第32話 託す者。

 この町は平和になった。

 だから僕も役目を終えた。

 まだ諸々の問題は残っているのだろうけど。震災からは本当の意味で復興はできていないけど。

 でも遊びでやっているわけじゃない。

 僕はこの世界を変える。

 朝起きると、髪がごっそり抜け落ちていた。寿命が残り少ないのかもしれない。

 人が死んだんだ。人がいっぱい死んだんだ。

 命は、命は力なんだ。この世界を支えている力なんだ。

 それをこうも簡単に失っていくことはひどいことなんだ。何が楽しくて人を見下すんだよ。

 人の心を大事にしない世界を作っていったいなんになるんだよ。

 心を壊すいじめ、犯罪、性的暴行、リベンジポルノ……、それは排除しなくてはならない。

 生の感情をだしてなにが悪い。

 感傷に浸っているかもしれない。間違いかもしれない。それでも行くのさ。

 そのくらいバカじゃなかったら人生やっていけない。

 自分の信じた道を精一杯生きていれば、きっと理解してもらえる。

 僕は、僕の罪は、決して変えることはできないけど。

 でも世界を変える必要がある。でなきゃ報われないんだよ。

 目の前に揺れる世界がある。

 可能性に揺らぐ世界がある。

 僕は僕の可能性を追求する。

 世界は変えられると信じて。

 命に変えても、身体に変えても、それでも僕の信念は、希望の火は消えない。消させてなるものか。

「それにしても頑張りすぎだよ、八神くん」

 隣を歩く犬星が悲しそうに呟く。

 そんな甘言には惑わされない。甘えてはいけない。

 僕はきっと恵まれていたんだ。

 その世界を壊したのはちょっとした誤解が生まれたからだ。

 なまじ知性があるから、些細なことを誤解する。わかり合えなくする。

 本当なら必要のない血をたくさん流してきた。

 その贖罪は罪は、自らの心持ちであがなうしかなくなる。

 過去によって変えられるのは自分の心だけ。

 だから僕は自分を変える。そして世界を変える。

 そのためならこの命を、身体を差し出す用意がある。

 ふと隣を歩く犬星を見る。

 僕は手を伸ばし、本来あるはずの右腕。その付け根にふれる。

「なに?」

 疑問の声を上げる犬星。

 僕は光の膜を張ってその腕に願いを託す。

 と、右腕が再生していくではないか。

 額に脂汗を浮かべながら、再生を完了する。

 これで犬星は元通りだ。

 目をパチパチさせる犬星。

「ありがとう」

 最近、光の力を使うことが多くなった。その影響か、ようやく力の使い方が分かってきた。

 ポタポタと涙がこぼれ落ちていく犬星。

 彼女は本当に迷惑をかけてきた。そして僕の行動を知っている数少ない理解者でもある。

 きれい事じゃない。

 だからこそ、僕は世界を変える。

 こんな僕だからこそ、変えられる。

 じゃなきゃ、この世界を呪って死んでいく。

 誰もが優しい世界じゃなきゃ、生きる価値なんてないだろう。

 誰もが救われる世界でなきゃ、悲しすぎるだろう。

 誰もが報われる世界でなきゃ、辛すぎるだろう。

 そんな世界でなきゃ、次の世代が生きていけない。

 歌が聞こえる。優しい歌だ。

 犬星が自分を落ち着かせるように歌う。

 僕に聴かせるように歌う。

 心が落ち着いてくる。

「歌うの好き?」

「うん。だって世界に響くでしょ?」

 犬星は僕よりも世界を知っているのかもしれない。

 僕よりも分かっているのかもしれない。

 歌が耳に心地よい。

 気持ちが軽くなる。

 なんだか、じんわりと視界がぼやけてくる。

 大丈夫かな。

 僕はもう泣かないと決めたのに。

 目の端から涙がこぼれ落ちていく。

 本当にすべてが終わったのだ。

 いや、正確にはこれから始まるのかもしれない。

 僕の意思を受け継いだ者が次の世界を作っていくのだから。

 だから進んでいく。

 世界は前に向かっていく。

 変わっていく。

 それをするのはあなたたちだ。

 あなたたちが支え、変えていくのだ。

 僕はもう疲れたよ。

 生きているのに疲れた。

 ボロボロになった手を隠す。

「どうしたの? 見せて」

 犬星は僕の手をとって見て、わなわなと震える。

 黙っていたのは、彼女に言っても解決しないからだ。

 犬星が泣き出すに決まっている。そして無意味な感傷を抱くことになる。

「これ、どうしたの?」

 犬星のことだ。自責の念にかられるに決まっている。

 僕は目をそらし、犬星を直視できない。

 これがどういうことか、きっと犬星も分かっている。

 もう引き換えすこともできないことを。

 これは僕が神から与えられた罰なのだろう。

 あの光を使えば使うほど、ボロボロになっていく手。いや全身もボロボロだ。

 もう歩くのもつらい。

 それでも最後に学校に通ったのは、日常を忘れたくないからだ。

 今もこの世界で泣いている人がいる。

 泣いている人のそばにはいないけど、それでも彼らを、彼女らを助けてやってほしい。そばで心配をして、暖めてほしい。

 心配できるのは近しい存在だからこそ。

 そうでなくては心配などできないのだ。

 ふと想う。

 僕がいなくなったあと、犬星は何を思うのか。何を求めるのか。

 ずっと僕には分からなかった。

 でもこれが本当の愛なんだ。

 ずっとそばにいて欲しい。

 そばにいるだけでいい。

 守り、守られていたい。

 一緒にいたい。

 そばにいたい。

 それだけで幸せになれるんだ。

 多幸感に包まれながら、僕は呟く。

「こんな時がずっと続けばいいのに」

 その言葉は犬星の涙腺を刺激するには十分だったようで、ワンワンと泣き出す。

 悲しいから。これで終わりと告げているようなものだから。

 一人にしてしまう。

 そのことの過ちに今更気がついてもしかたない。

 僕は一人の少女よりも世界を愛してしまったのだから。

 世界を変えるために生きていたのだから。

 その生き様を、誇りを、信念を持って生きようと思った。

 それを伝えるのは彼女しかいない。

 犬星は傍観者ではなく、当事者だった。

 いつも脇からこそこそと見ているだけの存在じゃなかった。見下していたわけじゃなかった。

 犬星を好きになったのかは自分でもよく分からない。

 でも彼女はまだ生きている。生き延びてくれる。

 だから僕は最後の最後まで頑張れた。

 頑張って生きた。

 死に様も見届けてほしい。

 死に場所を探している――なんて犬星には言えないな。

 お父さん、お母さん。先立つ不孝者をどうか許してやってください。

 お兄ちゃん、生きて。

 それを伝える時間はある。

 僕は幸せものだ。その時間があるのだから。

 まだ伝え足りないことがあるけど。

 でもみんなに伝える。

 まずは隣を歩く犬星だ。

「好きでいてくれてありがとう」

 それを受け入れられなくてごめん。

 でもその気持ちは嬉しかった。愛を知った。

 ずっと僕を見て、そばにいてくれた。

 僕はそのお返しができないけど、でも生きていてくれて嬉しい。

 僕の代わりにたくさんの人を笑顔にして欲しい。

 僕はもう終わるから。

 だから生きて欲しい。僕の分も。

 それを伝えると犬星は嗚咽を漏らす。

「バカ! 何もわかっていないんだから!」

 耳元で叫ばれた。

 何が分かっていないのかもわからない。

 なぜそんなに悲しそうな顔をするのかも分からない。

 僕はこんなに幸せだというのに。

 救えた。報いた。

 人を暖め、居場所を与えた。

 それだけでも、十分じゃないか。

 帰る家に帰った。

 みんなそれぞれの幸せを手にしている。

 だから犬星が泣く理由が分からない。

 独り身になってしまう自分の不幸を泣いているようには見えない。

 犬星はそんなことで泣かない。自分の惨めさで泣く子ではない。

 いつだって人のために泣いてきた。

 だからこそ、託せると思った。

 だからこそ、犬星に話した。

 伝え広めてくれると信じて。

 この熱が、世界を暖めるのだから。

 人の心の光が世界全体を照らす日がいつか来るのだから。


 ――未来は明るいよ。

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