第5話 再婚

 「こないだの男の人、あんたどう思う?」


 「良い人だよね。」


 後に母から聞いた話によると、まだ4才だった私のこの一言が、母の再婚を決定的なものにしたらしい。


 再婚が決まる少し前から、鬼ババアへとみごとなリターンをとげた我が愛すべき祖母は、私にお決まりのセリフを繰り返すようになっていた。


 「兄弟ができるなら、男と女、どっちがいい?」と、「お前はこの家にいちゃいけない居候だ。大きくなったらさっさと出ていけな。」の二つだ。


 自分で言うのもなんだけど、幸いなことに私はこのうえなく素直な質だったものだから、真剣にそしてじっくりと時間をかけてこの二つの言葉と向き合うことにした。


 当時無性に月に魅力を感じていた私は、毎晩月に祈りを捧げた。


 「女!女!絶対、絶対女の子!!妹以外はいりません!すぐに遊べるでっかいでっかいやつをください!」と、ひたすらに願い続けたわけだ。


 その時の私ときたら、マインドコントロールに長けてしまっていた。

 弟の存在どころか、弟という言葉すら忘れてしまっていたんだ。

 だから、無意識にだったのだろうけど、今になればなぜこんなに飢えるように願っていたか、ハッキリわかる。


 私にとって弟は、竜だ。


 彼が傍らにいないのに・・・その存在を全て否定されてしまったのに、このまま何事もなかったかのように、この家に弟が生まれてくるのか?


 ・・・なーんて考えたら、器の小さな私はとてもじゃないけど、耐えられなかったんだよね。


 心狭き私としては、どうしても、弟には生まれて欲しくなかったんだ。


 そしてここでまた一つ、今度は母から悩ましい言葉が贈られてきた。

 この言葉はこの後の人生で、ずっと私を混乱させていくことになる。


 祖母の強烈な言葉と同様に、日に数回私の耳元でささやかれ続けた、母の言葉だ。


 「きょう。私にはあなただけなの。一生離れないで。母さんを置いて出て行ったりしないで。」


 今なら母のこの言葉がどういう心境から吐き出されたものだったのかわかるが、当時の私はとにかく阿呆・・・もとい、このうえなく素直だったんだ。


 天晴なまでに真逆をいく祖母と母の言葉は、幼い私の心の中で真っ向からぶつかった。


 だけどまあ、どんなに幼くてもすぐにわかる簡単なことなんだけど、祖母から邪魔にされている私がこの家に残れば『出戻り』と言われている私の母の立場は、一層悪くなるに決まっているんだよね。


 そんなわけでこのころから私は常に、いかにして自分以外の関係を壊さずにこの家を去ることが出来るかっていうのを考えていた。


 結果、とりあえず高校までは全て祖母に従い、高校卒業と同時に家から少しずつ離れる。

 少しばかり家の中で暴れて見せるのもいいかもしれない。

 そうやって反抗期として呆れさせてしまえば、私がそのまま家を飛び出しても、母が批判されることは無い。


 「ろくでもない父親の血が出たのだろう。カエルの子はカエルだった。」と思われるだろうし、あわよく「せっかく連れてきて面倒みてやってたのに、恩知らずな子供に苦労させられて大変だったね」なんて、母に同情してくれる者が現れてくれればしめたものだ。


 まさに一石二鳥でしょ。


 とりあえずおおまかな未来予想図ができたことで胸をなでおろしたんだけど・・・。

 残念。

 困難の薪には煙が立つどころか、まだ種火すらついてはいない状態だったんだ。


 ほんと、ため息がでちゃうんだけど、私の人生が最悪の盛り上がりを見せるのはまだ先の話で、今は準備段階だったんだ・・・・・・。


 幸いなことに、家の中は気持ちの上でかなり窮屈な場所ではあったけど、危険な場所ではなかった。


 酷い言葉を投げつけてはくるけど、食べ物や衣食住に困ったことはなかったし、動けなくなるほど叩かれるなんてこともなかった。


 ケガや病気になればすぐに病院に連れて行ってくれたし。

 やりたいものは却下されたけど、ピアノや柔道なんかの習い事にも通わせてもらった。

 学校の絵日記用に家族旅行や映画だって連れて行ってもらったんだ。


 あえて嫌だったことは何かというのなら、毎回祖母から言われる決め台詞の「お前に一体いくらかかってると思ってるんだ」ってやつかな。


 祖母はこれを親戚や近所、それから友人たちに話して聞かせるのが大好きだったんだよね。


 出戻りの娘が無理やり引き取った子供に、自分がどれほど良くしてやって、金を使ってやったか・・・それを聞いた人たちから、徳のある人物だと評価されることが、彼女の人生に最大の彩りをそえてくれてたんだ。


 結果、良い思いをさせてもらっているわけだから、私はそれに対して何かもやもやとしたものを漠然と感じはしたけれど、文句を言うことはなかった。


 ただ、私は愚かなものだから、本当はちょっとだけ思ってはいたよね。


 どこにも連れて行ってもらえなくたっていい。

 激アマ婆さんに、戻ってほしいってさ・・・・・・。


 少しして正式に母の再婚が決まった。

 家の大座敷に親戚や近所の人たちを招き、母と父となる人は祝言をあげたらしい。


 「らしい」と言ったのはなぜかって?


 それは、その時私の席はそこには用意されていなかったからだよ。


 一日中、飲めや歌えやの宴が繰り広げられる家の中、私は別の部屋で大人しく本を読んでいたんだ。


 食べ物はみんなと同じものが運ばれてきたから、かなり豪華だったけど、それ以外のことは、これまたほぼ覚えていない。


 確か一度部屋を抜け出して母と父となる人の姿を見に行ったんだけど、仲人のお佳代かよさんや母の妹にどやされて、部屋に連れ戻されたんだっけかな。


 さすがにこの時は、喉の奥がつまって鼻の奥が痛いほどつんとした。

 自分だけが、この家の中にいて招かれざる者なんだってことに、幼いながらも気づいてしまったんだ。


 そんなこんなはあったけれど、どうやら二人の祝言は無事に終わり、母と父は役所に婚姻届けを出しにいった。


 後に聞いた話によると、実はそこでひと悶着あったらしい。


 ・・・・・・私は、もちろん父の実の子ではない。

 つまり紙の上ではどんなに頑張ってみても実子にはなれない。

 いいところ養子である。


 そのことに不服を申したてた父は、最終的にもめにもめ、「京は自分の子だ。この子が大人になった時、紙に養子なんて書かれていたら傷つくだろう!」と言って、役所の人間と言い争いになってしまったのだそうだ。


 母からその話を教えられた単純な私は、もうそれだけでこのうえなく幸せな気持ちに包まれて、ますます父になついていった。


 どこにでもいる親子のようにキャッチボールをしたり、旅行先で早起きして二人で釣りをしたり、ひたすら父にくっついて歩き、彼を慕いきっていったんだ。

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