第31話 酒場のお仕事⑨ 料理本

「――――~~~~!??? ―――うまっ!!!!」


 途端、アーロウの顔が驚きに赤く染まる。

 偏食家のアーロウだが、酒を飲まないわけじゃない。

 むしろ酒は腹を守ってくれる聖水としてよく飲むほうだ。


 しかし……この酒は、いままで飲んだどの酒よりもまろやかでいてガツンと喉を焼いてくる……何より芳醇で香り高く、とどのつまり美味かった。

 その反応を見て女将がニヤリと笑う。


「だろう? 中身は普通のウイスキーだが、酒ってなぁ器が違うと、味もぜんぜん変わってくるもんさね」


 なるほど……これもその洗剤という道具の効果なのか。

 嫌な匂いが無いだけで、これほどまでに味が変わってくるものとは……。


「……私は、美味しいものを食べたいと思うガイラさんの気持ちも、安全が何より大事だと味を度外視するアーロウさんの気持ちも、両方わかります」


 ライカがアーロウのぶんのポトフをスッと押して言った。


「でもその両方を両立するのが、プロの料理人だと考えておりますわ」


 寄越されたポトフから、何とも抵抗し難いいい香りがアーロウの鼻を刺激する。


「当店『大衆酒場・モーゼル亭』は決してお客様の健康を乱すような、そして気持ちを不愉快にするような料理はお出ししておりません。どうぞご安心してお召し上がりくださいませ」


 そして、少し首を傾けてニコッと笑顔をスマイル見せるライカ。


 ――――ずきゅぅぅぅぅぅぅんっ!!!!

 酔った勢いかどうしてか。

 その愛くるしさに撃たれたアーロウは心の中で――――、


『この娘の〇〇○なら食べれるかも知れない』


 と、女将はおろか店の中にいる者全員の激怒を買う不埒を考えてしまうが、当然それは口には出さなかった。

 しかしそれほどまでに可憐な女の子が作った料理ならば、気持ちが悪いなどと思うはずもなく、信用しないという選択肢も無かった。


 するすると引き寄せられるように、ポトフに引き寄せられる匙。

 形よく面取りされたジャガイモをスープとともに一つすくい、そして抵抗なく口へと運ぶ。


 ――――どきゅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!!!!

 再び衝撃が脳天を突き抜けた。


「う……うまいっ!! うますぎるっ!!!!」


 濃厚で複雑な香りのスープには具材から染み出した旨味がたっぷりと含まれていて、ホクホクに煮込まれたジャガイモは土臭さなど微塵もなく、芋特有の芳醇な香りと良質な甘みがスープの旨味をさらに引き上げている。


「な……なんだこの料理は??」


 見た目は完全にポトフだが、しかしその中身は自分がキャンプでよく作る同じ名前をした、ごった煮と次元が違っていた。


 玉ねぎ、人参、葉野菜と次々に口に入れていくアーロウ。

 その全ての野菜がそれぞれの風味を生かしたまま、しっかりとスープと調和して一口ごとに新たな感動と楽しみを与えてくれる。


 自分の作るごった煮は、とにかく腹を壊さないように何時間も煮込む。浄化のために塩もたっぷりと入れる。そのままだと塩辛すぎるので、ハチミツやそれが無ければ花の蜜や樹液を放り込む。

 火を通しまくってデロデロになった具材に辛いんだか甘いんだか……とにかく濃い味付けのそれを、真っ黒に焼いたビスケットで胃に放り込むのだ。

 自分自身でも美味しいとまでは思っていなかったが、しかし腹の安全を考えると充分許容できるレベルだとも思っていた。

 それがなんだ……この料理と比べると、いままで自分が作ってきたものは果たして本当に食事と言えるものだったのかとアーロンは頭を抱えた。


「……どうやら、いまの一口でいかに自分の料理が不味かったのか、自覚できたみたいだな」


 どういう心境の変化があったのかわからないが、突然食べ始めたアーロウにちょっと疑わしい視線を向けながらガイラはつぶやいた。

 腸詰めの肉を口に運ぼうとして、そこでアーロウの手が止まる。

 腸詰め肉は、動物の腸に肉を詰め込んで味を熟成させる保存食だが、作る過程で肉を粉々にする必要がある。

 質の悪い肉屋になるとそれを逆手に取って、普通は食べない部位のクズ肉や、得体の知れないモンスターの肉、昆虫……それどころか色粉で誤魔化し腐った肉まで入れているところもある。最悪な話では処刑された罪人の肉を使っている肉屋まで存在するらしい。


 もちろんこの店のこれは、そんな類のものでは無いだろう。

 これまでの様々な気の使い方や清潔感、なにより料理の腕を見ればそんな悪質な材料など使っていないだろうことは容易にわかる。

 しかしこれまでの苦い経験で染み付いてしまった警戒心は理屈ではなく、アーロンの手を止めていた。


 そこにライカがやんわりと声をかける。


「その腸詰めは、この近辺の猪肉を薬草と混ぜて作ったものですわ。ニオイ消しと殺菌作用のある薬草を使っていますから、香りが良くお腹の調子も整えてくれますわ」


 そう言ってポトフに入れる前の腸詰めを一本持ち出し、それをパキッと小気味いい音を鳴らして一口食べるライカ。


「東の国から届いた『サクラの木』で燻製にしてありますから、茹でる前でも、この通り美味しく安全に頂けますのよ。う~~~~んおいしい♡」


 そして幸せそうにするライカの顔を見上げて、アーロウは自分でも気付かぬうちにその腸詰めを口に入れていた。

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