2-01 決定.

 六畳ほどの小さな部屋が重い空気に包まれた。おそらく、皆カルムの言葉に混乱しているのだろう。冷静に考察している僕だってそうだ。襲撃する? 自由を取り返す? 何故、そしてどうやって?


 カルムを見ると眼を閉じて微動だにしない。その姿はよくできた彫像のようだ。まあ、人に造られた者なのだから当然の事かもしれないけれど。


「カルム。お前、襲撃って何するつもりだ? やっとの事で逃げだせたのに、わざわざ戻ってまでしなければいけない事か?」


 レユニトが代表のように尋ねる。カルムの目がおもむろに開いた。感情のない、透き通った瞳だ。


「それを決めるのは俺じゃない。俺はあくまで道を提示しただけだ」

「でも、襲撃する事で私たちにどんなメリットがあるの?」

「そうだな……。襲撃すれば、もうこんな事にはならない」

「何故? 襲撃しても研究者が追ってくる可能性もあるじゃないか」


 疑問をぶつけると、カルムは考え込むように手のひらを顔の前に当てゆっくりと息を吐いた。壁の高いところに飾りのようにつけられた小さな窓の外で、風の吹く音がする。


「研究者が、もう俺たちを追いかけようと思わなくなる程ぶちのめしてやればいい。痕跡さえ残さなければそれで狙われる事はなくなるだろうな」

「ぶちのめすってどういう意味……?」


 リシャスが戸惑いがちに聞いた。 カルムは驚いたように目を瞬いた後、柔らかく相合を崩した。


「ああ、お前のモデルはこんな乱暴な言葉使わないのか? 叩きのめすとかやっつけるとか、とにかく相手を負かす事だ」

「でも、暴力で解決するのは良くないだろう。他に方法は無いのか」

「無いな」


 我慢できずに口を挟むと間髪入れずに否定される。取りつく島もない様子のカルムに、リシャスも反論した。


「だけど、平和に解決した方が絶対いいに決まってるよ」

「甘いんだよ」


 艶やかな笑みが浮かぶ。カルムの黒い瞳が湛えているものは喜怒哀楽だなんて単純な感情ではない。あえて言うならば、嘲笑だろうか。


「残念だけれど、俺には哀れみなんて感情ないんだよ。あいつらは滅びるべきだと判断した。だから徹底的に叩きのめしておきたい」

「だからって、そこまで言わなくても……」

「そうだ。カルム、そこまでにしとけ」


 カルムの前に座っていたはずのレユニトが、後ろからカルムの肩に手を置く。カルムは、ひどく緩慢な所作で振り返った。


「こいつの頭の中には、本当に哀れみという感情が無いんだ。悪いな、トキ、リシャス」

「ああ……。悪かったな、取り乱して」


 カルムが軽く舌打ちする。 後ろを向いたままだから表情はわからなかった。


「生身の人間だって後天的な理由で感情の一部が消える事があるんだ。誰もが全ての感情を完璧に持っているという前提がそもそも間違ってる」

「カルム、お前が言いたい事は分かった。だから話を戻さないか。お前はそこまでして襲撃をしたいんだな」


 何故か分からないけれど、レユニトはどこか焦っているように見えた。カルムが今度は気を引き締めるように素早く頭を振る。そして、頷いた。


「そう。何も私怨だけで言っている訳じゃないんだ。研究所に俺たちが行って再起不能な位に研究所内を掻き回せば、俺たちのような被害者をこれ以上出さなくて済むだろ?」


 その言葉に、少しだけ心が動く。


 研究所で何があったのか、今の僕は詳しくは知らない。でも三人の様子を見る限りあまり良い待遇は受けていなかったようだ。そもそも良い環境ならカルムが腕を折る事も僕のようにメモリーを抜かれる事もおそらくなかった。


 周りを見ると、リシャスとレユニトも神妙な顔をしている。過去を振り返っているのかもしれない。


「人造人間ならどんな待遇でもいいってわけじゃ、ないもんね」


 リシャスがぽつり、とこぼした。


「そう考えると、カルムが襲撃したいのもよく分かる。危険だとは思うがな」

「危険なのはどちらにしても変わらないだろう。じっとやきもきしながら待つのがいいか、いっそ危険に身を晒してしまうのがいいか。それだけの違いだ」


 不意に強い風が吹いてランプシェードを揺らした。あまり新しくはないこの小屋は、風が吹く度に不穏な音を立てる。


「だったら、俺は襲撃したい」


 宣言するように言ったレユニトの目はまっすぐ前を向いていた。リシャスも僕の隣で何度も頷いている。


「どうせなら戦った方がいいかもだもんね。何より、私じっと待ってるの好きじゃないし」


 リシャスが無邪気にいたずらっぽくニヤリとした。その笑みを見て、不意に今まではなかった気持ちが芽生えた。


 皆、どうして僕の為にそこまでしてくれるんだろう。


 一度思いついてしまうと途端に不安になった。だってそうだろう。いくら元々仲間だったとしても、カルムが左腕を折ったのは僕のせいらしいのだ。それなのに、加害者である僕の為に何故これ程までに親身になってくれる? もしかして。


 もしかして、彼らは記憶をなくす前の僕の敵で、僕を騙そうとしているのではないだろうか?


「トキも、それでいいか」


 僕の内心の葛藤になど全く気付かずにカルムが問いかけてくる。その顔は疑いたくなるくらいに爽やかな笑みを浮かべていた。


「うん……」


 湧き上がる黒い不安をそのままに、僕は弱々しく頷くしか出来なかった。


 2-01 決定.fin.

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第一実験室より 片桐 椿 @Iris524

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