1.死を経た管理人 -5-

彼女は盗聴器の録音スイッチを止めると、再び煙草を咥えた。


「取る必要も無かった…でも、それを取ってしまった」

「ええ…彼はテープの…装置の回収のために躍起になるかな?」

「どうでしょうね。貴女も彼と同類。こんな子供だましには直ぐに気づく。だから…貴女がテープの事を話さなければ、どうなる?」

「テープを捨てた可能性は下がる…か。きっと、私が持っていると踏む…何故なら彼が私に対して敵対的な行為を取った証拠になりえてしまうから…」

「2週間後に消える世界で、何も知らされていない私が盗聴器の仕掛けに手を出す…もし、彼の手の届かぬ範囲で私がレコードの詳細を知ったと考えてしまえば…前者は楽観的過ぎる。あの"部署"に居た人間なら、後者の可能性を危惧して、表に出る前に"全てを消す"…」


私は徐々に過去の"仕事"の感覚が戻ってくるのを肌に感じることができた。

レコードからの仕事でやったのは、すっかり慣れ切ってしまったただの汚れ仕事。

今の状況のように、自分を消耗させてまで一時の快楽に浸るような感覚を感じたのは、この1986年の世界で目を覚ましてから初めてのことだった。


「…偶には頭も使わないとダメってこと…"仕事"は楽しかったけど、それ以上に自分を使い潰す…貴女はどうだった?」

「僕も同じ。結局最後は耐えきれず死を選んだ。君のレコードではただの鬱状態で過ごした6月の大雨の夜にね」


私達は車内で向き合って言葉を交わすと、鏡越しに自分の顔を見ているような感覚に陥った。

髪の色と瞳の色は違えど、同じ顔、同じ体躯なのだ。

彼女が見せた、凍り付いた死体のように見開いた猫目と、ロボットが無理に作ったような口元の笑みは、きっと私が作り出している表情と同じだろう。


私の過去は、普通の人間の過去とはちょっと以上に違うことは理解していた。

"仕事"のために育てられた私は、彼女は、きっとどこかの段階で壊れていたはずだ。

壊れたまま"仕事"の感覚に浸って、"仕事"が終わると、残っている僅かながらの理性と学んだ常識が酷く耐え難い後悔と罪悪感、絶望感を連れてやってくる。


"仕事"前に感じる、手を出してはいけないとわかっているのに出してしまう際の高揚感。

それが作り出した、無表情の中にあった歪な顔色。

彼女を見て、彼女が本当に私と同じだと思えた瞬間だった。


 ・

 ・


「さて、仕事」


彼女はそう言って、灰皿に置いた煙草を咥えなおして、ハザードランプを消した。


「最初は何をする?」

「…僕の部下に真島昌宗を見張らせている。僕らはその間に周囲の掃除」


彼女はそう言って、私の膝上に置かれたレコードを指さした。


「君ほ"本来の"処置の仕方を知らない。その銃も、幾つか消耗品が交換された痕が見えた。今までの処置は全て銃を使っていたでしょう?」

「ええ…マサにそう言われていたから」

「それは飽くまでも急場しのぎの方法…乱用するとレコードからお咎めが来る。幾らレコードを外れたからと言って、その死体が人知れず消えるからと言って、死人を出したことによる他への影響は計り知れない」


彼女はそう言って、ジャケットの内ポケットから、細長い棒状の物を取り出した。


「注射器?」


私は彼女から渡されたそれを手に取って言った。

中身は、虹色の液体で満たされている。


「本来はその注射器をレコード違反者に注入して、処置を行う。そうすることで、違反者のレコードと人格が再構成されて、レコードに復帰する」


彼女はそう言いながら、短くなった煙草を灰皿にもみ消した。


「レコードは本来、そのような処置を前提に、違反者には仮のレコードを創り出す作用がある。仮のレコードは、正常に生きていて…将来違反者に関わる人間のレコードも含まれる。それを殺して処置して回っているようでは…仮のレコードが無意味に作られて、そのまま放置されることになる」

「そのレコードが、適用されてもいないのに、普通の人間に異常を起こしたりするもの?」

「する。仮とは言え、創り出したレコードはその人固有の情報。仮のレコードが引き金になって、大惨事になった可能性世界も見てきたから」


彼女はそう言って、ほんの少し眉間を寄せた。


「何の落ち度もないポテンシャルキーパー達が、異常動作によって崩壊していく可能性世界に取り残され…世界ごと消え去った」

「その原因が、仮のレコード?」

「そう。その世界はIF世界。原因を調べた僕達パラレルキーパーは、その世界のポテンシャルキーパー達の一部が、殺害による"処置"を多用したために、一極に使われなくなった仮レコードが集中し…それらが正常な人間に作用した結果、一気にレコード違反を犯し…フォローしきれなくなった管理人、レコードが世界の崩壊に耐えきれず、ついには跡形も残らず消え去った」


彼女がそう言い終わるころ。

車は丁度信号で止まった。


アイドリング状態のエンジンと、開いた窓から微かに入ってくる海風と波の音が車内を包み込む。

一瞬、平和な平日のお昼時の光景が戻ったが、直ぐに彼女の言葉がそれを遮った。


「つまり、今この世界が陥っているのは、そう言って崩壊していった世界の、崩壊一歩手前の状況…レコードで確認する限り、異常の発生源はこの近辺。管理人の行動を見る限り、原因は間違いなく君だ。知らないこととはいえ、レコードがなかったとはいえ…このような事態を招いてしまった」


 ・

 ・

 ・


彼女の言葉の後、車内は暫く無言の空間だった。

私は彼女の説明を聞いた後、レコードを見返して、今確認出来る限りのレコード違反者たちの名前と居場所を確認した。


引き起こした直接の原因は私で、それを招いたのは私の上司らしい。

普段なら何も知らされず、人知れず私達は消されて、時空の狭間という、永劫続く無の空間に生きたまま放り出されるらしいが…私は管理人になった直後のために最後のチャンスが与えられたというわけだ。


とはいえ、いまレコードに浮かび上がった人数は途方もない数で、この世界に残された時間では、処置の方法では到底時間が足りなかった。

答えは横で車を運転する自分の分身…1周前の自分が持っているだろうが…彼女は能面のような無表情を顔に張り付けたままだった。


車は日向の田舎町を出て一時間程度の場所にある大きな港町にたどり着く。

酷く汚れたドブ川の運河がある町だ。


「小樽で車を乗り換える」


彼女は町中に入った直後にボソッとそういうと、車を小道へと入り込ませていった。


「これからどうするの?」

「処置して廻る。優先順位は割り出した」


彼女はそういうと、立体駐車場の前に車を路駐した。


「注射器を返して」


彼女に言われるがままに注射器を返す。


「付いてきて」


そう言って、ハザードを付けてエンジンをかけたままの車を降りていく。

私も車を降りて、彼女の横に並んだ。


車通りもない車道を堂々と歩いて渡って、立体駐車場の管理小屋の前までやってくる。

彼女は咥え煙草のまま、左手に注射器を持ち、右手はポケットに手を突っ込んだまま管理小屋の中を覗き込み、小さく首を縦に降った。


「すみません」


小さな声で中に居た男に声をかける。

私は何が起きるかを想像しながら事態を見守った。

中に居た男は、呼ばれたことに気づくと、眠たそうな、やる気のなさそうに腑抜けた顔を晒しながらこちらに歩いてきた。


「これを見て」


彼女はその男に、右手側…ポケットから取り出した何かを見せつける。

すると、腑抜けた顔の男の瞳から生気が抜けていった。

彼女の右手に持った、警察手帳のような物を見た途端、男は確実にこの世界から一時的に”浮いた”存在になったことを実感できた。


彼女はそう…変わり果てた男を見つめると、ゆっくりと注射器を首筋に突き立てて、中身を注入する。


「……」


中身全てを注入しきると、注射器を引き抜いて私の方に振り返った。


「これが正常手段の"処置"手順。あの男のレコードは再構成された」


彼女はそう言って、男の方を指さす。

私は彼女の指先に向けられた、注射器を刺された男に視線を向けた。


男は、先ほどまでとは人が変わったような表情を浮かべて、そこに居る。

私はその姿を一目見て、直ぐに前に向き直った。


「成る程…そういうわけ」


小さく呟いて、先ほどから吸っていなかった煙草を一本口に咥える。

煙草に火を付けて、ふーっと最初の煙を吐き出した。


「これらは貴女の注射器と、手帳」


彼女は自分の注射器をジャケットに仕舞いこみ、代わりに小さなプラスチックケースに収まった物を私に寄越した。


「ありがと」

「で、これを今から勝神威の町でやって回る。僕の部下が彼の"罷免事由"を突き止めている間、舞台のお膳立てをしておくことにしよう」


横に並んで歩く私の色違いは、そう言って駐車場の隅に止められた、錆びの浮いた四角いセダンの前で足を止めた。


「これ?」


私は、何も言わずに運転席の扉を開けた彼女に問いかける。

彼女はドアを開けた後で、こちらを見て小さく頷いた。


私はフロントバンパーの部分を覗き込んで、錆びの浮いた車を軽くチェックすると、助手席側のドアを開けて中に入る。

同時に彼女がエンジンをかけたが、直後に聞こえてきたエンジンの音は、とても普通の車が放つ音ではなかった。


「随分と年季の入った車」

「今から数えて10年以上も前のブルーバード。海辺の北の街に置いておけば、塩で錆びつく」

「途中で分解しない?」

「まさか。補強を入れてある」


彼女はそういうと、動きの悪そうなギアレバーをローに入れて、クラッチを繋いだ。


「昔読んだ小説に習ったの」


小樽の幹線道路に出た彼女は、不意に口を開いた。

窓を開けた時の風切り音と、獰猛な音を発するエンジン音のお蔭で少し聞き取りにくい。

私は少しだけ彼女の方に顔を寄せた。


「見た目は風景に溶けるように地味で、少しみすぼらしい車……」


彼女は独白のように言葉を繋ぐ。


「別にこんな車に乗らずとも空気に溶け込めるのだけど、こういう風に身内を相手にするときもあるから、持っておくと便利」

「まさかこれもレコードで?」

「そう。レコードに書いて支給された物。僕はある程度、時が進んだパラレルキーパーだから、無茶な要求でも通る事が多い。君はまだ新人だけど、必要な理由を包み隠さず書き込めば、レコードはきっと応えてくれる」


彼女はそういうと、高速道路の追い越し車線へと車を滑らせた。


「そういえば、幾つか質問しても?」


高速に乗って暫くたった後。

煙草を吸い終えた私は、運転席に座った彼女に問いかけた。

彼女は、ほんの少しだけ私の方に顔を向けると、小さく頷いて、前を見た。


「今回の件で、マサを無事にどうにかできたとしたら、この世界は無事に終わりを迎える…それは合ってる?」


私の問いかけに、彼女はこちらを向かずに小さく頷く。


「なら、その次に私はどうなる?永遠に可能性世界を廻るといっていたけれど、次に行く世界での私の居場所は何処になるの?」

「変らない。君の拠点である、勝神威市。特に異常が無ければそこ一帯を管理する事になるが…レコード次第では何処へでも出張することはある」


彼女は淡々とした口調でそういうと、バックミラーを一瞬見てから、車線を変えた。


「そう。なら、次の世界では、私は一人?」


私がそう尋ねると、彼女は少しだけハッとした表情になる。


「今のところは…仕事が一つ、いや、二つ増えた」

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