第3話 離婚かい?

 私の話を聞いた友人はみんな一様に「辛かったね」と慰めてくれたりするので、そんな友人たちの思いやりに、偽りなく心から感謝しつつ!

 まず初めに一言叫ばせていただきたい。


 「大丈夫。私は自分が不幸せであると思ったことはないよーっ!」


 そもそも、幸せかどうかなんて考えていられるほどの余裕はなかったし、比べられる誰かもいなかったんだけどね。


 だけどそれを差し引いても、衣食住に不自由はないし、病院だって連れて行ってもらえていたんだから、むしろ全然悪くなかったんじゃないだろうかと思う。


 そんなわけで、私は現在にいたるまで、「死ぬしかない」と思ったことはあるけど、「死にたい」と思ったことはないんだ。

 それを思うには、私は(親族以外の!)周りの人たちの優しさに、恵まれ過ぎていたしね。


 さて、話はぐっと戻るけど、少女と別れた後のことは幸いにもあまりよく覚えてはいない。


 ・・・多分、その翌日のことだと思うんだけど。

 母さんは仕事に出ていて、父さんが私と弟の面倒をみていた。


 うちには小さな白い軽自動車が一台あるだけだったから、母さんの仕事が終わるころ、父さんは母さんの働くファミレスに私たち兄弟を乗せて彼女を迎えにいったんだ。


 駐車場で母さんが出てくるのを、曇ったガラスを手のひらでこすっては、歪んだ視界の中に彼女の姿を探し、ひたすら待つ。


 暇だよね。

 そう、ものすごく暇だった。


 ダッシュボードの中に,、母さんの好きなスヌーピーの小さなぬいぐるみが入っていたから、暇を持て余しきっている私は、父さんの眼鏡ケースにそれをパンパンに詰め込んでは出すを意味もなく繰り返してた。


 薄情と思われてもしかたのないことだけど、父さんの記憶は正直、これしか残っていない。


 その日の夜。

 なぜか父さんの姿は家の中には無くて、オレンジ色の常夜灯にうっすら照らされた部屋の中で、母さんが私たちを長い時間抱きしめていた。


 ぐしゃぐしゃに寄ってしまった毛布が、変な風に足の下に挟まって痛かったけれど、「痛い」と告げられる空気じゃなくて・・・黙ったまま、大好きな母が震えているをきつく抱きしめ返す。


 恐らく私はそのまま眠ってしまったんだろうね。

 気づいた時には私と弟は母の実家にいた。


 強張った大人たちの表情から、「どうやらこれからここに住むことになったんだ」「あの家にはもう戻れないのだ」ということを漠然と感じ取って、不安に胃の辺りが酷く凍えたのを覚えている。


 私にとって衝撃だったのは、それまで果てしなく甘やかしてくれていた祖母が、その日から豹変したことだ。


 とにかく幼い子供が大好きな祖母。

 彼女の愛情は海のように深くペットボトルのキャップの円周よりも狭かった。

 その愛情は常にだれか一人にだけ向けられる。

 そしてその対象はその日から、弟ただ一人になった。


 一緒に住むことが決まったその日から、私は彼女の愛情の対象から外されてしまったんだよね。


 家の近くを焼き芋屋がいい声で呼びかけながら通り過ぎると、祖母は必ず弟に「食べるか」と優しい声で確認する。


 弟が「食べたい」と答えると、私と弟を軽トラックに乗せ、祖母は焼き芋屋のトラックを追いかけるんだ。


 この時「食べたい」と答えたのが私だけならば、祖母が動くことはない。

 逆に私が「いらない」と答えても、弟が「食べたい」と言えば、祖母は村はずれまで延々と焼き芋屋のトラックを追いまわした。

 笑えるよね。


 祖母は焼き芋屋から大きな芋と小さな芋を買うと、大きい方を弟に渡す。


 私の可愛い弟君は、二つを見比べると、必ず大きいものを渡してくれた。

 もちろんそれを快く思わない祖母が丁重にその行為を諫めてくれるから、弟の願いが叶うことは一度もなかったけどね。


 大きな芋が届かなくたって、私の心には彼の想いが痛いくらいまっすぐ届く。


 たちまち胸の奥がふっくらと柔らかい気持ちで膨らんで、ニンマリ微笑みそうになっちゃうんだから、たまらなかった。


 このころには既に、私が喜ぶことを祖母が嬉しく思っていないのだと感じていたから、祖母が焼き芋屋に金を払っている隙に、こっそり弟の頭をぽんぽんなでて「ありがとう」と素早くささやいた。


 今でも悔しいんだけど、この時彼が一体どんな顔をしていたのか、思い出せないんだよね。

 非常に腹立たしいことに、私の中に残る弟の記憶は焼き芋屋にまつわるものだけなんだ・・・。


 そして、このころの記憶に母の姿はない。

 次に記憶の中に母の姿が戻ってくるのは、母の実家の人間と父の実家の人間がそろっている、なんだかすごーくちゃんとした料理屋の席でのことだ。


 「子供はいらない」「こぶつきだと困る」「二人とも父親に渡して終わりに」そんな言葉が飛び交う中での食事だ。

 どんなに高級な料理だって味なんてわかったもんじゃない。


 当時の私は意識して食事に集中し、大人たちの顔を見ないようにしていた。


 大人たちにとっては非常に都合のいいことに、私にとっては不幸なことに、そこで交わされる会話の数々はあまりにも難し過ぎたものだから、私は大切なことにも気づけなかったんだ。


 弟と離れ離れになるってことにね・・・・・・。


 その時漠然と知りえたことは、母の実家や親せきにとって、私はおおむね邪魔者でしかないということだけだった。


 本当に頭に来ちゃうよね。


 客観的にこんな話を誰かから聞かされれば、実際はらわたが煮えくり返るような、とことん胸糞悪くなる話なんだけど、幸せなことに当事者であった幼い私は、既に心が砕け散っていたものだから、とにかく無!ひたすらに無であれたんだ。


 翌朝、目を覚ますまでは・・・・・・。

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