第2話 塔の守人

 私の方は胸の内で「何なんだこの人」と続けていた。一度こんな風に思えると、混乱も動揺も一気に落ち着いて来る。

「会いたかった。ずっと」

 もしかしてサシェナは何か勘違いをしているのではないか、と思い至る。全く別の塔に辿り着いたと思っている、としたら?

「六年間掛かりました。実際に砂漠に入れたのは三回でしたが」

 この塔を訪ねる為の労力だと考えるとただただ無益なものに思えるが、別のもっと何か価値のある塔の為ならおかしいこともない。その塔の守人は、大人物なのだろう。

「あ、あの」

 私はサシェナの肩先を掴み、押した。

 抵抗に気付いたサシェナが、背が撓るほど強く身体に巻き付けて来ていた腕を少し緩めてくれる。先刻からの様子では、離してくれないのではないか、と危惧したが背に回っていた腕は思いの外すんなりと解かれた。

「何でしょう?」

 背中にあった手が肩下に置かれる際、頬から首、肩と改めて撫で下ろされたことは無かったことにする。

「サシェナ様はどちらをお尋ねなのでしょう?」

 見上げて言うと、喜色に満ちていた顔から表情が抜けた。

 無表情というより呆然とした表情で、真直ぐに私を見て来る。

 口を挟まれないことに、私は勢いを得る。

「お話を伺っておりますと、どちらかとお間違えではないかと思えます。こちらには私しか居りません。サシェナ様のお役にたてることなどあるとはとても……」

「砂漠の嵐の中に建つ塔がそう何本もあるとは思えません」

 茫とした様子からは想像し難いきっぱりとした口調だった。

 言い分はもっともだが、この塔にある価値のありそうなもの、といえば井戸水だけだ。これも砂漠の中だから価値があるわけで、砂漠の中まで探しに来る類のものではない。

「そうですが」

「そんなことより」

 不意に、腕を掴んでいた力が強くなった。

 何事か、と解けた筈の緊張が俄かに戻って来る。息を呑む。

「その呼び方は、とても気に入りました」

 真剣な眼差しと、告げられた内容が余りに乖離していて、私の頭は再び混乱に陥った。

「何時も何時もそのように呼ばれることは好みませんが、折に呼ばれるのは良い。擽ったい感じがします」

 「もう一度呼んで下さい」と、何処となく艶を含んだ声が言う。

「サシェナ、さま」

 こういう場合、何と答えたものか――思考が停止していなくても思い付かない、世慣れない私は、望まれるままを口にした。

 サシェナは上機嫌で「良いですねぇ」と微笑った。

「あの」

「大丈夫です」

 断言されて、何を言い掛けたのだったか、忘れた。

「僕が目指していたのはこの塔だし、会いたかったのはあなたです。間違いありません」

「どうして」

 塔の外観と玄関扉、それからこの広間しか見ていないサシェナが何をもってこうも自信たっぷりに断定するのか理解出来ない。

「――年の頃、二〇歳になるかならないか。しかし彼が言うには二〇代半ばだという。小柄で華奢。南方の出身かその血が濃いのか、平坦な丸顔。物静かで温順しい。理智的。極めて善良――」

 突然、サシェナは脈絡のないことを口にした。ただ、音読するような語り口調に、何かを暗唱していることが知れる。

 何故、今それを口にしたのか、が分からない。

 呆けている私に、サシェナは微苦笑をくれた。

「『泉の塔』から戻った男の日記の一部です。あなたのことでしょう?」

 今聞いた内容を思い返す――童顔、小柄、肉付き悪し。生まれも育ちも西方であるが両親は共に南方出身。内向的で人見知りであることを良く言えば「物静かで温順しい」のかも知れない、が。

「まさか!」

 理智的で極めて善良――など過大評価にしても有り得ない。

 大きく首を振る私から腕は離さずに、最大に距離を取って。サシェナは私の足先から頭頂までを見遣った。

「あなたのことですよ」

 自信たっぷりに言われて、恥ずかしさに俯く――本当にそのように見えているのなら嬉しいと思う。反面、自身を省みれば至らない所だらけで、落差に身が縮む。

「私は、算術の心得はありますが、それだけです。他のことは何も知りません。小心なので、皆と違うことをすることが恐ろしいだけです」

 きっと、砂漠には思ったより多くの『塔』があるのだ。

「それに、生憎ここは『泉の塔』などではありませ」

 顎を掬われ、私の言葉は途切れた。

「では『迷い人を喰らう嵐の塔』?」

 指の宛がわれたまま頷くことも出来ず、代わりに「間違いない」と伝わるようにゆっくりと瞬きをしてみせると、サシェナは「なら、間違いない」と頷いた。

「あなたの生まれた時代に『迷い人を喰らう嵐の塔』と呼ばれていた塔は今は『泉の塔』と呼ばれているのです」

 肩に残っていた手が離れ、頬を包む。

「あなたがそう呼ばせているのですよ」

 内心で首を傾げたのが表情に出たのか、サシェナはまた一節を暗唱した。

「――砂漠の夏の嵐の中に建つ塔の守人は、迷い人に、涸れるまでは涸れない魔法の水を与え、願いを一つ叶えてくれる――」

 薄い茶色の瞳が、じ、と私を見詰める。

「心当たりがあるでしょう?」

 なくはない、が――。

「願いなど叶えたことはありません。水のことは、こんな所にいれば、誰だって同じことをするでしょう」

「そうではないから、あなたはここに居るのでは?」

 両頬が大きな掌に包まれた。

「先刻の、あなたのことを日記に書き残した男はあなたとの会話も詳細に書いています。昔、好事家の男にあれこれ話して聞かせたことがあるでしょう?」

 ある。とても好奇心の迷い人の男が居た。

 迷い人の多くはこの玄関広間に呆然と座り込み、また立ち尽くし、私の姿を見て恐慌に陥る――塔の守人は魔人だ、と考えられているのだ。魔人、とは恐ろしいもののことである。

 一人、好事家だと言い私を質問攻めにした男がいた。

 余りに多くのことを問われ、答えたので何をどう話したかは覚えていないが、塔の守人になった経緯は話した気がする。

「――彼は、正体を失った女に首飾りを掛けられ、守人となった――」

 私は胸を押さえた。服の下に件の首飾りが収まっている。

「僕はこの塔のことを色々調べています。守人はほぼ「男」と語られていますが、年齢や身体の大きさはまちまちです」

 あの女性は正気ではなかった。心を病んでいる様子だった。正常な状態であのようなことをする筈がない――。

「ずっと、引き継がれて来たのです」

 騙してあるいは力尽くで、とサシェナの瞳が語っていた。

 返す言葉はなかった。

「ただ、ここ数百年間はずっと……要約すると「優し気な若い男」と語られています」

 私のこと、だろうか――。

「納得しましたか?」

 分からない。けれど、否定する材料も見当たらない。

 曖昧に頷くと、サシェナは「さあ!」と気を取り直して言った。

「取り敢えず『旋風つむじかぜの部屋』に案内して下さい」

 この人は――気持ちの切り替えが早い、と評すれば良いのだろうか。

「すみません」

 反転させられて、背にしていた扉を前に溜息が洩れた。

「何でしょう?」

 私を扉に向かわせるだけで自ら手を出さないのは、サシェナは、塔の扉が玄関扉以外は守人にしか開けられないことを知っているからだろう。因みに、逆に、守人は玄関扉だけは開くことが出来ない。

 些細なこともよく知っている。

「先にご用件をお伺いしても構いませんか?」

 サシェナは塔のことを調べ上げ、時間と命を賭けてここを訪ねて来た。

 塔のことも守人のことも何も知らずに来たのなら未だ「願いを叶えるという守人に奇跡を願って」などの理由も考えられるが、サシェナは違う。この塔にも、守人である私にも何の力もないことを知っていてやって来たのだ。

 訪問の理由というものが全く思い付かない。

(私に会いたかった、とはどういうことだろう?)

 他にも気になることを聞いた気がするが――と考えていると、再び反転させられた。

「あぁ! そういえば自己紹介も途中でしたね」

「ぇ……いゃ」

「僕の名前はサシェナです」

 それは先ほど聞きました――。

「本来は学者ですが、世間では探検家としての方が通りが良いです」

「あ、の」

 何時間か後には永遠の別離を迎える、二度と会うことのない相手のことなど、出来れば知りたくないです――。

「独身です」

「そうではなくっ」

 私と貴方の間にその情報を共有する必要がありますか――?

「あなたを傍に置くのに何の障害もありません。あなたを迎えに来ました」

 私は、サシェナの晴れやかな笑顔を、呆然と見上げた。


 塔の守人……塔の鍵を手にした者……は塔からは出られない。

 ここが砂漠のただ中であるからではなく、塔を一歩も出ることが出来ないのだ。そういう“呪い”である。


 何種類かある塔の物語にも「塔の守人は塔に封じられているのだ」という内容を含んでいるものがある。

 塔のことを調べているサシェナが知らぬ筈がない。

 何を言い出すのか、と私は眉を潜めた。

「僕は砂漠の東方の出身です。砂漠の縁に住む者の常で僕も子供の頃から塔の物語は何度も聞きました。僕の聞いた話はあなたの物語です」

 サシェナがにこりと微笑み、先刻の話を思い出した私は「大それた話になっていたな」と少し怯む。

「僕は塔の守人に夢中になりました。良い魔人もいるのだ、と。それで僕は世の中の不思議なことを研究することになったのです。その途中で先ほどの好事家の日記を見る機会を得ました。魔人だと思っていた人は……塔に囚われた憐れな人だったのです」

 意味深長に口調を変えて言われた「塔に囚われた憐れな人」その一言に目眩がした。

 常には努めて忘れていることだ。

「止めて下さい」

 思い出せば、正気ではいられなくなる。

 「止めて」と繰り返すと、抱き締められた。あやすように髪が撫でられる。

「それまでの守人は皆、後に迷い込んだ人を身代わりにして自由を得たのに、当代の守人は違いました」

 先刻とは違う、包み込むように囲う腕を掴んで押すが、今度は離される気配がない。

「身を犠牲にして後から来た人達を帰している。とても、優しくて心の清い人だ」

 勝手な解釈に胆が冷える。

(そんなんじゃない)

 塔を後にする喜びより、誰かを犠牲にすることに対する恐怖の方が大きかっただけだ。死ぬまで後悔を抱えて生きるなら、平凡な日常を諦めた方がマシだ、と思っただけ。

「離して下さい」

 これ以上聞きたくないと思って言うと「嫌です」と返って来た。

「折角会えたのですから少しくらい触らせて下さい」

「少し、て。先刻から、随分さ……」

 触られている気がします――とつられて口にしそうになったが、何となく、はしたない気がして口唇を噛んだ。

 私の羞恥に気付いて、サシェナが小さく笑う。

「しかも純情だ」

 くすくす、と続く笑いに――私よりずっとずーっと年下のくせに! と胸の内で悪態を吐く。

「二〇年間想い続けた相手なのですから、こんなのは本当にほんのちょっとです」

「お気の済むまでこのままで結構ですので、代わりに黙って下さい」

 当面、サシェナの腕から解放されることを諦めて温順しくその胸に納まると、逆に、肩を掴んで離された。

「出来ません。これでも、小さい頃は「口から生まれて来た」長じてからは「会話しながら呼吸する」と言われて来たのです。黙ると死にます。友人の医師にもそう言われています」

 本当に黙る気はないらしく、肩からも手が離れ「それで何でしたか」と言った。

「あぁ、そう。僕がここに来た理由でした」

 手を離したのだから、もう少し会話のし易い距離まで一歩せめて半歩下がれば良いのにサシェナは私の顔の左右に両手を突いた。相変わらず、近い――肘は真直ぐに伸ばしておいて下さい。曲げなくて良いです。

「どうも僕は真直ぐに話をするということが苦手なのです。すぐに脱線させてしまう」

 その無駄な一言を挟むのを止めたら脱線しなくなるのではないでしょうか――初対面の相手に面と向かって言う度胸はない。

「ご存知のこととは思いますが、守人は塔を出られません」

 私は話を戻した。

「そんな事実を僕は知りません」

 サシェナの手がまた触れて来る。指の背が顎を撫でる。

「僕にあるのは」

 顎の片側を二往復した指が、するり、と喉を辿り下りた。

「塔をちゃんと出ようとした人はいなかったらしい、という推測だけです」

「何をするんですかっ!」

 喉を下って、襯衣シャツの襟の内側を掻いた指先が、首に掛かった鎖を引っ掛けたことに気付いて、驚いて私は咄嗟にその手を喉元に押さえ付けた。

「手を離して下さい!」

 首に掛かっているのは、塔の守人の証である首飾りだ。

 これを手にした者が『塔の守人』である。

 塔の守人には、二度はなれない。だから、私はこれを離すわけにはいかない。

「あなたが手を離してくれなければ離せませんよ」

「早く!」

 軽口に付き合う余裕もなく、急かす。私の剣幕に負けてサシェナも素直に指から鎖を落とした。互いの手が離れる。

「見せて下さい。それくらいは構わないでしょう?」

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