを見た。

 フードの奥の顔が見えた。


 やはり若い。わたしたちより少し年上なくらい、たぶん、今年成人を迎えた十五歳のわたしとジーナより一つ、二つ上か。

 髪は黒髪。

 その人とわたしの目があった。

 漆黒の瞳。それはわたしやジーナの緑とはちがって。そして、とても深い。

 その人は、私にふわりと笑った。


 「たいへんだったね。でも、もう大丈夫だよ。あいつらはもう立てないよ」

 「あ……あ……あああ」


 その笑顔に足から力が抜けて、わたしはその場にへたりこんだ。


 「あなたは、あなたはいったい?」


 思わず問いかけるわたしに、その人はこう答えた。


 「ぼくの名前は、ユウ。ぼくは、なんだ」

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