紅山君と、『蟹の恩返し』


 紅山君と知り合ってからしばらく経ち、あれ以来彼とは挨拶を交わしたり、話をしたりするようになっていた。

 けどその度に、「あの女子、ヘビヤマと話してる!?」、「ヘビヤマくんが、女子を奴隷にしてるって噂は本当だったんだ」って声が、どこからともなく聞こえてくるのは、いかがなものだろう?


「そりゃあ仕方ないって。だって相手はあのヘビヤマ君だもん」


 お昼休み。一緒に昼食を取っていた桃ちゃんと花ちゃんにヘビヤマ君のことを相談したんだけど、返ってきたのは残念な答えだった。


「酷いよ。紅山君、何か悪いことしたわけでもないじゃない」

「うん、それは分かる。最初は怖い人なのかなって誤解してたけど、姫子の話を聞いてると、意外と良い奴そうじゃんっては思った。けどね」

「悲しいことに、人は他人を外見で判断しちゃう生き物なの。そりゃああたし達は違うって分かってるけど、よく知らない人だとやっぱり怖いって思っちゃうんじゃないかな」


 外見。やっぱりそれかー。


「で、でも言うほど怖いかな?」

「「怖いよ!」」


 二人の声が見事にハモった。

 なにもこんなところで息を合わせなくてもいいのに。


「姫子、よく聞いて。あたしもね、決して悪口を言いたいわけじゃないの。だけど現実問題ヘビヤマ君は、見た者を恐怖のどん底に叩き落とす、恐ろしいお顔の持ち主なの」


 悲しい目をしながら、訴えかけてくる桃ちゃん。

 な、何もそこまで言わなくても。


「恐怖を与える対象は、何も人間だけじゃないわ。噂だとヘビヤマ君、小学校の頃飼育係をしてたらしいんだけど、世話をしたウサギやニワトリのうちの半分が、恐怖のあまり声をあげて暴れまわったって話よ」


 動物にも恐れられてるの!?

 世話をしようとしただけなのに、紅山君不憫すぎるよー。


「で、でも半分が暴れたってことは、もう半分は大人しくしてたってことだよね?」

「大人しくしてたって言うか、気絶して動けなくなってたって聞いたけど。詳しく調べてみようか?」

「ううん、もういいや」


 聞けば聞くほど不憫に思えてくる。気絶しちゃった動物もかわいそうだけど、紅山君はもっとかわいそうだ。

 見た目で判断して本当の彼を見ようとしないだなんて、皆分かってないよ。


 だけど不機嫌になりながらサラダを口に運んでいると、不意に桃ちゃんがニヤニヤしながら肩に手を回してくる。


「と・こ・ろ・で。姫子はやけにヘビヤマ君にご執心だけど、いったいどうしてなのかなー?」

「へ? そりゃあ、前に助けてもらった恩があるのに、悪く言われるのはちょっとね」

「ふーん、恩がある、ねー」


 桃ちゃんに続いて、花ちゃんまでニマニマしだす。いったい何なんだろう?


 けど二人には言っていないけど、ヘビヤマ君に関して、気になることがあるんだよね。


 彼と話していると、時々懐かしさを感じることがあるの。

 何か大事なことを思い出しそうな気がする時もあれば、胸を締め付けられるみたいに苦しくなる時もある。

 そんな体験が何度かあったけど、理由はさっぱりわからない。


 そんな正体がわからない何かに、私はもやもやしていた。



 ◇◆◇◆



 お昼を取った後、やって来たのは図書室。

 何か面白そうな本は無いかなーって探して、やがて気になる一冊を見つけたんだけど、うーん、高いなあ。


 その本があったのは棚の一番上の段で、小柄な私では背伸びをしても届かない。

 どうしよう、踏み台を持ってこようかなあ。


「取りたいのはどの本?」


 手を伸ばしていると不意に声を掛けられて、振り返るとそこには、紅山君の姿があった。


「紅山君……。あの一番上の、右から四番目の本なんだけど」

「あれだね。ちょっと待ってて」


 紅山君はそう言って手を伸ばすと、私がいくら背伸びしても届かなかった本をあっさり取ってくれる。

 やっぱり、背が高いって良いなあ。


「はい、これであってる?」

「ありがとう。紅山君も、本を借りに来たの?」

「うん、ちょっとね」


 返事をする紅山君の左手には、厚手の本が握られていて、タイトルは……『日本の民話』?


「それって、昔話の本だよね。紅山君、昔話好きなの?」

「まあ。一話当たりが長くなくて読みやすいし、知ってる話でも読み返してみたら、案外面白いからね」


 照れたように、少し顔を背けながら答える紅山君。

 昔話が好きだなんて、ちょっと意外かも。


 どんなお話が載ってるのか気になった私は、少しだけ本の中を見せてもらった。

 そこには『鶴女房』や『雀のお宿』等、私も知っている有名な話もあれば、初めて見るタイトルもあって、なかなか面白そう。

 私も今度、借りてみようかなあ。


「……あ」


 声が漏れて、ページを捲っていた手が止まる。

 そこに書かれていたのは、『蟹の恩返し』のお話。小さい頃お母さんに絵本を読んでもらって大泣きした、あの話だ。


 私は何故か両手で本を抱えながら固まってしまい、ドクン、ドクンと心臓が鼓動を刻む。

 何だろう。何かとても、大切なものを思い出しそうな気が……。


「遠山さん。大丈夫?」


 ついボーッとしてしまっていたけど、紅山君の声でハッと我に返る。


「もしかして、また貧血? 気分悪かったら、保健室に行った方がいいよ」

「だ、大丈夫。何でもないから」


 そう答えつつも、全身からは汗が吹き出していて、心臓はうるさいまま。


 だけどそれを悟られまいと笑って誤魔化していると、紅山君は開いたままになっていた本を覗き込んでくる。


「『蟹の恩返し』か」

「うん。紅山君は、このお話知ってる?」

「うん、よく知ってるよ。あまり良い思い出は無いけどね」


 そう言って何故か、寂しそうな表情へと変わる。

 え、いったいどうしちゃったの? それに良い思い出は無いって、どういう事だろう? 私と同じで、『蟹の恩返し』を読んで泣いちゃったことがあるとか?


「何か嫌なことでもあったの?」

「そういうわけじゃないんだけどね。小さい頃、この話を聞いて思ったんだ。退治された蛇は、いったいどんな気持ちだったんだろうって」

「蛇の気持ち?」

「うん。お嫁さんと会えることを楽しみにしていたのに、命を落として。どんな気持ちで、最期を迎えたんだろうなって思って」


 静かに、寂しそうに語る紅山君を見ていると、胸のざわめきが勢いを増していく。

 蛇の気持ち? そんなの、考えたこともなかった。


「で、でもこの蛇は悪さをしたから、退治されたんだよね。お嫁さんだって、無理矢理結婚させられそうになったんだし」

「そうかもね。けど、そうでないかもしれない。伝えられた話が、真実とは限らないよ」


 真実って。そもそもこれは、作り話なんじゃないの?

 だけどそうは思っても、口にすることはできなかった。紅山君が、あまりに悲しそうな目をしていたから。


 伝えられた話が、真実とは限らない、か。

 そういえば紅山君も、何か悪いことをしたわけじゃないのに、見た目のせいで有る事無い事言われているんだよね。


 それじゃあ、『蟹の恩返し』に出てきた蛇は? あの蛇も、何か誤解をされていたって言いたいのかな?


 お互い一言も喋らずに重い沈黙が続いたけど、やがて紅山君は慌てたように言う。


「ごめんね、変なこと言って。今のは忘れて」


 私は何も言うことができずに、そのまま話は閉められたけど、何だかスッキリしない。


 もしも『蟹の恩返し』に、隠された真実があるのだとしたら。いったいそれは、どんなものだと言うのだろう?




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