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 事務所からの移動時間十五分。 小雨の降り続ける真夜中二時半。


 季人は近隣ビルの陰にロードバイクを止め、丁度ポケットの中で鳴り出したスマートフォンを取り出した。


『あ、あ~こちらヒューストン。 聞こえてますか~どうぞ?』


「こちらエンデバー。 聞こえてなかったら洒落にならねぇよ。 こう見えて身体能力は一般人なんだから、マジで心の底からサポート頼む」


『正しい自己分析だ。 頼もしいのか情けないのか紙一重なところがまた君らしい』


 それでこそサポートのしがいがあると、ウィルは笑いながら続けた。


『季人、分ってるとは思うけど、最悪の展開としては車でピックアップされてしまったパターンだ。 いや、そんな事をするくらいだったら、初めから車でさらってるかな』


 それはそうだろう。 映像データを改竄できるのなら、駅前で待機していればいい。 その場合、人目に付く確率が跳ね上がるだろうが……。


「なら、やっぱりこの辺りの屋内に入ったって事だな」


 季人は街灯の少ない歩道で足を止め、小雨の降り止まない周囲を見回す。 多少は開けた場所にいるが、時間的にも天候的にも視界状況は最悪と言っても差し支えない。


『う~ん、暗視ゴーグルを作っておけばよかったかな。 こんな事もあろうかと! てな具合にさ』


 どこぞの技術者の様な台詞を吐くウィルに、季人は溜息を漏らす。


「別に今更ウィルの趣向に口を出すつもりはないけど、あんまり金はかけるなよ? いつも通り、作るとしたらジャンクから組上げてくれ」


 ウィルの技術はプログラミングなどのソフト面だけでなく、機会工作におけるハード面にも遺憾なく発揮される。


 パソコンの自作は当然の事として、投棄されてもおかしくないようなガラクタを拾ってきては分解して直したり、パーツから必要なものだけ取り出して全く別の物を作り上げる事もよくある。


 ただ、そこでいつも季人が気にかけている事は、方々探してた結果どうしてもジャンクパーツとして取得できない物がある場合、ウィルが問答無用でネットから購入してしまうことだ。


 一時、何に使うのかさえ分からない半導体にワールドアパートの活動資金から数十万ほどを簡単に放り込んだ事もある。


 ウィルはそのパーツを手にまるで花冠を編むかのように機械をいじっていた。


 そしてその度に、季人は一度は相談しろと苦言を呈しているのだ。 それを、「へはは、それは保証しかねる」と毎度の様に一言で煙に巻かれるのだ。


 季人は一つため息をついて再び周囲に意識を向ける。


 結局の所、ウィルと季人という似た者同士が連んでいる段階で、何となく結果も見えているのだ。


 言ったところで互いの性根は変わらないという結果が。


「……?」


 遠目に見える大型ビルの一階エントランス。 その非常灯しかついていないビルの奥で、微かに何かが動いたような気がした。


「……」


 季人はその場を微動だにせず、ただじっと暗闇を凝視し続けた。 小雨が地面を叩く音さえ飲み込む無音の深夜。


 何も考えず、季人はただ見ることだけに意識を向けた。 単なる巡回かもしれないし、見間違いの可能性もある。


 しかし季人は次の瞬間、小走りで見ていた建物へと近づき、そのビルの入り口に掲げられている中に併設された施設の名前を見る。


「ビル内に音楽ホールが……」


 その表記には、季人の探究心を劇的に向上させるだけの魔力が籠められていた。


 音楽関連の情報を取得し、御伽を探している先でその様な施設を目の当たりにすれば、宝の地図に書かれた目印を発見したようなものなのだから、当然の反応だった。


「ウィル、このビル内のセキュリティーにアクセスは?」


 逸る気持ちを抑え、季人はウィルに聞いた。


『……そこは独立した管理体制みたいだ。 いや……コンピューター制御じゃなくて、アナログなのかも」


「アナログ?」


『そう。 例えば、警備員を常に巡回しておくとか……』


 いまいち確証を得ない説明だったが、その理由はウィルが先に口を開くことで判明した。


『ああ、違う。 僕が深読みしすぎた。 そこは施工中の建物なんだ。 だからまだ、セキュリティーの準備が整っていない。 まぁ、盗みたくなる物もこれから搬入されるんだから、まだ監視する必要がないんだ。 もしくは、だからこそ、そこを選んだのかも』


 だが、建物内のそこいら中に機械の目や耳があろうと無かろうと、季人が侵入する際、立ち回りが特別スムーズになるわけではない。 


 何せ、こっちは工作員や諜報員などでは無く、ただの一般人だ。 臨機応変に立ち回るなんて芸当は身に付けてなどいない。 建物への無断潜入なんて物心つく前の小さい頃、近所の家に勝手知ったる我が家といった感じで入ったことがあるくらいなのだ。


 仮にセキュリティーが存在していれば、それを殺してもらう事を前提にしないと初めの一歩さえ踏み出すことは出来ない。


「ウィル、入り口だけど、正面以外には?」


『西側に一つ、他に非常口兼用のものが東に二つ、資材搬入口が一つ』


「音楽ホールに一番近いのは?」


『東かな……』


 季人は再び小走りに移動を開始して、建物東側の入り口へと回り込む。


 いくら深夜とはいえ、これは潜入なのだ。 堂々と真正面から入るというわけにもいかない。


「雨が本降りになる前に、さっさと入るとしようかね」


『あ、渡しておいた秘密兵器をちゃんと装備しておくんだよ』


「……そうだな」


 季人はボディーバックを探り、そこからケーブルや部品がアーチ部分に密集したヘッドフォンを取り出した。


「信用して無いわけじゃないけど、これで本当に何とかなるのか?」


 手にしたそれを頭に装着し、スイッチを入れた。


 その途端、スマートフォンからのブルートゥース経由でウィルの張り切った声が聞こえた。


『もちろん! 様々な音響効果を設定出来るのは当然として、それ単独でFM、AMのみならず、とっさの録音にも4GBの容量で即座に対応し、様々な拡張子にマッチした再生プレイヤーでデータの移し換えもスムーズな、その名も、に搭載してある爽やかな眠りと静けさを大都会の中心部で提供できる特性ノイズキャンセラーなら、高周波もばっちりシャットアウトさ!』


 自慢げに……自信満々に我が子を紹介する天才ハッカーの長口上に辟易とした季人は、思った事をそのまま口にした。


「なんて無駄に高性能なんだ」


『あ、ちなみに今みたいなスマートフォンとの同期会話機能やノイズキャンセラー機能以外の操作は、バッテリー消費が激しいから気をつけてくれ』


 それはつまり、先ほどウィルが長々と説明した音楽機能や録音機能はほぼ使えないという事だ。


「なんて使えないヘッドホンなんだ……」


 だったら初めからつけなければいいのにとは、季人は思っていても口にしなかった。 十中八九そんな事をしたら再び口上を賜る事になるからだ。


『だって、初めの制作目的が安眠用の超高性能耳栓だからね。 ほら、僕って神経質だからちょっとでも物音がすると気になっちゃってさ』


「さいですか。 ……っと、ここか」


 ウィルのヘッドフォン性能談義を聞いてる間に、季人は目的の東非常扉の前までやって来た。


 それほど分厚くなさそうなグレーの鉄扉は、上部に淡く光るグリーンの非常灯を鈍く反射させている。


 取っ手の下と扉の最下部に二箇所の鍵穴。 扉の横には警備用のカードスロットが備え付けられていた。


 施工中とはいえ、不法侵入を許さないだけの警備体制はすでに整っているということだ。


 平均水準のデジタルセキュリティーを破る力なら季人達は持っているが、錠前開けの場合はアナログ作業になるため、多少時間がかかる。 しかも、錠前が最新のピッキング対策の施されたFBロックとなればお手上げとなり、錠前そのものを破壊する必要がある。


 品定めをするように季人が扉のドアノブに手を触れる。


 すると、全く予想していなかった感触がその手に帰ってきた。


「……ウィル、開いてるぞ」


 錠前破りへの気負いが、鍵を開ける前に開錠してしまった。 


 それどころか、たった今誰かが入っていったかのように扉が開いている事実は、流石に季人もウィルも想像すらしていなかった。


『……やっぱりアナログはヒューマンエラーが怖いよね。 戸締まりはセキュリティーにおいては基本中の基本だよ?』


「普段から家の鍵を全く閉めようとしない男の言葉には何の説得力も無いぜ」


 ウィルが冗談めかして言うのに季人は間髪入れずに捲し立てる。


 そもそも、実際のところそんなはずは無いだろうと二人は思っていた。


 仮に、本当にヒューマンエラーなんていう人的ミスのせいだとしても、よりにもよって今日この日に? と疑問が湧いてくる。


「もともと閉まっていたのか、それとも……」


 誰かが開けたのか。


 その答えは季人が点けたLEDハンドライトの明かりに照らされる事によって見て取れた。


「扉の前に、水の跡が靴の形で残ってる。 この小雨の中を歩いていて出来たんだろう」


 それも、時間はそれほど経っていない。 その痕跡は、全然乾いている様には見えないからだ。


『季人の前に、誰かが入った……それもたった今』


「……」


 誰だ? 誘拐した人間を回収しに来たサウンドメディカルの人間か? それともちょっとコンビニに飯を買いに行って帰ってきた警備員か? いやいや、どっちにしても扉の鍵くらいは閉めるだろう。


 そう考えを巡らせている時、唐突に震えが季人の全身を駆け抜けた。


 恐怖や畏怖からではない。 


「は、はは……」


 これは、武者震いだ。


 ただの偶然か、自身の勝手な妄想か。 そのどちらでも構いやしない。


 辿ってきた導線が次々と結ばれていく。


 不可視の、未知へと。


『これで今この建物が普通じゃないって事は確かな物になったわけだ』


 そして、ウィルの中ではもう、季人を引き留めることが出来なくなったと半ば諦めモードに入っていた。


「ワクワクするね~。 この感覚は新作ゲームのパッケージを開けて説明書を熟読していざ本番に備える時によく似ている……」


『それで、僕たちはこれから悪漢に囚われたお姫様を救出しにいくわけだ』


「……」


『どうしてそこで沈黙するのか僕には分からないんだけど?』


「あ、ああ。 いや、ちょっとお姫様っていうから、初め誰の事か分からなかった」


『いや、初めから等号御伽だからね?』


 そうだ。 俺たちは女子力(物理)の強い姫様を補導しに来たんだった。


 その事を改めて再確認し、季人は鉄の扉を潜った。



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