立てば芍薬

 花の図鑑を見るのが好きだった。

 特に祖母に買ってもらったポケット図鑑は、どこにでも持っていき、暇になれば眺めていた。

 だから、僕が見る花は、大体がその図鑑に出てくる花だ。


 「芍薬」

 「えっ」

 珍しくて、つい声に出してしまった。

 目の前の芍薬の生徒が、おそらくきょとんとした顔で僕を見ている。

 夕暮れの図書室。貸出カウンター。放課後の終了時間間際。人はまばら。カウンター越しに彼女と僕。

「貸出しですね」

 僕は平静を装い、彼女から本を受け取り、告げられた学年と組、名前からバーコードを探して、貸出処理をする。彼女は本を受け取り、図書室を出ていく。その顔は既に芍薬ではない。

「そして、歩く姿は百合の花」

 僕は、ポケットから取り出した手帳に、英数字を使った符丁で彼女の学年と名前を書き、その横に

  立つ→芍薬

  歩く→百合

 と書いた。

「悪い! 遅れた!」

「遅い。片付け任せた」

 部活に顔を出していた相方と入れ替わり、僕は図書室を出た。


 僕は時折、人の顔が花に見える。

 共感覚の一種、と僕を診た先生は言った。花に見えるタイミングは様々だが、人とその動作に対応して、顔が花に変わる。うちの母親はテレビを見ているときにヒマワリ、父親はタバコを吸うときにアロエの花になる。ギョッとする映像だが、もう慣れた。

 不便だが(表情が読めないまま、会話するのは大変だ)、割り切れば楽でもある。

 病院通いもやめてしまったが、先生に言われて始めた、花の記録だけは、誰に見せるでもなく、ずっと続けていた。そもそも学校に僕の個性を知る人はいない。


 廊下の窓から見えるグラウンド。ボールを追って走る奴らはアジサイかバジル。教室に残って談笑するアサガオ、クロッカス。向こうからくる梅の花の先生。ガーベラ、コスモス、カスミソウ……学校に咲く花々。

 そうだな、芍薬は珍しかった。


「シャクヤク!」

 よく通る声に思わず振り向いた。そこには芍薬の花が立っていて。やがて百合に変わり、目の前でまた芍薬に。

「花の名前なんだね。そうでしょ」

 しばらくしてから、彼女が僕の言葉の意味を問うているのだと気づいて、うなずいた。

「やっぱり!」

 というか間あけすぎ!演出うますぎ、と言った彼女の顔は、もう芍薬ではなくて。

 ただ、花のような笑顔だと思った。

「じゃあね! ごめんね、呼び止めて」

 夕日が照らす廊下を去っていく彼女の背中を見ながら、手帳を取り出して書き留める。


  笑顔→すごくかわいい。


 我ながら陳腐だ、と少し笑う。

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