騎士団長なんて無理です! 筋肉には興味ありません!

有沢真尋

第1話

「今どこにいますか?」


 低音の、渋い美声が耳に届いた。


(テーブルの下です)


 クレアは、決して声に出さず心の中だけで答える。

 焦りから心臓がばくばく言っているが、なんとか息も殺す。


 声の主は、騎士団長レオン。

 普段から大きな声を出すことが多いせいか、抑えた話し方をしていてさえ、よく響く声をしていた。


 ところは王宮の薔薇園。

 のんびりと午後のお茶を飲んでいる王妃の元へ、「騎士団長が面会を求めて向かっています!」と伝令よろしく、灌木の間の小径を駆け抜け、ひとりの侍女が飛び込んできた。

 そのすぐ後にいかつい長身のレオンが続いていて、クレアは慌ててテーブルクロスの下に逃げこんだのだ。

 まさに、間一髪。

 レオンが探しているのはクレアなのだが、姿が見えないことから王妃そのひとに所在を確認している。


(王妃様、まさか団長に、猫の子を譲るように私を渡したりはしないですよね……?)


 主人である王妃フランチェスカのことは信じているが、クレアは不安でたまらない。

 テーブルの上で、カチャ、とごく小さな音がした。フランチェスカが、お茶のカップを皿に置いたようだ。


「さっきまではここにいたんだけど。ねえ、ララ?」

「はい。本当についさきほどまではこのへん、視界に入っていたんですけど。探せばまだ近くにいるんじゃないでしょうか」


 クレアの行方を尋ねられた王妃がのんびりと答え、王妃付きの筆頭侍女ララがしめやかな声で相槌を打っている。

 嘘ではなく、限りなく真実に近い内容で。


(王妃様も、ララさんも、隠す気がない~~~~!! もっと他にごまかしようがあるじゃないですか!! 「あっちの方へ行ったと思う」とか「遠くへおつかいに出しちゃったから、しばらく帰ってこないはず」とか!!)


 クレアはテーブルクロスの下で膝を抱えたまま歯噛みしていた。

 ちょうどそのとき、「だけどね、レオン」とフランチェスカがたしなめるように言った。


「お見合いの件だけど、クレアには話すだけ話してあるから。返答は少し待って。本人も突然のことで気持ちの整理がついていないと思うの。くれぐれも、焦って直に迫るようなことはしないでね、今みたいに押しかけてくるのは、良くないわ。まずは根回ししておくから」


(王妃様!! さすがです!! 子飼いの侍女を守ろうという気はあったんですね……! 根回しって言葉は気になりますけど)


 きちんとレオンを追い払ってくれそうな気配を感じ、クレアはフランチェスカに心の中で喝采を送る。

 一方、王妃からやんわりとだが注意を受けた自覚のあるらしいレオンは、かしこまった調子で言った。


「はっ、申し訳有りません。なにぶん、せっかちな性格なもので」


 ああ~、とフランチェスカがのどかに相槌を打つ。

 続けて、どこか面白がっているような声で言った。


「せっかちなのに、その年まで未婚だったのよねえ。わたくしも陛下も迂闊だったわ。もう少し口うるさくお節介しておけば良かった」

「いえ。それには及びません。たまたま良い出会いに恵まれなかっただけで。いまはそれもこれもクレアという女性に出会うまでの待機時間だったのだと、納得しております」


(それはですねえ、レオン団長、思い込みというものですよ!? 私は全然、これっぽっちも団長のこと好きではないので!!)


 クレア、心の中は大荒れである。

 見えていないのをいいことに、「いやだいやだ」と両腕を胸の前で交差させて自分の肩を抱いた。

 もちろん、本人の目の前で、そこまで嫌味な仕草は出来ない。それどころか、面と向かい合えば苦手意識が爆発して蛇に睨まれたカエルになる。間違いなく。

 苦手、なのだ。

 鍛え抜かれた筋肉の放つ熱気。朗々と響く声。自信に満ち溢れた姿。そういったすべてが、元来「細身で穏やかな性格の、落ち着いた大人の男」が好みと自認するクレアの嗜好とは、真逆すぎる。


「クレアは、行儀見習いも兼ねてわたくしの侍女として王宮に上がっている身。変な虫がつかないようにと生家からもよく頼み込まれているし……。べつにあなたを変な虫と思っているわけではないけれど、まずは本人の気持ちを大切に、ね」


(王妃様、なんて素晴らしいお心ばえなのでしょう! クレア、ついていきます!!)


 クレアの生家は没落寸前の子爵家。なんとか伝手を駆使して王妃付きの侍女に潜り込ませてもらえたが、父には変な虫に気をつけろどころか、「良い男見つけてこい!!」と送り出されている。

 騎士団長から結婚を前提とした交際(実質、婚約)を申し込まれたなどと知られたら、媚薬と睡眠薬を盛られて送り出されかねない。そういう父である。


 しかし、クレアはどうせ王宮で相手を見つけてお付き合いをするのならば、それこそ筆頭侍女ララの御夫君のような、知的で穏やかな文官が良いとかねがね思っていた。

 クレアは、テーブルクロスの下できゅっと拳を握りしめる。

 そのとき、もぞもぞと顔に妙なかゆみを感じた。鼻の先。ぺしょん、と濡れた感触。


「……や」


 手で取ろうとしたが、焦ってうまくいかない。そのうち、ばっとそれが跳ねたのを目撃し、右手で掴んでしまった。

 一瞬にして、恐慌状態に陥る。


「いやああああっ」


 叫びながらテーブルの下から転がり出た。

 薄暗いところからいっきに明るい空間に出て目が眩み、足がふらついた。ぐっとこらえて、手を握りしめようとしたとき、が手の中にあることに気づく。

 本来なら即座に捨てたいところだが、王妃がお茶を楽しんでいる場だけあって、さらなる騒動は避けたい。せめて潰さないように、左手をかぶせて、手と手の間に空間を作った。

 そこで、ようやく自分に視線が集中している事実に気づく。


「クレア、あら~、そこにいたの。全然わからなかったわ」


 場をとりなすように、フランチェスカが落ち着き払った様子で言った。

 王妃である。「嘘をつけ」と思っても、誰も言えない。それをよくわかった上でのフォロー。


「クレア、そこでいったい、何を……?」


 レオンは、灰色の目を見開いて不思議そうに呟いていた。

 にこ、とクレアはひとまず笑って、両手をそっと開いた。


「あの日助けたカエルが私を訪ねてきたので、テーブルの下で親交を深めていました。そう、思い起こせばこのカエルがまだ幼い子どもだった頃」


 王妃や他の侍女たちからは「またまた見え透いた嘘」を、と言いたげな視線を感じる。

 ただひとりレオンだけ、感極まったように言った。


「さすがクレアは、人間が出来ている。カエルからそこまで慕われるなんて……!」


(団長さえ騙しきれれば、この場は良いのです!)


 クレアとしては「乗り切った」という達成感でいっぱいであった。

 その背後で、フランチェスカが筆頭侍女のララに対し「いいわねえ、レオンの恋心に火がつくわ」と囁いており、ララはララで「カエルの子ども時代はおたまじゃくしですよね」と律儀に答えていた。

 二人の会話を耳にして、クレアはがっくりと肩を落とした。


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