第3話 回顧、あるいは睡郷

上流階級どもの考えってやつは、今も昔もよくわからない。

当時――この都市がまだ第30層まで存在した時分の話だ。

俺と、そして妹と弟。

3人の身寄りのない兄弟は、現在とは異なりまだ少しひと気のあった第26層で暮らしていた。

ときたま現れる、水や食糧を持ってきてくれる執事めいた謎の人物によって、ある意味で生かされていたのだ。

今から思えば、あれは異様だった。最下層ではなかったけれど、下層も下層、当時から治安も悪く子供が簡単に生きていけるような場所ではなかったあの場所で、俺たちはそれなりの生活をしていたのだから。

俺達はおそらく上流階級の人間の隠し子だった。もっとも、俺達3人が本当に血の繋がりのある肉親なのかどうか、全く確かめようもなかったのだが――結果的に俺が下層の咎人でありながら都市の権力者、黒崎家に引き取られたことを考えても、また妹の口調がまさしく貴族のそれだったことからも――極めつけは食糧を持ってくる男の存在だったわけだが、まあ普通の下層育ちというだけではあり得ないということは事実だ。

そう、何らかの力が働いていなければ、説明のつかないことが多すぎた。

罪人共も跋扈する底辺社会で、比較的不自由せず暮らしていたガキ達に、それまで危害が加えられた試しがなかったのだ。


しかし、そんな日々も終わりを迎える。

3日置きくらいで姿を現していた執事のような男が、唐突に来なくなったのだ。

いよいよ本格的に見捨てられたのか、何があったのかは今となってはわからない。

だが、当時の俺たちにとって水も食糧も欠乏したあの環境は、即ち”死”を意味していた。

初めて鼠を食った。尻尾を摑まれてのたうち回るそいつを、何度も何度も地面に向けて鞭のように叩き付け、ぴくり、ぴくりと痙攣して静かになったところで皮を剥ぐ。

餓死するよりは、目の前の肉を喰らって病気になるほうが幾分かマシに思えた。

腹を壊しそうな薄汚れた水も、鼻の奥に溜まる何とも表し難い生臭さを我慢すれば、飲めなくはなかった。

こうした生活でどうにか命を繋いでいた俺達だが、鼠だってそう多くは出ない。捕まえる労力のわりに、得られるエネルギーは少なかった。

限界を感じ始めた頃、ついに盗みを働いた。

長男の俺とは異なり育ちが良かった妹の由衣は、生きるために奪うという限界生活に最初は順応できなかった。

しかし、やがて後ろ暗い下層での生活に慣れてくると、兄妹3人揃って追剥ぎから他の賊との死闘まで生活のためなら何でもするようになった。

そうして、今から8年ほど前のことだろうか。ついに俺達兄妹は下層の裏ボスに登り詰めたのだ。

『リコリスは咲いているか?』

あれは、当時の俺達の合言葉だった。

気取っていた、と言えばその通りだろう。齢15ばかりだった俺は、無根拠な全能感に酔いしれていた。

その日――弟が死ぬまでは。


"鼠狩り"、なんて後に呼ばれるようになる虐殺行為が行われ始めたのが、その頃だった。

「なあ、ここの奴らって戸籍もねぇんだろ?」

「だな」

「へへ、殺し放題じゃねーか」

血に飢えた奴らの道楽。身なりの整った奴等が多かったのが、やけに印象的だった。

俺たちが鼠に対して残虐な仕打ちをしたように、彼らもまた俺たちをそのように扱った。

なんの躊躇いもなく銃の引き金を引き、得物を振り回し、笑みさえ浮かべて俺たちを蹂躙しにかかる。

弟は、そんな彼らの前に倒れたのだ。

見るからに助からないその体を引きずって俺の前へ来る。

「なあ、兄貴……。俺のこと、殺してくれ……」

時折苦しそうな声をあげながら、ひたすらに血を流し続けているそいつを見て、俺は覚悟を決めた。

「すまんな……守ってやれなかった」

「…………」

弟は何も言わず、涙を浮かべていた。

「いくぞ。いいんだな?」

目を閉じたそいつの心臓を、俺は精一杯の力で一突きにした。


「ねえ、兄様。私がもし死に損なったり兄様と道を違った時には、情け容赦無く殺して頂戴ね」

いつか、妹がそう語ったことがあった。きっと弟にトドメをさしたあの出来事を思い返してのことだろう。

俺が何と答えたか――定かではないが、セピア色のネガ像の中、1コマだけポジ像が混じったみたいに、その瞬間だけは今でもやたらと鮮明に覚えている。


その後、紆余曲折があって俺だけが黒崎というこの都市のボス級貴族の爺さんに引き取られて今に至るのだが――。

なぜ俺を引き取ろうと思ったのか、爺さんは頑として語らない。やはり上流階級どもの考えってやつはよくわからないものだ。

何はともあれ、別れた妹の行方がその後分からない、ということだけは今でも気がかりなのである。

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