Episode.1/3 「東雲 和沙」


東雲しののめ 和沙なぎさ

お父さんとお母さんがつけてくれた名前。


僕は私が嫌い。


和沙なぎさってかっこいいよね〜」


「…そうかな」


学校の休み時間、隣の女の子が笑った。

誰とでもすぐ仲良くなっちゃうんだろう。

いつもにこにこしてて、クラスでこの子と仲が良くない人なんていない。


ポニーテールをゆらゆら、僕の曖昧な答えにまた笑った。


「いーなー、ほんと」


「そんな、別にいいことなんてないよ」


「そう?かっこいい服似合いそうじゃんね」


ちょっと、ちょこっとだけ面倒だと思ってしまう自分がいる。

読みかけの小説にしおりを挟んで閉じかけた。


悪気はないんだろうし、

僕と女の子みたいな薄い関係値でしかない者同士で楽しそうに会話ができるなんて、それだけでノーベル賞ものだ。


和沙なぎさ、こんど一緒に服見に行かない?

和沙みたいに素材がいいと買わなくても楽しそう…」


あ、無理だったら全然大丈夫だけど…。

思いつきで喋っているんだろう。

少し大袈裟おおげさな身振りで付け加えた。


「あー、ごめん。今貯金してて」


そっか!たしかにお金大切だもんねー。

すぐ無くなるし。


会話はそれっきりで終わった。

思っちゃいけないことなんだろうけど、良かったって思った僕がいた。


「すいません、東雲しののめさんいますかー?」


僕がまた小説の続きに手を出して、数ページをめくった時

教室のドアががらりと鳴って、まだ見慣れてない担任の先生が僕を呼んだ。


「はい」


教室の入口で手招きするおばさんの先生。

従って寄った。


「この前の提出物、山田くんと東雲しののめさんで配っておいて」


配布物などを配る係の僕ともう一人の男の子。

何を言われるのかと思ったら面倒くさい仕事の連絡だった。


よろしくね。


おばさん先生が笑った。

あーもう、図書室に逃げるべきだったか。

引きつった笑みで返した。


「ふたつもあるね…。

こっちのワーク重そうだから俺がやるよ」


山田くんが面倒そうに言った。


ありがと。

伸ばしっぱなしの前髪。

目を伏せてつぶやくに留めた。


山田くんは運動部で絵に書いたような人気者だ。

背も高いし、気遣いもできる。


今、持つのに力が要りそうなワークを率先してやってくれたのは、やっぱり僕のことを思ってのことなんだろう。


何度でもふとした時に実感する。


やっぱり僕は私が嫌い。


「くん」ではなく「さん」で呼ばれるのが複雑で仕方ない。


男の子に生まれたかった。

と言っても今となってはもう遅い。


うろ覚えのクラスメイトの机。

軽い軽いプリントを配ってまわった。


僕は私が嫌い。

いかにも女の子な名前も。

僕が女の子でそれは当たり前のことだから。

誰も知らない。知るはずもない。


皆から見たら当然な「女の子の私」を

「男の子の僕」が嫌っていること。


きっとたぶん、

私も僕のことが好きじゃない。


未来永劫、変わらない。










『あなたはどっち?』


そう問われたら僕は絶対に答えられないだろう。


低い背丈も、高い声も。

男の子に憧れているなら運動でもしたらいいじゃないか。


それは僕も思った。

けど好きじゃないし得意じゃないんだから仕方ない。

なかなかこの世の中に生きるのは大変なことだったみたいで、別に心配されたくは無いけど誰にも知られないのは辛い。


かと言って、カミングアウトして両親に心配をかけたくない。

というか伝えたとしても、気を使われるはずだ。普通でいたい。



「というわけでですね。

東雲しののめさん、志望校とかあります?」


「…」


「えーっと、東雲しののめさん…?」


「はっ…、すいません。

ぼーっとしてました」


場所は変わって放課後。

最近入ったばかりの塾に来ていた。


なんでも、ひとりひとり個別で志望校等の確認や今後の方針を説明してくれるそうで。

僕の目の前にはややぎこちない笑みを浮かべたあの小さな先生が話をしてくれていた。


「やっぱり放課後って疲れちゃいますよね

東雲さんは部活何やってます?」


「えっと、やってない、です」


「あ…やってない…そっか」


あんまり話を聞いてなかった僕を叱るでもなく、七瀬ななせ先生は緩めの雑談を振ってくれた。


が、空振りに終わる。


気まずい空気が流れ、七瀬先生はわたわたしながら次の言葉を探してるようだった。

ちょっとかわいい。


「七瀬先生、志望校でしたっけ」


「あ!そうそう、行きたいとこある?」


ぐるぐると目を回していたのに、一変、助かったと言わんばかりに目を輝かせた。


「…特にきになるとこも、ないです」


「まぁまだ3年生になったばっかりだもんね」


嘘だった。

たまたま検索してて見つけた高校。

都内の私立の男子校が頭をよぎった。


今まで誰にも言えず、勇気の一歩を踏み出せない弱虫な僕。


この高校に行ければ何か変われるだろうか。


そもそも男子校って性別が女子だったら絶対に入ることが出来ないのだろうか。

そこすらも調べてない、本当にただ見かけただけ。


ゆっくり決めればいいと思うよ!

ぱっと笑う七瀬先生の笑顔。


僕は正面の壁にかかっている時計をちらっと見た。


「はい、じゃあこれで以上です。

次会うのは初回授業だね」


「あ、はい」


もうほんの口元まででかかった言葉を喉奥に無理矢理押し込んだ。

飲んだ唾、僕の悲鳴と一緒に底へ落ちていった。


「…さよなら」


自動ドアのボタンを押す。

軽く振り返りながら聞こえる人は居ないくらいの声量で呟いた。


募る不安。

もはや僕の将来に楽しみな気持ちはなかった。


静かに塾を後にする。

ちょっと憂鬱。家に帰るのが嫌になった。



「東雲さん!さよならー」


びっくりして思わず2回振り返ってしまった。

もう数十メートル離れた塾。

教室の明かり、七瀬先生が小さな手を上に伸ばして僕へ手を振った。


「…はい」


聞こえないなんて当たり前。

でも、気づいたら小さく返事を独りごちていた。


あんなに一生懸命。

不器用なのか空回ってるのか。


なんでか嬉しくなって、によによと口角があがる。




夕方、ロマンチックな夕日なんて僕に昇ってない。

爛々と幾つもの街灯が

僕の道を小さく、されど確実に家への帰り道を示してくれていた。


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