第4話 罠


『あのー……こういう連絡ここで合ってるのか分からないんですけど、なんか動物の罠? に人間っぽいものが掛かっちゃってるんですけど……。ちょっと怖いんで早々になんとかしてくれません?』


 調査部にそんな通報が入ったのは、弑流が事件に巻き込まれた日の翌日だった。


「人間っぽいもの……ですか?」


 調査部の部長であるリチャード・クリスティは、その整った眉を寄せて聞き返した。

 もし捜査部にこの通報が入っていたならすぐさま昨日の事件と結びつけたであろうが、ここは調査部である。その上残念なことに、現場部からの報告も回ってきていなかった。そのため、リチャードはまた変な依頼か……と小さく首を振った。


『はい。人間かは分からないんですけど、肌色が見えたので……。肌色の動物が人間しか思いつかないんですよね。見る勇気もないし……だからお願いします。死んでたりなんかしたら寝覚めが悪いじゃないですか』

「あー……分かりました。場所を口頭かデータでお伝え願えますか?」


 本当はこういった依頼は救急部か捜査部の現地捜査課が担当なのだが、その二つは各地から通報が来ていて忙しく、危険度の高いものから処理されていくため信憑性や危険性が薄いものは後回しにされがちだ。よって、すぐ調べてくれそうな新設部署の調査部に連絡してきたのだろう。

 実績の薄い調査部は未だに世間からの信用が薄いのか、設立されてから1年経つというのにそれほど依頼が来ない。”調査部”という名前が抽象的で分かりづらいということも理由の一つだが、やはり実績の差は大きい。


『ええと、口で言うのは難しいのでマップ送っておきますね。よろしくお願いしますよ』


 依頼人の男は言うだけ言うとさっさと通話を切ってしまった。程なくして現場の周辺マップが送られてくる。該当の場所には赤で丸印が書いてあった。

 仕事内容としては管轄外と言えなくもないので一応内線で局長に指示を仰いだが、


『あー、救急部も現地調査課も忙しいからねぇ……せっかく来た依頼だし、調査部よろしく!』


 との答えが返ってきた。それなりに細かく部署分けをしている割に仕事の内訳はガバガバである。

 リチャードは、はあ……とため息を吐くと部下たちの元へ向かった。

 本当に人間が掛かっているのなら大変だ、一刻も早く助けなければ……と思う反面、本当にそんなことがあるのか? という疑問も残る。これが何十年前とかならともかく、今は科学技術も発達して山々でさえも誰かの私有地だ。他区はともかく、中央区ではそうである。それをこんな時代にわざわざ何もない森へ、しかも勝手に私有地に入るなどあるのだろうか。

 他部署に比べれば暇人の部類ではあるが、こちらとしては全く暇ではない。正直きちんと確認してから連絡して欲しいものである。


「皆、久々の依頼だよ。私も行くから他二人くらい応援を頼みたいんだけど……」


 事務仕事用のデスクがちらほらと並ぶ部屋に入り、声をかけながら部屋を見渡す。調査部員はリチャード含めて七人いるはずだが、部屋にいたのはちょうど二人のみ。ちなみに昨日の入局式では新入局員は入らなかった。


「えー、ちょうど二人しかいないじゃないですか」

だる……失礼、僕は遠慮しておきます」


 のっぽ癖毛ことシャルルと、前髪マスクことレノだった。


「あれ、エリーと御影みかげ君とひじり君とみお君は?」

「ヴァレンタインさんと御影さんはいつも通り局内図書室、京極きょうごくさん親子は資料のコピーに行ってくれてます。俺もお菓子休憩しようかなって思ってたところだったんですけど」


 詰まるところ、今も真面目に働いているのは聖と澪の親子だけだということである。


「……うん、まあしょうがないね。皆それぞれ事情があるし。……と、いうことで君たち一緒においで。拒否権はないよ」

「えー! お菓子は?」

「それは後」

「僕帰りたいです」

「この任務終わったらね」


 にこやかだが有無を言わせないリチャードに、自由人二人も渋々頷く。優しそうに見えても今まで問題児達をまとめてきた実力は伊達ではない。


「で、依頼ってどんな内容なんですか?」

「それは行きがてら話すから、ほらすぐに支度して。信憑性は低いけど、一応緊急の要件だからね」

「はあい」


 リチャードに送られてきた位置情報は、中央区内の東区寄りの地点。ちょっとした山の中腹辺りが現場のようだ。麓までは車で、それ以降は徒歩での捜索となるだろう。警察局が所有する駐車場から空いている警察車両を配車してもらい、その車がある場所に向かう。


「部長、俺運転していいですか~?」


 シャルルが爽やかな笑顔でした提案を、


「あ、いや、私が運転するから……」

「現場に着く前に僕たちを殺す気なの?」


 リチャードとレノは真顔で首を振って却下した。シャルルはいろんな意味で運転技術に定評があるため、彼に運転を任せるということはすなわち車酔い確定、果ては車内が地獄と化すのである。

 二人に全力で否定されたシャルルはちぇっと残念そうにしながら、大人しく助手席に乗り込んだ。一応緊急の依頼だと言っているのにこのようなノリだから問題児だと言われているのだが、リチャードにはそれを指摘する気も起きなかった。彼は無言で運転席へ、レノは後部座席に座る。

 目的地に向けて走りながら、リチャードは依頼の内容を説明した。


「獣用の罠に人間っぽいもの、ねー……。俺遺体とか見つけるの嫌ですよぉ……こういうのヴァレンタインさんが向いているんじゃないですか?」

「僕もそう思いますね。僕が動物嫌いなの知ってるでしょう。人間だったら別にいいですけ……失礼、人間だったら助ければ良いですけど、普通に動物が掛かってたらどうするんですか?」

「そう言われても、もう受けちゃったから仕方がないんだよ。既に現場に向かってるし。エリーを呼びに行く時間が勿体ないし。……動物だったら何もせずに猟師の方に連絡すればいいよ。その場合レノは近付かなくていいから、ね? それと、もし万が一お亡くなりになられていたら、私が対処する。だから人間で、生きていた場合は手伝ってくれるね」


 部長にここまで譲歩されれば、いくら問題児達であっても素直に頷いてしまうものである。静かになった二人を見て、リチャードはやれやれとため息を吐いた。


 現場の山の麓にたどり着き、ここからは徒歩での移動となる。山自体はそれほど高くないが、傾斜がそれなりに急なので足下に気を付けなければならない。


「……この辺りのはずだけど」


 リチャードが位置情報を元に地点を絞り、周囲を見回す。が、長年の間に積もった落ち葉や枯れ枝のせいで足場が悪く、また生い茂った木々の枝によって視界が暗いため、ぱっと見ただけでは見つかりそうもない。

 地面を踏みしめて慎重に進みながら、どうしたものかと思案する。例え何もなかったとしてもその罠だけでも見つけなければ、任務完了とは言えないだろう。

 ただ、それ自体がそもそもガセだった、ということも視野に入れる必要がありそうだ。


 この一帯を捜索して何もなければ早々に切り上げよう。そう思った時だった。


 バキッ……とリチャードの足下で音がした。同時に、足の裏で何かを踏み割る感覚がある。音と足裏の感覚からそれが木の枝だと分かったが、リチャードにそれを確認する暇はなかった。

 音に反応して、自身の真横の茂みから生き物が飛び出してきたからだ。


「危ないっ!」


 反応が遅れたリチャードを、彼の後ろから付いてきていたシャルルが引き戻す。先程まで彼の腕があった場所を小刀の刃が空を切った。


「わっ」


 バランスを崩したリチャードに巻き込まれて、シャルルは彼ともつれ合う様にして尻餅を付いた。

 直後、ガシャン、と重い金属音が響く。

 何が起こったか分かっていない二人の後ろで、レノは何をするでもなくただ見ていた。


「子供……?」


 リチャードに襲いかかったのは、昨日弑流にも襲いかかった小柄な人物だった。その人物は半ば腹ばいになる様にして、上半身を片腕で支え、もう片腕をリチャードに向けて伸ばしていた。そこには小刀が握られている。小刀はリチャードに届くことはなく、少し手前で止まっていた。

 不自然に後ろに伸ばされた左足には鋭い刃が付いたトラバサミががっちりと挟まっており、その細い足からは多量の血液が流れている。挟まれている箇所から下は紫色に変色しかけていた。

 近付いてきたリチャード達に一矢報いようと飛び出したが、この足枷に阻まれてリチャードに刃が届かなかったのだろう。

 小柄な人物は自分の攻撃が届かないと分かると犬歯を剥き出して威嚇した。喉の奥からウルルグルルルル……と獣の唸り声を上げる。ちょっとでも近付けば切りつけるか噛みついてやろう。そんな気概が感じられた。

 しばらく呆けていたリチャードははっとして後ろを振り向く。この少年だか少女だか分からない相手の獣っぽさ、動物嫌いなレノには恐らく駄目だろう。彼は特に肉食獣と鳥類が苦手なので、この子供の肉食獣っぽい顔はドンピシャで駄目なのではないだろうか。

 案の定、レノは身を固くし、胸の前で小刻みに震える右手の手首を左手で掴んでいた。


「レノ、車に戻って麻酔銃を持ってきてくれるかい? トランクに積載されているはずだから」


 リチャードは彼に素早く指示を出すと、現場から離れさせた。危ないところを助けてくれたシャルルに礼を言って、尻をはたいて立ち上がる。シャルルも同じようにして立ち上がった。

 武器を持っていることから一般の善良な市民ではないことは明らかだが、こんな子供が親も連れずに罠に掛かっているのは普通に考えておかしい。何か事情がありそうだ。リチャードの脳裏に「狼に育てられた少女」という何処かで読んだ話が浮かんだ。もしかしたら、そういった類いかもしれない。


「落ち着いて聞いて欲しい。私たちは君に危害を加える気はないんだ。ただ罠に掛かっている人を助けて欲しいと頼まれただけなんだよ」


 言葉が通じるかは分からないが、相手をなるべく刺激しないように少し離れ、優しい口調で話しかける。

 相手は怪我をした足を庇うようにしながら小刀を胸の前で構え、それを収めようとはしなかった。それは怯えて傷ついた獣が攻撃的になる様子によく似ていた。

 リチャードが困っている様を見たシャルルも、そっとしゃがんで子供と目線を合わせると、心配そうに話しかけた。


「俺たちは警察局の人間で、あなたを保護しに来たんですよ。ほら、その足すごく痛いでしょう? 変色してしまっているじゃないですか。早く足枷を外さないと」


 しかし、子供は警戒心を解かないままシャルルを睨み付ける。言葉は通じているようだが、信用出来ない、とでも言いたげだ。


「それ以上足の血行が悪くなると、足首から下を切断しなければなりません。右足も怪我しているみたいですし、せっかく五体満足なんですから何も欠けさせることなく助けたいんです。分かってくれませんか?」


 シャルルはたたみかけるように言った。一刻も早く罠を外すために子供に近付く過程で、右の太股にも弾痕らしき傷があるのを見つけ、両足が使い物にならなくなる前に医者に診せなければと考えたのである。

 武器を手にすることなく、心配そうな顔をしてゆっくり近付いてくる男に対し、子供が構える武器の矛先が少し下がった。それを見て好機とばかりに距離を詰める。子供を見るのではなく罠だけを見ることで、シャルルの目的がそれを外すことであると認識させる。その作戦が功を奏したのか、シャルルが罠に手をかけても攻撃してくることはなかった。金属と金属の間に近くに落ちていた太い枝を突っ込んで、片側の刃に押し当てる。二つの刃は連動しているため、片方が開けばもう片方も開く仕組みだ。刃が少し緩むと、子供は足を罠から抜いた。


「あ、抜けましたね。良かったー……」


 ほっとしたように息を吐くシャルルを子供はいぶかしそうに見るが、その手は完全に地に着いており、攻撃する気は全くないようだ。


「足動きますか?」


 シャルルの質問にも素直に従って、軽く足首を回そうとして顔を顰めている。もしかしたら骨が折れているかもしれない。


 ふむ、それならば担ぐかと考えを巡らせていると。


 背後から飛来した細い注射筒が子供の首に突き刺さった。子供は座ったまま後ずさってシャルルの背後を睨み付ける。すぐに首に刺さった異物を抜こうとしたが、即効性の麻酔薬はそれを許さなかった。手足が弛緩して外せないまま動きが鈍り、程なくして動かなくなった。静かな寝息を立てている。


「レ~ノぉ~」


 シャルルが振り返って言った。非難するように半眼で見る。


「何。うるさいな」


 その視線の先には不機嫌そうなレノが手に麻酔銃を持ったまま立っていた。


「もう罠外してたし、どうせ歩けそうもなかったんだから撃つ必要なかったのに~! それ大人にも効くやつだから下手したら死んじゃうよ」

「相手は子供と言っても武器を持ってるし、僕はそんなけだものじみたガキより同僚のお前の方が大事だっただけだけど。文句ある?」

「ああ、ないない。文句ありませんー」


 顔は見えないが猛烈に不機嫌なレノの気配を察知して、シャルルは会話を早々に切り上げる。

 そんな二人の脇でリチャードは眠っている子供の足を止血し、傷に触れないようにしながら抱き上げた。医学の知識がないため、注射筒は抜かずに刺したままだ。


 三人は山を下りて車に戻り、シャルルは罠を仕掛けた人間にコンタクトを取るために情報管理部に連絡し、リチャードは車を出す準備をした。子供は後部座席に乗せてシャルルに任せ、レノは助手席に座らせる。

 依頼主には良い報告が出来そうだが、代わりにこれからしなくてはならないことなども考えて気乗りしないリチャードであった。

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