第11話 世界の終わり。

 なんでだろう。こんなにも涙が出てくるのは。

 備え付けてあるティッシュを使い、拭う。

 もう枯れ果てたと思っていた。

 気持ちが沈んだまま、ネットニュースを見る。

 世の中にはこんなにたくさんの事件があるというのに、誰も気にもとめない。具体的な解決策も見いだせないまま、毎日をのうのうと過ごしている。

 呉羽もリベンジポルノに遭っていたという。

 これが氷山の一角だというのは紛れもない事実だ。

 誰もこんな事件に遭うのを望んでいない。誰が望んでこんな立場になるものか。

 神がサイコロを振り、その目によって人生が決まる。そんな運命のようなことがあって、僕は今の立場にいる。

 立場が違えば、両親の離婚も、兄の不登校もなかっただろう。そうすれば魔林のような連中に目をつけられることもなかった。

 親ガチャ、毒親。最近になって言われ出した言葉だ。

 だが、それも多くの人の犠牲になり立っている言葉。今ではないいつか、ここではないどこか。

 苦しんでいる人がいるなか、幸せを享受し、あまつさえ自分の椅子にふんぞり返っている人々がいる。

 誰も助けてはくれない。

 みな、自分の力でなんとかするしかないのだ。

「ん?」

 ネットニュース。

 その中には魔林の事件も記載されていた。

 傷口はまるで時を遡ったかのように、綺麗に塞がっていた。まるで溶けたかのように。

 魔林の母の言葉も載っている。

《久楽はとても良い子で、家事の手伝いや妹と仲良く遊ぶ、とても優しい子でした。今回の事件で――》

 途中で読むのをやめた。

 なんだ。この腹の底からこみ上げてくる感情は。

 優しい子? あの魔林が? そんなバカな。

 僕のことを散々いじめてきて、この数ヶ月は地獄だった。それが優しい? そんなバカな話があるか。

 あいつは敵だ。僕を傷つける悪だ。だから死んで当然だ。生きていちゃいけない人物だ。

 何が優しいだ。

 どこに優しさがある。

 王の座にふんぞり返る魔林。そんなんだから足下を掬われるんだ。

 いい様だ。

 あいつは死んで当然の存在。

 生きていちゃいけない存在だ。

 僕はやけくそになりピザを口に詰め込む。

 吐き気を覚えても、なお口に放り込む。

 ゴミ箱に戻すと、こんこんとノックされる。

 ここはネットカフェだ。来客があるはずがない。

 だが、壁越しに聞こえてきたのは、

「お客様、大丈夫ですか?」

 ドアをぎぃっと開けると店員の顔が見える。

 僕が吐いているのを見て、驚く店員。

「今、おしぼりと水を持ってきます!」

 優しさなんて要らない。

 いや、店員は接客のマニュアルがあるんだっけ。だから僕を助ける。

 マニュアルがなければ放っておかれる。違いない。

 おしぼりや水、ゴミ袋を持って現れる店員。

 おしぼりで口周りを拭き、水を飲む。

 だが吐き気が止まらない。

 水を吐き出し、店員の衣服につく。

「す、すみません」

「自宅にご連絡しました。すぐに来てくれるそうです」

 誰が?

 僕の家族って誰?

 あの引き込もりと放任主義の、どっち? それとも精神の病んでいるお母さん?

 誰にしろ、明るい未来は見えない。

 しばらくして、兄が車でやってきた。ひげが伸び、髪の毛はボサボサ。

 店員も驚いた顔で、こちらを見やる。

「行くぞ」

 それだけいい、僕を引っ張る兄・悠斗ゆうと

 車を動かすと、近くの総合病院。その内科に診察を受けてもらった。

 診察の際、兄は席を外した。

 怪訝な顔で見やる医者。

 本来なら一緒に受診を聴くのが家族だ。それすらも果たさないなんて、とても家族とは言えない。

 医者はそれを診て応えたのか。

「お兄さんとは仲悪いの?」

「はい」

 まともに会話をした気がする。

 今までまともに会話をした人なんて限られている。

 久しぶりに発した言葉はどこか震えていたような気がする。

「うーん。たぶんストレス性の風邪だね」

「そうですか。わかり……」

 吐き気を覚え、医者の出したビニール袋に戻す。

「それじゃあ、吐き気止めは飲めないな。点滴を受けるといい」

 医者は吐き気止め入りの点滴の用意をしてくれた。

 一時間ほど経ち、やっと休まる時が来た。

 でも医者は生かそうとする。

 僕はもう疲れたというのに。

 吐いてでも、まだ頑張れと言う。ここは地獄か?

 もう嫌なんです。生きることも。他人と関わることも。何かに関わることも。

 それでも生きろという。

 医者というのは残酷だ。

 僕はもう死にたいというのに。生きている価値なんてとうに枯れ果てたというのに。

 やった。一生懸命にやって、今はまだ生きている。でも報いてくれる人も、報われる人もいない。

 いじめも、自殺も、他殺もなくならない。

 スマホのネットニュースに記載されている死者数が増えていく。

 こうしている間にも死んでいく人がいる。それはもう、人生を満足した者と、そうでない者が混ざって表示される。

 有名人であれば、その存在はニュースのトップになる。だが、僕ら凡人は数値としてでしか記載されない。その詳細を、どんな生き様か、どんな人生を歩んできたのか。それが載ることはない。

 病院を出るが、まだ吐き気は止まらない。

 兄に渡されたビニール袋に戻す。

 車を汚してはいけない。

 そう思って僕はビニール袋にすべてを吐いた。

 精神的にまいると、本当に人は吐くんだって。アニメや漫画の世界の話かと思っていた。

 でも、そうじゃない。

 本当に精神的にくると吐くんだって、そう知った。

 家に帰り、夕食も食べずに薬だけ飲んでその日は眠ることにした。

 だが、吐き気で眠れない。

 胃の中はとうに空になっていた。

 出てくるのは胃酸。

 口の中が胃酸の味で気持ち悪い。

 水を飲んで落ち着けるが、それも吐いてしまう。

 脱ぎ捨てた衣服は誰も洗ってはくれない。

 仕方なく、僕は自分の衣服を洗い出す。

 惨めだ。

 自分で吐いて、自分で洗濯して。

 果たして本当に僕は生きている価値があるのだろうか。

 分からない。

 寝床に入ると、しばらくして眠気が襲ってくる。あの薬に睡眠薬も入っていたのだろうか?

 すーっと寝る。


 翌日になり、僕は目を覚ます。

 そして朝一番にトイレに駆け込む。胃酸を吐き出す。

 まだ吐き気はする。

 水と一緒に吐き気止めを飲む。

 今日も一日休もう。

 ビニール袋片手に、二階のベッドに潜り込み、スマホをいじる。

 最近のニュースを見て、驚く。

 そこには呉羽の死体が見つかったことがニュースになっていた。

 呉羽の死体はこれまでと同じように傷口が溶けているようだ、と。

 そして警察はこの事件を重大なこととし、自治区に集団下校や見張りなどを強化する、と。

 これで僕が動きににくくなる。

 天下り、政治家の不正、GoToトラブルの不正受給、着付け店の夜逃げ。様々な事件がネットの海に流れ、やがて人々の記憶から忘れ去られていく。

 誰も自分には関係ないと、切り捨てる。

 税金を払っているのにもかかわらず、そのあたりの問題には疎い。

 政治には自浄作用があると思っていた。

 だが、政治家も、国民も。助けることを諦めている。

 みんな助けようとしないのだから、誰も助かるわけがない。

 僕みたいな被害者には手を差し伸べてはくれない。

 僕は弱い立場にいるにも関わらず、助けてくれる人はいない。

 どれだけ勉強を頑張っても、僕を褒めてくれる人はいない。

 すべては自分のため。だから褒める必要も、ねぎらう必要もない。

 僕は僕。他人は他人。

 もう諦めてもいいのかもしれない。

 人類に過度な期待を寄せていたのかもしれない。

 世界が残酷な分、人は優しいと、暖かいと。そう思いたかったのかもしれない。

 でも違った。

 現実はそう甘くはなかった。

 人の優しさなど、他人の優しさなど、期待してはいけなかったのだ。

 だから僕も期待しない。

 誰にも、何にも期待しない。

 世界は終わったのだ。

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