おかえり幽霊船

浅瀬

一、






 波の静かな内海を、遠くに浮かぶ島を背にして一艘の船が帰ってくる。


 日が高くのぼった時刻で、水面はきらきらと光をはじいている。

 他にも漁船が港に戻ってきていたが、ただ一艘の船だけは、他と違って不気味だった。


「あんな船あったか?」


 船をもやいながら、漁師をしている武田がつぶやく。


 変色した船体は、藻や貝がびっしりついている。

 それに今よりだいぶ古い型の船ではないか?

 何よりエンジン音が……


「しない?」


 ぞくっとして武田は、作業する手を早めながら辺りを見た。

 他にも目撃している奴はいないか?


 しかし釣り人や漁師は、船から魚の入ったバケツを運び出すのに忙しかったり、デッキを磨いていたりで誰も気づいている者はいない。


 そうしている間にも船は近づいてくる。


 ゆっくりと白波を割って向かってくる船の操舵室が、開いた。


 逆光で黒く見える人影が、手を上げる。


「おーい」


「ひ」


 武田はロープの結び目を固く止めてから、慌てて立ち上がった。


 幽霊船、という名前が脳裏に浮かんだ。

 首筋が粟立って、早く逃げなければ、と港に背を向ける。


「待ってくれ、待ってくれーー」


 力のない男の声が背後から追ってくる。

 待つわけがない。振り切って走り出そうとしたとき、はやと、と幽霊が武田の名前を呼んだ。


「へ? なんで俺の名前……」



 ーーーーーーー



「10年ぶりだこと」


 武田の母が嫌味っぽく言いながらも、お昼ご飯用のおにぎりといわしの生姜煮をテーブルに並べた。


「いやあ、ごめんなあ。だいぶ遅くなって」


 風呂を浴びたばかりで湯気をあげる頭をかきながら、苦笑するのは父だった。


 10年前、釣りに出かけたきり行方不明になっていた父である。


「どうして今更帰ってきたんだよ?」

「うん。ちょっとなあ」


 色々あって、と父は言いづらそうにしていたが母が無理やり聞き出したことによれば、すべては船代をけちったためであるらしい。


 ちょうど母と喧嘩していて小遣いを減らされていた父は、その日の釣りに割安の船を探していた。


 知り合いの釣り船がまけてくれても、まだけちりたかった父親は、港に見慣れない古い漁船があるのを見つけた。


 試しにと、交渉するため船に乗ってみたところ、勝手に出港してしまったのだという。

 ちなみに操舵室には誰もいなかった。

 父は自分でレトロな木製の舵輪を握って、船を動かしていたらしい。


「船賃は置いてきたよ、ちゃんと。まあ相場の半分くらいだけど」

「ばかじゃないの? 10年とられてるのよっ?」


 律儀な父に母が怒鳴った。

 10年ぶりだな……。

 武田は10年前には父の好きな銘柄だったタバコをふかしながら、苦笑した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おかえり幽霊船 浅瀬 @umiwominiiku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ