第3話 塔の守人

 やたらと私に触って来たのはこの為か、と思う。触れられることに慣らして、油断させ首飾りを奪うことが目的だったのだ。これを手にすることがどういうことなのか、知識はあっても、理解はしていないのだろう。

 守人になっても塔を出られると信じている故の行為だとしても、危う過ぎる。

「駄目です。貴方は何をなさるか! 分からない」

 睨み上げると、思案する瞳が見下ろして来たが暫くして「違いない」とサシェナの方が先に視線を逸らせた。

 刹那逸らされた顔は、戻って来ると、本当に困ったと苦笑を浮かべていた。

「では、一つ教えて下さい。あなたが首に下げているものは『鍵』で良いんですね?」

 私は胸元の、鍵があるだろう場所を掴んで、頷いた。

「そんなことを知って、どうするのですか」

「ここから出ます。あなたと一緒に、です」

「出来ません」

「出来ますよ。鍵だってあるのだし」

 サシェナの手が、胸元を掴んだままの私の手の甲を指した。

 確かに、この鍵は大きい。抽斗や箱を開ける為の物でないのは確かだ。十中八九、扉用の物だ。しかし。

「残念ながら、この塔に錠はありません」

 塔の守人になって最初に塔の隅から隅まで探したが、なかった。

「鍵があるのに錠がないなんてことはありませんよ」

 その言い分はもっともだが、無いものはない。

「随分探しましたが、この塔には……扉は勿論、窓にも家具にも錠はありません」

「探し方が悪いのです」

 あっけらかんと言い放つサシェナに、溜息が漏れる。

「本当にあるのなら、既に誰かが見付けているとは思いませんか?」

 一年間に長くてたった三日間だけ世界と繋がる塔だ。守人には錠を探す期間はほぼ一年間ある。私に限って言えば数百年間あった(実際に錠を探したのは最初の数ヶ月間だけだったけれども)。この間に、誰も見付けられないということがあるだろうか?

 歴代の守人に大工や鍵屋が一人でも居れば、どんなに巧妙に隠されていても見付けた筈だ。

 そうして塔を出た者が一人でも居れば、その方法は『塔の物語』の中に伝わっている筈である。しかし、そんな内容を含んでいる物語をたったの一つも聞いたことがない。

「思いませんね」

 私の問いに、サシェナは如何にも、馬鹿馬鹿しい、という口調で答えた。

「何十年間も見付からなかった匙《スプーン》や手紙というのは数え切れないほどあります。何百年間も見付からなかった宝石や城跡だって、ざらにある。千年間見付からない錠だって当然、あります」

「錠はこの塔の中にしかないのです」

 そんな何処にあるとも知れない物達とは違う。

「食堂から厨へと食器を片付ける際に落とした匙だって、食堂か厨、精々廊下にしかないのに何人でどれだけ探しても見付からない時には見付かりません。そして、やっぱり食堂か厨か廊下で見付かるのです」

 確かにそういうことはあるが――それでも納得し難い気持ちが表情に出た。サシェナが私の顔を改めて見止めて、少し首を傾げる。その瞳に同情がある。

「キスをして欲しいのですか?」

 「キス」とは何でしたか――聞いたことはあるが、と思う。

「そんなに不安気に見上げられると、慰めて差し上げたくなる」

 ふ、と顔を近付けて来るので、私は内心に「思い出しました!」と叫んで口唇に拳を当て、サシェナの陰を抜けだした。数歩、後ずさる。

「無用のお気遣いです!」

 慰めることと接吻けることが同一線上にある理屈が理解出来なくて、怪訝気に見上げると、笑っている。

「揶揄われたのですか?」

 サシェナは笑いながら頷いた。

「あなたは時間は無限にあると思っているのかも知れませんが、時間は有限です。この先の時間はうんと短くしか残っていないのです。詮無い議論は楽しいですが、するべきことをしてからにしましょう」

 サシェナは手で塔の中へと続く扉を示した。

「旋風の部屋に案内して下さい」

 部屋を見せるのは吝かではない。実際、先刻から話題に出ている好事家にも見せた。だが、サシェナは大丈夫だろうか?

 何かとんでもないことをしでかしそうで、怖い。心配。不安。

「あの、部屋で何をされるのですか?」

 扉の前まで戻ったはいいものの、躊躇いを覚えて、つい口を開く。

「今はただ「見たい」としか答えられません」

 先刻までとは違う、少し硬い声が返って来た。

 それから「さあ」と促される。

「これ以上待たせないで下さい。これ以上時間を伸ばそうというなら、僕はあなたに酷いことをしなければならなくなる」

 真後ろに居るサシェナを首だけで振り返り、見上げると、眉尻を下げて微笑まれた。

「そんなことはしたくありません」

 仕方なく、私は扉を押し開いた。



 旋風《つむじかぜ》の部屋は、窓のない丸い部屋だ。

 この塔は四角いのに、この部屋だけが丸い形をしているのは、この部屋が実は塔の一室ではないからではないか、と私は考えている。窓も洋燈《ランプ》もないのに仄かに明るい。何処となく不思議な空気の流れている部屋だ。

 円い床のほぼ一面に大きな魔法陣が書かれており、その中央に黒色《クロ》い塔らしい物が立っている。その周囲を旋風がゆっくり回っている。

 塔と旋風には輪が掛かっており、間を鎖が繋いでいる。手枷で繋がっているよう、といえば分かり易いか。


「成程」

 サシェナは扉を開いた私の傍らを足早に追い越して行った。

「あのっ」

 そのまま真直ぐに黒色い塔の方に向かって行こうとするので、思わず声を掛ける。振り返って、サシェナは首を傾げる。

「何でしょう?」

 改めて問われると言い難い。

「あの、足」

 サシェナは足を見て、拍子を取るように足を一度動かして、それから私の方を見た。

「靴を脱いだ方が良い?」

 見当違いのことを言い出すので「違います」と、言って私はサシェナを追い駆け、腕を取った。

「踏んでしまいます」

 魔法陣から一歩引き離すと「え」と声が落ちる。

「踏んでは駄目なのですか?」

 こちらが驚く番である。

「このようなものは踏んでは駄目なものなのではないのですか?」

「作動していますから大丈夫でしょう」

「そういうものですか?」

「作動していなければこの一部でも欠けると壊れるでしょうが、作動していれば魔法陣はそんなことでは壊れません」

 「回っている独楽が倒れないのと、似たようなことです」とサシェナは続けた。

 『目から鱗が落ちる』とはこのことだ、と感心していると、腕を捕らえていた手を取られた。腰に腕が回り、サシェナの歩に倣わざるをえなくなる。

「あの!」

 一歩踏み出した所で足を踏ん張って、声を上げる。

「何でしょう」

 返るサシェナの言葉に多量の笑いが含まれている。

 「踏んでも大丈夫だ」と言われたからといって魔法陣など踏みたくない、と思っている私を察して連れて行こうとしているのだ。意地の悪い!

「私は遠慮します」

 逃れようと身体を捩るが、余り効果はない。

「まあ、いいじゃないですか。一緒に、あの、小さな塔を見に行きましょう」

「結構ですっ」

 本当に、心の底から、魔法陣に乗るなど御免蒙る、と思って体重まで掛けて逃れようとしているのに、サシェナは何処吹く風という風情で、私の身体を引く。

「そんなにコレの上に載るのが嫌なら抱いて行って差し上げましょうか?」

「置いて行って下さい!」

 抵抗も虚しく、私は結局、魔法陣の上を歩かされる羽目になった。

「ひあ!」

 強く引かれて、体勢を崩して、魔法陣の上に踏み込まざるをえなくなる。

「っと」

 せめて、と線を踏まないように注意深く足を置く。

「う」

 一歩進む度に隣の笑いが止まらない。声を上げて笑っているわけではないが爪先立ちで歩幅を調整しながらよろよろと歩く私はサシェナに身体を半ば預けている状態なので、笑いに震えているのが直接に知れる。

「待って、下さい。はやい」

 因みに、サシェナは何に構うこともなく魔法陣の上を普通に歩いている。

「後。笑うなら、どうぞ、お心のままにっ」

 笑いを堪えて尚笑われるのは余計に恥ずかしい、と内心泣きそうになりながら訴える。

「すみません。面白く、て笑っているわけではない、のです。余りに、可愛らしくて」

 合間に笑いを含む言い訳に、馬鹿にして、と睨むも笑いは増すばかりだ。

「も……早くあそこまで行きましょう」

 不服を訴えようとして、無駄だと悟って、建設的な提案をする。

 「あそこ」とは黒色い塔の周囲だ。人間が一人歩くのに丁度くらいの細い小径のような輪になっている空白帯がある。実際、黒い塔を見る為の足場的な空間だと思う。

「抱っこですか?」

「違います!」

 慎重に足を置く場所を吟味して進んでいるのに、意地の悪いことに、サシェナは不意に押したり引いたりして来る。その度に苦情を言い募り、代わりに精神を擦り減らしながら漸く黒色い塔まで辿り着いた時、私は疲れ果てて、その場にしゃがみ込んでしまった。座り込んでしまいたかったが、場所にそれだけの余裕がなかった。

 三尋ほどの距離がこれほど遠いとは思わなかった――。

「良く頑張りました」

 サシェナが巫山戯て、膝を抱える私の頭を撫でて来る。

 それに「止めて下さい」と言う気力も、もうない。

「ここで、塔でも見ていて下さい。こんなに傍で見るのは初めてでしょう?」

 私に反応がないので、つまらなく思ったのか、気配が遠ざかって行った。

 膝に埋めていた顔を上げて見遣ると、腕を組み歩きながら魔法陣を見下ろしている。

 動いて魔法陣を踏んだりすることが恐い私は傍らの黒色い塔に視線を移した。

(つやつやだ)

 部屋の端から遠目に見ている時にも、磨かれている感じだと思ってはいたが、想像以上である。

(水晶みたいなのに、全然、透明感がない)

 何で出来ているのか、私の知識では全く見当も付かない。

 顔を近付けると、円柱形の塔の壁面に顔が映って、それが魚みたいで面白い。

 顔を近付けたり離したりして遊んでいると「何をしているのです」と呆れた声が降って来た。

 返す言葉もない。

「キスの練習なら喜んでお手伝いしますよ」

「申し訳ないですが、色事の話題は苦手なのでそういう風に揶揄わないで下さい」

 サシェナには何の罪もないと知りながら恨めし気に見上げると、彼は少し肩を竦めて見せた。

(また、馬鹿にされているのだろうなぁ)


 塔に来る以前、私は、隊商で帳簿係を務めていた。

 隊商は砂漠を旅するので、商品以外は、基本的に男ばかりだ。酒を飲めば必然的に性の話になる。

 それを生業にしている人達の話であるのなら未だ聞いてもいられるのだが、これを外れると途端に駄目である。同僚の恋や妻との話などは「手を繋いだ」とか「肩を抱いた」とかだけでもう生々しくて聞いていられない。その先のことなど以ての外だ。

 若い時には未だ「苦手で」といって逃げていられたが、何時頃からか、その手の話題に無理矢理付き合わされ「止めて下さい」と言っては笑われた。

 酒の席の余興だ、と既婚の先輩に接吻けられそうになったこともある――。

 頭では、遊びである、と理解しているのだ。相手が既婚者だったのも、私を性の対象にしているわけではない、という配慮だ。だが、それが良くなかった。先輩の手や口唇が本来は奥方のものであると思うと耐えられなかった。

 いっそ私を性欲の対象にしている相手の方がマシだったと思う。何度かあった閨の誘いを全て即答で断わっておいて、言うことじゃないかも知れないけど(旅の途中で仲間内で処理することは然程珍しいことではないのだ)。


(あの時、怒られたなぁ)

 余興だと言っているのに私が本気で嫌がるものだから、興醒めだ、と言われた。

 嫌なことを思い出した、と浸っていると肩に触れるものがあった。そんなものに心当たりのない私は息を呑む。身体が跳ねる。

「どうしました?」

 反動で体勢を崩し、転びそうになった私を、サシェナの手が支えてくれた。

「気分でも悪いのですか?」

 しゃがみ込んで、顔を覗き込んで来るサシェナの質問に首を振って答える。

「この体勢でずっといるのは辛くありませんか?」

 しゃがんでいる己の姿を思い出して、言われてみればいい加減脚が痺れているかも知れない、と思う。

「少し」

「僕の方はもう少し時間が掛かりそうなのです。陣の外へお連れしましょう」

 当然のように差し出された手に、当然のように手を乗せた。

 ここに連れて来られた時のように、手を引いてくれるのだ、と思ったのだ。突然、目が回るなんて予想もしなかった。

「よ、と」

 何が起こったのか理解出来ない私の身体の下の方で声が聞こえた。胃の腑辺りに確りとした硬いものがある。その下方を掴んで、傾いでいる身体を立て直す。

「サシェナ様」

「何でしょう?」

 肩下にある頭を見下ろす。

「降ろして下さい」

「もうすぐです」

 言葉通り、担がれていた私は間もなく床へと降ろされた。

「あなたの歩くのに付き合っていたら時間が幾らあっても足りません」

「それならそれで、一言仰って下されば」

「断われば、嫌だ、と言うのでしょう?」

 言いますとも。

「さて。使って悪いのですが、幾つかお願いがあります」

 サシェナは指を一本立てて言った。

「玄関で僕の鞄を拾ってここへ持って来て下さい。鞄に水筒がありますのでそれに水をお願いします。水筒はあなたの分も用意して下さい。後、何か飲み物をお願いします……コレは今呑みます」

 最終的に指は三本立った。

「取り敢えず、これだけお願いします」

「承知しました」

 指示し慣れた様子に、少し感動した。

 今この場面だけを切り取ればサシェナは、使用人を大事にする優しい若旦那様、だ。見栄えも良いから、事実であれば大層慕われただろう。

 快く仕事を請け負って、部屋を出た。

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