1.死を経た管理人 -4-

「え……?」

「この世は幾つもの世界があることは、きっと貴女でも知っている事だと思うけれど」


彼女は私の様子を見て、小さく嘲笑うように口角を釣り上げた。


「レッスン1。永遠に同じループを廻わり続ける世界の話から…」

「それで、貴女が1周目で、私がその次のループの人間だということ…?」

「そう。僕の"主観"から見た世界を1周目としてるだけだけど…君は僕の生きた世界の次のループで産まれて、そして死んだ存在だ」


彼女はそう言って、再びケースの中の拳銃を取り出した。


「だけど、そのループは永遠に同じ回転を繰り返さない。たった1回転だけでも、差異は出る。いや…"レコードがあるから差異が生まれる"」

「……私と貴女の違いのように?」

「そう。僕も君も、バックグラウンドは同じだし、人生の流れも殆ど変わらない。でも、ボタンを掛け違えたかの如く、細部は異なってくる…この拳銃もその一つ」


彼女は手に持った拳銃を右手に持つと、左手に先ほど私を撃ち抜くのに使った拳銃を取り出した握った。


「拳銃一つとっても、同じ型だけど、細部が違う…そういう風に、各ループごとに微妙に変ってる…それが6軸だけじゃない…軸の世界から可能性世界まで…幾千、幾兆…数えきれない世界で起きてるの」

「…じゃぁ、2週間後に消えるこの世界も次のループへ?」

「そう…最期を迎えて、世界が無に帰して…人知れず、再びどこかの軸の世界から見た可能性世界として生まれ変わって、再び消えてゆく…そんなサイクル」

「軸の世界と可能性世界の違いって…?」

「消えるか消えないかの差でしかない。軸の世界は永遠に同じようなループを繰り返して…可能性世界は、そんな軸の世界から派生する可能性…あったかもしれない世界のことを指す。可能性世界の時の流れは遅く…やがて軸の世界に追いつかれて、その段階で可能性は可能性では無くなって無に戻る」


彼女はそう言って、両手に持った拳銃を膝の上に置く。


「それが、このレコードが管理する"世界"の構造…僕は、このレコードを持って、それらの世界全てを監視する役目を背負うことになったから、知っていること…」


私は彼女の言葉を、そのまま受け入れて、小さくため息を付いた。

これが、ただの電波話だと受け流せればどれだけいいか…


「レッスン2。レコードを持つ人間の話をしよう」


彼女は言葉こそ軽いが、淡々と、無機質な一本調子の口調で言った。


「君はもう人間だと思わない方が良い。死なないし、レコードに書かれた年齢に即座に変化できる。レコードを持った者は、その時点で人じゃなくなる…死なないことはさっき身をもって叩き込んだようにね」

「年齢は?一応…持ってる、というか、渡された免許証は18歳だけれど…」

「……それも君の仕業じゃないの?」

「目が醒めた時からずっと変わってない。本当の私は、まだ15歳…」


私がそういうと、彼女はほんの少しだけ目を曇らせた。


「レコードに触れずじまいのポテンシャルキーパー。よく消えなかったなって思うよ」


彼女はそう言って、膝に置いた2つの拳銃を手に取ると、私が使っている一つを私の方に放り投げた。


「レコードを持っている人間はレコードの指図に従って行動しなければならない。なのに君はレコードすら持ってない。レコードの指示を守れなかった者、逆らったものは人知れずレコードから罷免されて、不老不死のまま、"時空の狭間"と呼ばれる虚無の空間に連れ去られる。2か月半、そうならなかったのがどれだけ奇跡だったか…」


彼女はそう言いながら、黒いサマーコートのポケットから一冊の本を取り出した。

先ほど彼女が取り出した青い本ではなく、真っ赤な装丁がなされた本だった。


「これ、君のレコード。真島昌宗の家から無断拝借してきた…本来はこれで、この世界での仕事開始と行けるわけだけど、君の無知具合じゃ任せられない」


彼女はそう言って、赤い本を僕の方に放り投げる。


「僕の仲間には、僕が暫く君に付く事を伝えたし、レコードにもその旨を伝えてある。幸い、この世界はまだ目に見える危機に瀕していないけど、もう手遅れだ。新人教育には丁度いい」


彼女はそう言って椅子から立ち上がると、私の目の前に仁王立ちして、赤い双眼をじっとこちらに向けた。


「レッスン3。ポテンシャルキーパーについては、実地で説明することにした。付いてきて」


そういうと、彼女は私の返事を待つまでもなく部屋を出ていく。

私は彼女から渡された拳銃とレコードを手に持ったまま、彼女の後を追った。


「ポテンシャルキーパーは、可能性世界を管理する管理人。さっきも言った。やがて軸の世界に追いつかれて消えゆく世界がしっかりと終わりを迎えられるように監視するのが仕事」


階段を降りて、玄関で靴を履き、外に出た彼女は開口一番にそう言った。


「レコードの"処置"とやらはやったことがあるけれど…それが主な仕事だって。それは本当?」


私はスタスタと車の方まで歩いていく彼女に問いかける。


「本当。今、レコードの適当なページを開けば"処置対象"が浮かび上がってくる。それらを消して回るのがポテンシャルキーパーの主な仕事…あ、車のキーを貸して。僕が運転するから」

「はい…」


私は運転席側に立った彼女に車のキーを投げ渡す。

鍵のかかっていない助手席のドアを開けて乗り込んだ。


「でも、こうやって、消滅の危機が迫ってくると、処置が追いつかなくなってくる」


助手席に座り、落ち着いてレコードを開いた私を横目に見た彼女はそう言って、車のエンジンをかけた。


「この人数を捌くのは、時間がいくつあっても足りない」


私はレコードのページ一杯に映し出された人の名前を見ながら言った。


「世界中の人間が、この世界が消えることを理解しだす頃合い。可能性世界が軸の世界に追いつかれて消えていく…この世界の人間は、それを説明できないながらも、感覚的に理解しだす…」


車を小道に出した彼女は、語り口調を変えずに車を発進させた。


「ここからが問題。この世界は何なのか?ってこと。可能性世界は2種類に分けられる」

「2種類?」

「そう。誰かの夢の場合と軸の世界のありふれた選択の"もう一方"だった場合」

「今回はどっちなの?」

「レコードに問いかければいい。レコードの表示に従うのもそうだけど、逆にレコードに問いかけることもできる。君の言葉でいい。レコードは全てを理解して返してくれるから」


彼女はそう言って、ペンを持っていない私にペンを渡してくれた。

私は言われた通り、レコードに自分の言葉で問いかける。


"この世界は誰かの物?"


揺れる車の中で、短く書き記した言葉。

その文字は、紙の中に吸い込まれるように消えて行き、直ぐに別の言葉が浮かび上がって来た。


"否定。この世界は第6軸1986年8月3日に発生した事象のIF世界"


「否定。この世界は第6軸1986年8月3日に発生した事象のIF世界…だって」


日向の商店街を走る車の中で、私はレコードに浮かび上がって来た文字を読み上げた。


「じゃぁ、後者だ。その場合、感づきだしたこの世界の住民たちは軸の世界の乗っ取りに奔走することになる」

「そんな無茶なことを…?」

「出来る。レコード通りに動けば絶対にそうはならないのに、人はいざレコードの管理下から離れると想像以上の事を簡単にやってのけるの」


彼女はそう言って私の方に一瞬だけ目を向けた。


「もし、これが逆だったら?」

「その場合は主を探し出して、殺そうとするだろうね。知ってる?夢の中で死ぬと現実でも死ぬってことを」

「そんな夢は結構見たことがあるけれど、死んでない」

「その夢もきっと可能性世界だったんだと思うよ。そうならなかったのは死ぬ直前に目を覚ますからだ。止めを指される前に…ポテンシャルキーパーが活躍した証拠」

「……冗談?」

「まさか、僕は本気で言ってるよ。良くあることだから」


彼女はそういうと、直ぐに話題を元に戻した。


「さて…話を戻そう。8月3日にこの世界は軸の世界に取り込まれて終わりを迎える訳だ。それまでに、軸の世界に入り込んで、向こう側の世界とこの世界を結びつけようとする人間が必ず出てくる。僕達はその人間を見つけだして処置しなければならない」

「そんな。これほどに多い人間の中から?探すの?」

「何も、レコードに出ているよ。レコード違反を犯した後も、レコードは違反した彼彼女の行動を全て見張っているんだから…だから、さっきみたいに尋ねればいい」


私は彼女の言ったように、レコードに自分の言葉を書いて尋ねる。

すると、目を疑う人間の名前がレコードに表示された。


"真島昌宗"


「え?」


私は思わず声が出る。

運転席側に目を向けると、もう一人の…"1周前"の自分は全てを知っていたらしい。

小さく口元を歪ませると、片手を服の胸ポケットに持っていき、ポケットから煙草の箱を取り出した。


「真島昌宗。ポテンシャルキーパーが、そうなる場合も少なくはない」


煙草を咥える直前、彼女はぶっきらぼうにそう言った。


「成る程…で?今からマサを狩りに?不死身の男になってるけれど」


私はレコードを閉じて言った。


「……結構地味なんだ。やることは。レコードは彼の罪を知っているけれど、管理者である以上、レコードは彼をどうにも出来ない。周囲の人間が殺そうとも、彼は生き返ってくる」


彼女はそういうと、私の方に顔を向けた。

私と同じ顔をした、白髪に赤い瞳を持った少女は咥え煙草姿で小さく口元を歪めて見せる。

丁度、車はハザードランプを付けて路肩に止まった。


「レコードも、管理人のやることを全て管理できるわけじゃない。管理人はもう、レコードの通りに動く人間ではないから…レコードの指示に従って動く人間だ。指示にさえ従っていれば、レコードの管理下の人間に手を出さなければ、裏で何をしようともレコードは何もしてこない…」


彼女は煙草の灰を落として再度咥えると、窓をほんの少し開けてそこから煙を逃がす。

右手側には崖。

左手側には海が見える田舎の道路には、私達以外の車も、歩行者も見当たらなかった。


「それで…マサが裏でそうやっているとして。見つけたところで私達はどうすればいい?」


私は手に持った拳銃に目を落として言った。

これを使えば一時的に彼を無力化できるだろうが…私のように直ぐ蘇生するだけだ。


「罷免出来る。証拠を揃えて、レコードに書き記せば、それで、終わり」


彼女は軽い口調でそう言った。


「ただし、貴女が彼に何か疑いを持たれる瞬間を見られて、彼が先に罷免コードを書けば、当然貴女はレコードの管理人から除名される。彼は目論見通り世界を繋げて甚大な被害を起こすことになる…君も彼も、互いに…生前の仕事は何か分かっているでしょう?」


彼女はそう言って、煙草を灰皿に置くと、車のシートの下に手を入れた。

シートの下から、何かを引っ張り出した彼女は、私に取り出したものを見せる。


「この時代は録音式だから良いよね。ここから時を20年ほど進めれば、今の会話は全てリアルタイムで無線によって飛ばされて、筒抜けになる所だった」


彼女は取り出した簡易的な盗聴器をダッシュボードの上に置く。

存在を感づいていたものの、特に排除する必要性もないからと、そのままにしていたものだった。

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