201

 窓の外は夜の蚊帳が下り、時計の短針が十二を指そうかという頃。

 季人は自室のベッドに腰掛けてパソコンを開き、デスクに積んであった映画を消化中だった。

 性格上、時には気に入った物を繰り返し何度も見るが、今日はその限りではない。

 ただ、基本見るのは洋画となっている。

 アクションヒーロー物も三枚目に突入し、物語が承から転へと移り変わろうかという所で、ベッドに放り投げられていたスマートフォンの着信音が映画のBGMに介入してくる。

 横目に確認したディスプレイには、草薙家御当主と表示されていた。

 時間的に見ても珍しいなと思いつつ、季人は通話アイコンをスライドさせた。


「はいもしもし」


『こんばんわ季人。 こんな遅くに悪いね』


 ドキュメンタリーのナレーターもかくやあらむ道真の声。 普段は祝詞を読み上げ、聞いている人を落ち着かせる響きを持ったアルトボイスがスピーカーから届いた。


「いえいえ、まだ起きてましたから。 どうしたんですか?」


 この人は基本的に礼節を遵守する。 深夜に電話を掛けるなんて言う事はこれが初めてだった。


『そうか。 いや、御伽と一緒じゃないかと思ってね』


「御伽? いや、一緒じゃないですよ。 というか、この時間に俺と御伽が一緒だったらブチギレません?」


 その問いに、「はっはっは」という舞台上の紳士のような笑い声が返ってきた。

『君以外の男と一緒だったら末代まで煉獄へと誘う呪いを掛けてやるところだがね。 その点、君は安心だ』


 背筋の凍るような信頼はどこから来ているのだろうか。 

 それとも、何か期待されているのか……。

 これ以上考えることは、ある意味自分の首を絞めることになりかねない。 

 季人は頭を振って、そんな考えを脳みそから追い出す。


「は、はぁ。 けど、もうこんな時間ですよ? 帰ってないんですか?」


『うむ。 私も用事で帰宅が遅くなって、三十分前位に帰ってきたんだ。 初めは何も深く考えず、御伽も居るだろうと思っていたんだが、靴がない。 近くのコンビニへ行ったのだろうと……まぁこんな時間にそんな事をしていたら説教ものだが、今の時間まで待っていても帰ってくる様子がなくてな』


「あ~携帯は?」


 返ってくる答えは予想できたが、一応聞いておいた。


『何度か掛けてみたんだが出ないんだ』


「……そういえばあいつ、携帯変えてたじゃないですか。 もしかしたら、初めてのスマホで面白くなっちゃって、弄ってるうちに電池切れっていう可能性も……」


『ふむ。 だとしても、音沙汰がないのはな……」


「う~んですよね」


 季人は普段ろくに機能しない脳内ハードディスクに検索をかける。

 御伽がこんな遅くまで家に帰らない?

 今日は何か用事があるとか言っていたか?

 帰りが遅くなるような事がこれまでにもあっただろうか?

 ……いや、理由があればまず親父さんに連絡が必ず入るだろう。 草薙家はその辺りしっかりしている。

 無断で門限を破ろうものなら、相応の制裁が下される。 おもに、小遣いに直結する金銭面において。 バイトが許されていない草薙家で、金融窓口が閉ざされることは、青春時代に寒冷化を招くといっても過言ではない。

 故に、御伽は一度も門限を破ったことはない。

 しかし、現実に今、御伽は家には居ない。


「……あ」


 頭の中で御伽についての関連付けが行われていくが、その中で一番原因としては遠そうでいて、そうそう笑い飛ばすことが出来ないものが検索項目にヒットした。


 ――ここ最近巷を賑わせている女子学生の失踪事件だ。


 先日、失踪者のうち三名が見つかり、未だ不明者を残すとは言っても、既に事件としては解決に向かっているとばかり思っていた。

 まさか自分の知り合いが巻き込まれる等ということが……?

 きっと、何か他に原因があるのだろうと、季人はその考えに苦笑まじりで消しゴムを掛けた。


「……親父さん、ちょっとこっちでも調べてみますね。 また連絡するような感じでもいいですか?」


『わかった。 よろしく頼むよ』


「はい。 それじゃ、また後で」


『ああ、夜分遅くすまなかったね』


 季人はいったんスマートフォンをテーブルの上に置き、近しい者で事情を知っていそうな人物を思い浮かべる。

 ただ、季人と御伽の共通の知人となるとかなり限られる。

 ふと思い浮かんだ該当者は、今日の朝、御伽と一緒に学校へと登校して行った友人の内の一人。

 恐らく今の時間はバイト中であろうことを見越して、その人物の職場へと電話をかける事にした。

 スマートフォンを耳に当てて数コール後、その相手は出た。


『は~い、CAMIYOです~』


 どこか気の抜けた電話応対に季人は溜息とともに目をつむった。


「どんだけ眠そうな声だよ。 相当暇なんだな悠希ゆうき


『季人さん? もう暇すぎて閑古鳥も寝落ちしちゃうよ』


 電話に出たのは御伽の友人であり、季人がよく足を運ぶBarでバイトをしている大路おおじ悠希ゆうき

 基本的に男勝りな……したたかな性格で、カウンター越しだと容姿もルックスもボーイッシュな事から、それが中々格好良く見える。


「どうせそろそろあがりだろ?」


『あれ、知らないんですか? 飲食店ていうのは、そういう時に限ってお客さんが来るもんなんですよ』


 酷くくたびれた調子で話す悠希に、季人は顔が見えないのをいいことにニヤニヤと口の端を吊り上げる。


「んなこと言っても、お前明日は学校だろ」


『大丈夫です。 二日酔いでも朝はきっちり起きれますから』


 聞き逃すことの出来ない一言に、すかさず季人は突っ込みを入れる。


「何で端から飲む気満々だよ。 自重しろ女子高生。 働いてることも、飲んだこともばれたら、別の意味で頭抱えることになるぞ」


『そんなヘマしませんよ。 だからこうして働いていられるんですから』


 その点に関しては、季人は一切疑っていない。

 悠希はきっと、そういう身に起きた不祥事は誰にも気取られず、しかし、強引に揉み消すだろうと容易に想像させるだけの雰囲気を持っている。

 というか、実際そうするだろうし、これまでにもそうしてきた可能性は大きい。

 その際に使った手練手管は、あえて考えないようにしておこう。


「ごもっとも。 じゃあ客が来る前に聞いときたいんだけど、今日の帰りは御伽と一緒だったか?」


『御伽? いえ、あの子は早退したみたいですけど』


 早退? あの健康優良児が? ここにきて驚きの新事実だった。


「調子が悪かったのか? 朝はそうでもなかったけど」


 一緒に朝食を食べ、通学路を歩いてた時点ではいつも通りの様子だったが……。


『私も詳しくは知らないんですけど、五限目には出てなかったですよ』


「なら、昼に帰ったってことか。 保健室で休むとかでもなく……」


『ですかね。 昼休みにイヤホンして音楽を聞いてたのはちらっと見た気がするんですけど』


 季人は今朝一緒に歩いていた時の会話を思い出して溜息をついた。


「あいつ、登下校の時くらいしか聞かないとか言ってたのに、早速言ってることと違うぞ」


『あはは、そうなんですか。 多分朝に話してたお勧めの音楽とかが気になって、それを聞いてたんじゃないですかね。 一緒にいたもう一人が、かなりごり押ししてましたから』


「なるほど。 それならまぁ、納得か」


 手に入ったばかりのガジェットは常に弄っていたいというのは大いに理解できる。

 千差万別、手に入れたのなら一度は試してみたいという欲求は、そう簡単に抑えられるものではない。

 だが、御伽にその気があるとは思えないのもこれまでの付き合いで季人は理解していた。

 だから単純に、友達から進められた音楽を純粋に聴こうとしていたのだろう。


『けど、先生も居なくなった理由を知らないみたいで、私らに聞いてましたね。 あ、そういえば鞄も起きっぱなしでした』


「……そうか」


 鞄も起きっぱなしっていう事は、何か急ぎの用事か、それとも単に鞄を持って帰ることを忘れたか……。

 御伽の性格上、後者はなさそうなものだが……。


『何か、あったんですか?』

 季人が少し考え込んでいると、慎重な声で悠希が伺ってきた。 

 悠希にとってみれば、こんな時刻に友人の所在を尋ねる電話が入ったのだ。 ここまで話していて、むしろ何かあったと思わない方がおかしいだろう。 普段から仲の良い友人の事なら、尚更心配するのは当たり前だ。

 それに、悠希はその性格もあってか、誰に対しても面倒見のいいところがある。 もしかしたら、その姉御肌から、同年代ながらも御伽の事を妹のように思っているかもしれない。

 しかし、ここで悠希を不安にさせたままでいるのはあまりよろしくない。 かと言って、事情を話すのも難しいところだ。 変にこちらで事を大きくし過ぎてもいけないだろう。


「……ああ、いや、御伽がな、その、急に血相変えて携帯が壊れたって言いながら、俺の仕事場に駆け込んで来たんだよ。 それで、今になって家の電話で、鞄がねぇとか言い出してな。 学校にあるんならそれはそれで解決だな、うん」


 うん……じゃねぇよと、口には出さず頭の中で呟く。

 何一つ解決していないと、季人は自分の後頭部を俯瞰的に引っ叩いてやりたい。

 自分で言っておいて突っ込みどころが多すぎると重々理解しているが、それにしても、もう上手い少し言いようはあるだろう。

 だが、既に言い切ってしまった手前、この路線で押し通すしかない。


『あの御伽がですか? スマホが壊れたからって無断で早退なんかしますか?』


「俺もそう思うんだが、よっぽど大事なデータでも入ってたのかもしれないな」


『だからって……』


「ああ。 だがまぁ、デジタルな情報でも人によって価値観が違うからな」


『そう、ですけど……』


「それに買ったばかりだったらしいからな。 取りあえず、俺もちょっと気になってさ、もう一度御伽に詳しい話を聞こうと思ったんだが、携帯はまだ預かったままだし、こっちから家に直接かけるのは時間的に、な。 親父さんにも迷惑かかるだろうと思ってよ」


『確かに、御伽のお父さんはその辺り厳格ですもんね』


 悠稀も御伽の親父さんの厳しさは知っている。

 季人自身、意図的に出した名詞ではあったが、悠稀を多少なり納得させる材料としては正解だったようだ。 


「にしてもそうか、そういえば、土曜でもないし、半日で学校が終わる分けないんだよな。 納得だ」


『……ええ、まぁ』


 悠希の声は、あまり納得がいってないようだったが、それも当然だろう。

 あまりにも穴だらけな言い分は、全体を通せば余計に不安を煽ったかもしれない。

 大体、あの真面目な御伽が携帯が壊れた程度で授業をボイコットすることなどまずありえない。

 しかし、ああ言っておけば、確認の電話を草薙家にかけることもないだろう。

 今は、多少の違和感があるだろうが納得してもらうしかない。


「悪いな、仕事中に。 また飲みに行くよ」


『わかり、ました。 待ってますよ。 暇な時は、話し相手になってくれるだけでもうれしいです』


 強引に話を切り上げる季人に、その心情を読み取ったかのように、悠希は合わせてくれた。

 流石、バーテンダーをやっているだけはある。


「あいよ~。 じゃな」


 通話が終了し、季人はすぐさまウィルに電話をかける。

 丁度三コールでウィルが電話に出た。


『はい、こちらヒューストン』


「ウィル、御伽が学校をばっくれたらしい」


 季人は陽気な声で応答したウィルに構わず、簡潔に事態を伝える。

 この時間、まだまだウィルが寝るには早いという事は分っていた。

 当然、直ぐに電話にも出るだろうということも。


『……いきなりだね。 でもそうか~。 あれだけ真面目そうな子が珍しいね~。 そんな事するようには見えないけど』


「俺もそう思う。 ついでに、まだ家に帰ってない。 親父さんが言うには、携帯にも出ないってよ。 御伽と仲良しの友達にも聞いたが、学校の昼休み中に鞄を起きっぱなしにしたまま居なくなったらしい」


『あらら』


「あんまり穏やかじゃないよな」


 加えて、普段真面目な女子が誰にも何一つ告げずにこの時間まで音信不通というのは、世間一般で言うところの失踪といって差し支えないだろう。

 ちょうど、最近まで話題に上がっていた例の事件もある。 事実確認の為にゆっくりはしていられなかった。


『……プライバシーは尊重したいけど、保護者が心配している事だし、荒技でいこうか』


「そうだな。 スマホのGPSで居場所を特定できるか?」


『電源が入っていればね』


「親父さんの話では、電話の呼出しは出来てるみたいだから、まだバッテリーははずなんだ。 まぁ、留守電サービスに切り替わるとかなら、その限りじゃないけどな」


『なら、電波のいい所にいることを祈るばかり』


 互いに無言となり、三十秒くらいたった後、ウィルの小さく唸るような声が聞こえた。


「どうだ?」


 季人はPCのモニター上でエンドロールに入った映画に目をやりながら、ウィルに問いかけた。

 自分たちの心配が杞憂に終わり、単なる勘ぐりすぎだったと笑い飛ばせるのであれば、直ぐに返答は帰ってきただろう。

 だが、きっとそれはない。 状況がその様な楽観視を許してはくれない。

 それは予感であり……

 再生の止まったモニターを凝視したまま、無音の部屋で季人は聴覚を集中させた。 


『これは……ますます穏やかじゃ無くなってきたね。 彼女が今いるのは、大江戸線の都庁前駅だ』


 その事実に、季人は溜まりかけた唾を飲み込む。


「……マジかよ。 冗談だろ?」


 それはまさしく、失踪事件の渦中にある……正確には渦中にあった東京メトロの駅だ。

 まさかと思う前に季人は、間違いなく御伽は何かに巻き込まれたのだと確信した。

 若干の高ぶりを感じつつパソコンを閉じ、スマートフォンを耳に当てたままベッドから立ち上がる。


「今何時だ?」


『十二時ちょっとすぎ』


 終電まで時間がない。 それが過ぎてしまえば、出入り口が塞がってしまう。

 そうなれば、調べられる事が一気に制限されてしまうことは分っている。

 GPSが知らせるポイントに御伽自身がいるのか、スマートフォンしかないのか。

 それを知るだけでも、次にどう動くかが変わってくる。


「すぐ駅に行ってみる。 電話は繋がるようにしておいてくれよ」


『わかった。 それと季人』


 必要な物をボディーバックに詰め込み、玄関のドアノブに手をかける。


『一応、用心して向かってくれよ。 ちょっと、聞いた限り普通じゃなさそうだし』


「……そうだな」


 季人は通話を切り、ポケットにスマートフォンを押し込んだ。

 内心では、望むところだと呟いていた。

 客観的に見たら、自分は少しだけ他人とずれているところがあるのは自覚している。

 それが、不謹慎だなどとは思わない。

 これが自分であり、もはや変えようのない性分なのだから。

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