きつねとたぬきのばかしあい

K-enterprise

そなえているもの

「やだ、おうどんはわたしが食べるの!」

「ボクだってうどんがいい!」


 持ち出し袋の中、うどんと蕎麦のカップ麺が一つずつ。

 こんなものでも兄妹ケンカになるのかと、ため息が出る。


「二人とも、やめなさい」努めて静かに注意する。


「だって、おうどんは一つしかないから、お兄ちゃんが食べたらもう無くなっちゃう」

「お前は、おおみそかのとき、おそば大好きって言ってたろ? そっちのおそばを食べろよ」

「もう、いいかげんにして! 今はそんなこと言ってる場合じゃないの」

「だって、おうどん、お父さんが……」

「ボクだって、お父さんの好きなうどん食べたい」


 思いのほか大きくなった私の声に委縮した二人が、べそをかいて弁解する。


「怒鳴ってゴメン。いい? 二人とも、今ここには、おうどんとおそば、一つずつしかないの。だから、おうどんとおそば、二人仲良くはんぶんこして食べて?」

「あ、でも、お母さんは?」


 息子はカップ麺が二つしか無い事に今更ながら気付いたようだ。


「お母さんはね、今はお腹が空いてないから大丈夫だよ」


 私は空腹のお腹が鳴らないように、グッとお腹に力を込め、カップ麺のビニール包装を剥がす。


「わたし、ふた、開ける!」

「こぼさないようにね」


 二人はたどたどしくも、粉末のスープを開け、準備を整える。


「それじゃ、お湯を貰って来るね」


 避難所の体育館は、ぎゅうぎゅう詰めというほどではなかったが、申し訳程度に布で仕切られて、隣人の生活音は筒抜けだ。

 ポットで運んだお湯を注ぎながら「周りの人もいるから、静かに食べようね」と静かに諭す。

 配給品じゃない、自宅から持ち出した備蓄品とはいえ、それを羨む人だっているかもしれない。


 この小さな二人を守れるのは私しかいない。

 どんな事があっても、何をしても絶対に守り抜いてみせる。


「さいしょはお母さんが食べて」

「なんで?」

「どっちが最初に食べるかって、またケンカしちゃうから」


 娘と息子の言葉に思わず笑いが零れる。

 私が食べた後、次にどっちが食べるかでケンカにならなければ良いけど。


「わかった。先に一口もらうね」


 なんてことのない、カップうどんの味。

 でも小さな兄妹が考えた結論は、もしかして私に食べさせる方便だろうか。

 そんな事を考えると、今まさに感じている不安や心配事も重なり、少しだけいつもより塩気の多い味がした。


 ハフハフと麺をすする子供たちは、時折、それぞれのカップを交換し、食べきれなくて冷めた残りを私が引き継いだ。

 美味しいという感想が、成分や味覚だけで想起されるものじゃないと、あらためて気付かされ、寒い避難所の中でも、心は暖かくなった。



―――――



「おふくろ、備蓄品のチェック終わったぞ。カップ麺がもう少しで賞味期限なんだけど、なんで二種類もケースで買ってあるんだ?」

「お前たちが文句言ったり、バカ仕合をすると思って買っておいたのよ」

「文句って……アイツはもういないんだから、そんな必要ないだろ」


 狐と狸の化かし合い、という言葉が浮かび、二人のケンカをバカ仕合と例えてみたが、どうやら息子には通じなかったみたいで残念だ。

 それに、そうね。

 もうあの子はここにはいない。


「それでも、どちらか選べた方がいいでしょ? そうだ、お昼、それにしない?」

「えー、備蓄チェックの報酬で、出前とか期待したんだけどな」

一端いっぱしの社会人が、年金受給者に何を言ってるんだか」

「ま、たまにはいいか。嫁さんには禁止されてるから内緒な。で、おふくろはどっち食べる?」

「おうどんはどっちだっけ?」

「赤いきつねがうどん。緑のたぬきが蕎麦だよ」

「それじゃあ、お蕎麦がいいな」

「ほい、了解」

「あら、あなたが作ってくれるの?」

「お湯を入れるだけだからな」


 息子はカップ麺の箱を二つ抱え持ち、台所に移動する。


 ガチャリと玄関の開く音が聞こえる。


「ただいまー」

「お前、こんにちは、だろ?」

「あ、お兄ちゃん、久しぶり。何よ、実家に帰って来たんだからただいまでいいでしょうが。ねえお母さん」

「あなたねえ、いい加減、自分が嫁いだって自覚を持ちなさいよ」

「そんなことより、何、カップ麺? 今日はお兄ちゃんが来るって聞いてたから、てっきりお寿司でも取ると思ってわざわざ来たのにー」

「残念だったな。備蓄のカップ麺が賞味期限寸前なんだよ。お前も手伝え」

「へいへい、あれ、二人ともお蕎麦にするの?」


 久しぶりに訪れた娘は、台所に直行して意外そうな声を上げる。


「ああ、お前は自分で用意しろよ」

「あら、あなたはうどんにするのかと思った」


 カップ麺を運んできた息子に声をかける。


「なんで?」

「だって、あの地震の時、避難所の中で、二人がうどんを取り合ったの覚えてない?」

「そんな事あったか?」

「大変だったのよ? みんなピリピリして、余震も多くて、二人はビービ―泣いて」

「覚えてないなぁ」

「あたしは少し覚えてるかな。寒かったよね」


 娘は言いながら、お湯を入れたカップを持って居間に来る。


「あれ、あなたもお蕎麦なの? おうどん嫌いだっけ?」

「いや、だってお父さん、うどん好きだったでしょ?」

「そうな。で、これが親父の分」


 息子はそう言いながら仏壇に赤い蓋のカップ麺を置く。


 あの頃の二人は、備えていた父親の好物を取り合った。

 そして今は、父親に供えるために遠慮する。

 それが成長なのか、気持ちの整理の結果なのか、少なくとも父親の居場所を十分に理解するだけの時間が経ったのだろう。


 それから私たちは三人でお蕎麦を食べた。

 久しぶりの親子水入らず。

 そんな場面に向き合い、即席めんを美味しいと思えるなんて、私の味覚はこんな歳になってもあてにならない。

 これも、あなたが無口だったせいですよ。と、変わらぬ笑顔に恨み言を零してみる。


 あなたも向こうで食べているかしら。

 今日のお蕎麦は塩辛くなかったよ。

 あなたのおうどんの味、いつかそっちで教えてね。




――― 了 ―――

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