飛鳥の都、其の外れにて

中田もな

飛ぶ鳥の里

 泊瀬部はつせべ帝が暗殺されたのは、今から十数日と経たない頃だった。水をも凍らせるような、寒い風の吹く日。実の妹である炊屋かしきや姫がその知らせを耳にしたときには、兄は既に氷のように冷たくなっていた。

 帝が殺されたことで、都は宮中・宮外を問わず一時騒然とし、方々で嘆きの声が聞こえた。しかし大臣である蘇我馬子が事態を上手く収拾させたため、それ以上の大事になることはなかった。


「この花は、実に美しい。まるで季節を映しているようだ」

「貴女様のお目に留まるように、花々も美しく咲いているのですよ」

 水辺に咲いた野花は、飾らない瑞々しさがある。炊屋姫は自らゆっくりと腰を屈め、その一輪を優しく摘み取った。

「馬子、もう少し近くに寄れ。そのように遠くにいては、話すのにも都合が悪い」

 彼女は今日、大臣の蘇我馬子を連れて、飛鳥の外れまで旅をしていた。供も侍女も誰もつけずに、たった二人だけで。

「貴女様は、次の帝になられるお方です。いくら血縁があると言えど、馴れ馴れしい態度は取れません」

「難しいことを言うな、早く寄れ。供をつけなかったのは、それ相応の訳があるのだ」

 馬子は少し眉をひそめたが、やがて渋々と前に出て、炊屋姫の隣に並んだ。叔父の少し高い背丈が、彼女の傍に控える。

「お話とは、一体何でございましょう」

 その言葉を聞いて、姫は少し笑みを零した。緩く纏められた黒く長い髪が、暖かな昼の光に照らされている。

「そうだな……。まずは、その堅苦しい話し方を止めろ。其方は叔父であるとともに、我の馴染みの友でもある」

 炊屋姫と蘇我馬子は歳が近く、いわば幼馴染のような存在だ。だからこそ、姫は無駄な上下関係を無視して、二人きりで話をしたかった。

「……分かった。ならば、これで良いか」

「そうだ、それで良い。その方が、全く其方らしいな」

 馬子は何かを言いたげに首をかしげたが、姫が美しく微笑むのを見て、思わずはっと口を閉じた。隣に立つ馴染みの姪は、実に瑞麗きらきらしい容姿をしている。

「……話とは、一体何だ」

「何、実に容易い話ことだ。我の兄上が失せたことについて、知っている事実を全て話せ」

 ――姫がそう言った途端、馬子は一瞬、瞳を鋭くする。彼女はその様子を刹那も見逃すことはなく、静かに髪を揺らした。

「……言えぬのなら、それでも良い。だが一つ、これだけは言っておくぞ」

 その実、聡明な彼女は全てを見通していた。友が何を狙い、何を目指しているのかを。だからこそ、彼女は二人だけの空間で、天を背負って高らかに宣言した。

「我は国を司る帝として、我の信じる道を進む。それは誰一人として、決して曲げることはできない。例え馴染みの友である、其方であってもな」

 ――雌の山鳥が空を舞い、灰色の羽根を地に落とす。それが子を産み終えない内に、姫は蒼天の下に帝となった。

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飛鳥の都、其の外れにて 中田もな @Nakata-Mona

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