番外編5

『由香は心の中にたくさんの想いを溜め込んでしまい、パンク寸前まで自分を追い込んでしまうところがあるが、基本的に彼女は自分に正直で、直情的だ。』


「ちぇすとおおおー!!」


 空から由香が降ってきた。それ以外にどう表現すれば良いのかわからない。それと同時に着地点にいた少しちゃらちゃらした男子生徒が吹き飛ぶ。何故ならば、由香に背中を思いっきり蹴り飛ばされたからだ。男子生徒は階段の踊り場で痛みと驚きで問え転がっている。


「水泳部でも空は飛べるんだよ」


 なんかよくわからないことを言いながら由香は鼻息を鳴らしている。

 階段の最上段から飛び降りたというのに、まったく怪我もせず、動じない由香を見て私は呆れる。どうしてこうなってしまったのか、話は高校三年生の四月まで遡る。




 私が所属している文芸部ははっきり言って人数が少なかった。卒業した二人の三年生を含めて七名ほどのこの小さな部は廃部……もとい、同好会へ格下げになりそうだった。

 学校も無限の資金があるわけではない。部員が少ない部活に資金は渡せない。資金がないとなると、困るのが……。


「先の話だけどさ、文化祭の文集どうする?」

「てきとーで良いでしょ、お金もないしー」


 簡単に言ってしまうと、文化祭などで展示している作品を作るためのお金がない。別に自分の小遣いから出しても良いのだが……。

 私以外の部員はどうもやる気がない。

 文芸部を漫画喫茶だと思っている連中がほとんどなので、仕方がないと言えば仕方がないのだが。

 ここで私が部員を鼓舞し、やる気を出させれば、ザ・部活動! ザ・青春! ……って感じだが、あいにくそこまで私は煌びやかな青春を送りたいわけではないし、おそらく待っているのはどす黒い後悔だけだろう。


「ってか、入学式後のさ、部活紹介ってウチらも出なきゃだめなんかな?」


 私と同学年の部員がそう言う。確か去年は……。


「去年は先輩たちがやったんよ」


 長机の上で、少年漫画を読みながら同学年の部員は言う。確かに私が入学した時、それっぽいのは見たことがあった気はしたが……。


「先輩たちの作品を紹介して終わったんだよねー」


 そう言えばそうだった。今はもう卒業してしまった先輩方が作った詩集を持ってステージで宣伝? 紹介? をしていたんだ。

 あまり印象に残っていなかったというか、諸先輩方のやる気がなかったというか。記憶が曖昧になってしまっている。


「今年もそれでいいんじゃないですか?」


 私と同学年の部員がそう言う。私も別にそれで良いと思うんだけど非常に嫌な予感がする。同学年の部員の瞳が私を見ているのだ。


「湯川っち」

「……やっぱり? 今、髪の毛染めてるから、先生に目を付けられたくないんだけど」

「それはまぁどんまいってことで」

「最悪だよ」


 ため息を漏らしながら私は髪の毛を描きむしる。どうやら今年の生贄は私になりそうだ。


「先輩の作品ってどこに置いてあったっけ?」

「あー……えっとね。多分後ろの棚に適当に突っ込んだ記憶がある」

「仮にも先輩の作品なのに……」

「複製の複製だから先輩もわりと適当に扱ってた気がするー」


 同学年の部員の言葉を聞き、私は部室を歩き棚を探る。そこには古い漫画や小説、そして雑多に積まれた紙束がある。

 ……多分この紙束の下敷きになっているんだろうなぁ。

 私は少しだけ息を吐き、紙束を退かし始めた。




 部活紹介は正直、特筆すべき出来事はなかった。

 普通に文芸部の活動内容について紹介し、去年文化祭で作成した文集を紹介して終わった。他の……例えば水泳部みたいな派手なパフォーマンスもしなかったし、する予定もなかった。

 粛々と仕事を終わらせた私が文芸部の部室へ戻ると、そこにはいつも通りに漫画を読んだりスマートフォンをいじっている部員の姿が。


「湯川っちセンキュー」


 同学年の部員が私にそう声を掛ける。私は軽く「ありがと」と言うと、空いていた椅子に座り、カバン中から本を取り出す。頭の上に本ではなく、ただ本当に普通の本だ。

 随分前に買っていたものの、読むのがもったいなく感じてしまい、ずっと読んでいなかったのだ。

 つい最近、続編が出たということで、読み進めているところである。栞からページを開き、文字を追い始める。周りの人間は相変わらず漫画を読んだりしゃべったり……少々騒がしいが、本を読むにはこのくらいがちょうど良いくらいだ。

 文字を目で追っていた……その時だった。

 ガララと引き戸の音が聞こえたため、私は顔を上げる。そこに居たのは茶髪の男の子と、困り顔の黒髪の女子。

 なんだこの組み合わせ?

 私が訝しんだ表情を浮かべていると、男の子が声を上げる。


「先輩? うわ、金髪とかワルじゃないっすか〜」


 第一印象は『なんだこいつ』だった。明らかに地毛ではない染まった茶髪で、ピアス……ではない、カフスをちらつかせている男子生徒。いくらウチの高校が緩いと言っても、あそこまで厭味ったらしく派手な格好をしているのも珍しい。

 ……いや、人のことを言えたもんじゃないってのはわかっているけれど。

 私は男子生徒に近づき、咄嗟にさっと男子生徒の本を奪い、中身を覗く。そこには……。


『女子がいっぱいだぁ!!』


 桃色一色だった。私は呆れ果てた。

 これは変な新入部員が入って来たかもしれない。

 私は半ば頭を抱えながら、自席へ戻り、本へと目線を戻す。

 さて……どこまで読んだっけな。新しい部員のことは気になるけれども、実害がなければどうでもいい。

 その時の私はそう考えていた。


 それからしばらく私は部室へ行かなかった。

 所属はしていたが、特段用事もなかったし、受験シーズンということで、部活動も免除されていた。

 ……まぁ、私はさっさとAO入試で受験を終わらせた人間だったので、受験勉強はしていなかったが。

 教室から家へ帰るため、学生鞄を持ち歩き出そうとしたその時だった。


「あの……先輩」


 教室の外に人影が見え、その人影が私のことを呼んでいる。

 黒髪で大人しそうな印象の女の子。

 確か……文芸部の一年生。


「どうしたの? って、一年生にとっては怖いでしょここ」


 私はそう言いながら、彼女を連れて場所を移す。移動した先は色んな生徒がごった返している下駄箱。

 元々帰る予定だったし、ちょうど良いかと思っていた。


「その……私と同級生の男の子……知ってますよね?」


 彼女はそう切り出した。

 私はすぐにあの茶髪カフスの男の子を思い出す。


「あー、まぁ。一応部員だしね」

「はい、その男の子が最近、その……」


 後輩は顔を伏せ、物凄い言いづらそうにしている。

 私はさっと本を奪い、中身を覗く。本当はこんなに簡単に覗いてはいけないのだけれど。

 固い和紙のような表紙の本に書かれたのは。


『故意に触られたり、聞きたくもない猥談をしてくる……ってどうやって言えばいいんだろう』


 おおう……。

 私は本を持ちながら、固まる。変な汗がじわりと湧いてくる。

 確かに思春期真っ盛りの高校生、多少の色恋や儚い妄想はあるかもしれない。

 ただ、実力行使かぁ……私は言葉を選びながら言う。


「何か嫌なことされてる? 例えば……頭撫でられるとか?」


 私は本をちらりと見ながら言葉を紡ぐ。すると、後輩は少しだけぎょっとした顔をしてみせたが、すぐにまた俯いてしまう。


「……はい……その、はい……」

「うーん·····あまり顔を出していない私が言うのもあれだけど、顧問の方で何かできないの?」


 私が後輩にそう尋ねると、後輩は首を横に振り。


「部員同士のいざこざは部員同士で解決するべきって言って、関わろうとしてきません……」

「なるほどね……」


 私はそう返しながらも、文芸部員の本を覗き続ける。裏で手を引いているとか、何か別の意図がある……なんてことはなく、本当にあの男の子が邪魔で迷惑のようだ。

 内容を確認すればするほど、あの男の子に同情できる部分が全くない。近いうちに対処しないと駄目かもしれない。

 私が思考を回していると、後輩は言う。


「それと、顧問からは、あまりいざこざが長引くようだったら、一時文芸部の活動を中断するって話も持ち上がっていて……」

「……そっか。私以外の先輩様は?」

「見て見ぬふりです」


 後輩にとっては逼迫した状況のようだ。私は頭を掻き、壁に背中を預け、体重をかける。

 たった一人に部活動をぶち壊されるというのはあまり気持ちの良いものではない。周りを頼ろうとしても手を差し伸べてくれない上に、見て見ぬふりをされる。このままだと最後に待っているのは文芸部内での責任の押し付け合いだろう。

 私は後輩の本を閉じ、言葉を紡ぐ。


「一発解決は難しいかもしれないけど、何かしら働きかけてみるよ。期待はしないでね」


 私がそう言い、下駄箱へ向かうと、後輩は嬉しそうな声で。


「働きかけてくれるだけ、全然良いです……っ!」


 と言った。

 私は頭を掻きながら、そんなに期待されても困るなぁ。

 なんてことを考えていた。




 ああ言う手合いは、回りくどい手段は逆効果になる。で、あれば直接言ったほうが効果的か?

 次の日、私は文芸部の部室へ向いながらそう考える。

 本能に素直な相手だから、まだやりやすい……やりやすいとはいえ、相手は立派な男子高生。逆上した相手に力負けする可能性もあるわけで。

 いっそ由香にお願い……は駄目だよなぁ。

 心の中でそう呟く。あの子は手加減をするのが苦手だから、何をするかわかったもんじゃない。

 だとすると、やっぱり私から言うのが一番の近道か……。

 なるべく人通りが多く、目線が通るところでお説教かな。

 階段を登りながら、そんなことを考える。頭の中で色んな事を考えながら到着した文芸部は相変わらずだった。

 軽く息を整え、部屋の中へ入る……と。


「絶対水着似合うって、ほらー、根暗な感じがそそるというか」


 とそんな声が聞こえてくる。

 ぶん殴ってやろうか?

 一瞬そんなことを考えてしまったが、理性をフル活用し、自身の拳を抑えつける。

 部室の端っこで、茶髪カフスの男子生徒が、私に相談してきた黒髪の女の子に文字通り絡みついている。

 こいつ……。

 私はイライラやムカムカを抑えながら、男子生徒に近づく。


「ごめん、ちょっと来てくれない?」


 私は努めて冷静に言う。

 私の言葉に、男子生徒は一瞬迷惑そうな顔をしたが、すぐに私のことを思い出したのだろう。

 笑顔で私に話しかける。


「先輩お疲れ様っす!!」


 普通であれば、普通であれば! 挨拶をしてくれる、しっかりとした後輩なのに、あの相談してくれた後輩の怯えた顔や、今もなおべたべた触っている茶髪カフスを見ると……。


「すぐに終わるから」


 私はそう言い、手招きをする。茶髪カフスは素直に立ち上がり、私の後についてきた。それを確認した私は部室のすぐ近く、階段の踊り場で茶髪カフスを立たせる。

 疑問符を浮かべている茶髪カフスの本を奪い、中身を読む。


『凛々しい顔だなぁ……あ! まさか告白!? いやぁ困るなぁ』


 こいつは何を考えているんだ?

 私はずっこけそうになったが、すぐに気を取り直す。


「勘違いしてるところ、申し訳ないんだけど。浮ついた話ではないよ」


 私は真っすぐ目を見て、茶髪カフスに言う。


「部員にべたべた触るのやめな? 気持ち悪いよ?」

「……え」


 私が茶髪カフスの本に目を落とすと。


『なんでしっているんだろう、チクられた!? ……でも、ここで先輩を黙らせることができれば』


 そんなちょっと危ない思想を書き綴りながら、茶髪カフスが私へ手を伸ばす。

 あーあ、面倒くさいな。伸ばしてきた手を観察しながら、どうしてくれようかと考えた、その瞬間。


「ちぇすとおおおー!!」


 空から由香が降ってきた。

 そして話は冒頭に戻る。


「あ? 誰の許可を得て恵里衣に触れようとしてんだこのすかぽんたん!」


 由香は痛みで転げまわっている男子生徒の胸倉を掴み、無理矢理立たせる。そして威圧するように睨み続ける。


「学校でこんなわけわからんアクセサリーちゃらつかせやがって……おらっ!!」

「いっ!?」


 由香は男子生徒の耳についていたカフスを力づくで剥がす。耳がちぎれることなんてないが、痛かったのだろう、男子生徒が涙目になる。


「で? 恵里衣に何しようとしたんだお前」

「いや……その……あの……」

「はっきりしろよ、おい」

「ひいいいっ!!」


 それからはもう、一方的だった。

 茶髪の男子生徒が何かを言うたびに、由香が説教をする。そんな地獄のような光景が広がっていた。

 途中から何故か水泳部員まで加わり、公開処刑も良いところだった。なんなら途中から茶髪の男子生徒はさめざめと泣いていた。

 そんな泣いている彼にすら由香は。


「誰が泣いて良いって言った!? 顔をあげろ!!」


 と怒鳴るもんだから、最終的に先生まで出てくる事態に。私がフォローを入れようかとも思ったが。


「恵里衣は被害者! こいつは加害者!」


 と一歩も譲らず。

 最終的には、茶髪の男子生徒は教職員と由香に無理やり引っ張られ、どこかへ消えてしまった。

 残された私は水泳部員たちに。


「つらかったですよね……」

「最低っすよ、あんなやつ!」


 と、何故か慰められてた。

 私は深い深いため息を吐きながら。


「その、助かったといえば助かったけど、あんまりやりすぎちゃだめだよ?」


 念のため、釘を刺しておいた。




 次の日、由香に守られながら、若干の気まずさを抱えながら学校生活を過ごした。

 由香の過保護は今に始まったことではないが、さすがに息苦しかった。

 放課後になり、やっと解放される……と、伸びをしていると、廊下でぴょんぴょんと跳ねている子が見える。

 私に相談してきた文芸部の後輩だ。私は急いでカバンを取り、廊下へ出る。

 すると私が声を掛ける前に、後輩が興奮気味に言う。


「湯川先輩!! ありがとうございます!!」

「え?」


 突然、そう言われ、変な声を上げてしまう。

 お礼を言われる心当たりがない。

 返す言葉に困り、言葉を選んでいると、後輩が言葉を続けた。


「本当に、本当に! ありがとうございます! 湯川先輩がいなかったら……」

「あー、いや。直接解決したのは私じゃないんだけど……」


 私はそう言ったものの、後輩は聞く耳を持たない。しきりに「ありがとうございます」を連呼していた。

 特に何もしていないんだけど……。

 私は戸惑いながらも、後輩のお礼を受け止めていた。

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