第12話 B-side

 僕とマキスは、故人が住んでいたマンションへと向かっていた。

 探偵である以上、聞き込みをすることも当然、仕事だ。どうせ、と言ってしまえば語弊があるが、亡くなってしまった以上、生きている人の調査をするよりは、やりやすさはある。「亡くなられた方のことを調べていまして……」と周囲の住人に聞くだけで、勝手に向こうが僕たちを刑事だと思い込むことだって、あるのだ。それは勝手に間違える方が悪いので、都合が良い。

「しかし、何だな」

 マキスが電車から降りて歩きながら言う。

 「最近、自死って言うだろ。あれ、気持ち悪くねえか」

「はあ。意見なら、聞きますよ」

「特にさ、小学生中学生高校生とかがよ、苦しめられるわけだ。学校でな。殴られる。蹴られる。血まみれにされる。無視される。犯される。それでもたいてい、親には言わないもんさ。当たり前だよな。今日学校でレイプされちゃって、なんて、言えるもんかって思うんだがな」

「それは、そう思う。よく言いますよね。『ぼく、いじめられっ子なんだ…』みたいなセリフ言う漫画のキャラとかね。あれ、絶対あり得ないでしょう。」

「お前さん、そこわかってくれんのか。話せるな。でな、その挙句、自殺するわけだ。それはもう、想像できないような話じゃないか。子供が、まあ親の知らないとこでな。自分で自分を殺すほど極限まで追い詰められるわけだ。誰かにな。こりゃ、ほとんど切腹させられるような話だぜ。なあ。自死どころか、殺害される以上の苦しみだ。自殺という言葉さえぬるそうだ。」

「そうですね……」

「それで、『自死』って、どういうことだよって、思うがな。『自分で死にました』ってニュアンスじゃねえか。あんまりな話だ。まあ、新しい言葉ができれば、とりあえず使ってみたくなる国民性って、あるよな。意味なんて、どうでもいいんだ」


 僕は相槌を打った。

「少なくとも、その言葉を認めるとしても、区別する余地はありますよね。全部どちらかに統一する必要は、ない。毎日血を流したり、犯されながら、学校に登校させられて、それも、晒されてのことも、あるわけでしょう。そんな日々が続いて、それを『自死』と呼んで、あるいは、がんみたいな病気にかかって、苦しんだ末に飛び降りて死ぬ。これを『自殺』と呼ぶ、なんてことがあったら、異様ですよね」

「結局は、そんなもん考えない無神経が言葉狩りやってるだけなんだがな。おい、コンビニ行こう、ほら、あそこにある」

「コンビニ探偵ですか」

 

 マキスは切らしたタバコとマッチとビールの小さな缶となんとかチキンを買ってきた。たまにある、小さなビール缶を数秒で飲んで、ゴミ箱に捨てた。もはやこのくらいのことで、「いいんですかぁ?」などという野暮なことは言わない。呆れているわけでもないのだ。こんな仕事をしていれば、それくらいのことがないと、やっていられないのである。

 マンション、あそこです。と僕が言った。

「マンションっつーか、アパートっつうか。まあ、ギリ、マンションではあるな。なあ、マンションとアパートの区別って、定義あるのか?」

「3階以上はマンションなんじゃないですか?行きましょ」

「郵便受け、見よう見よう」

 聞いていたダイヤル式の鍵を外して中を見たが、デリバリーのチラシばかりで、手がかりになるものはなさそうだ。


「何、隣の人?」

 被害者の住んでいる部屋は、3階の、一番奥の部屋の一つ手前だった。僕たちは一番奥、角の部屋の住人に当たってみることにした。

 マキスががんがんと扉をノックする。チャイムがあるのに。出てきたのは男。独身っぽい印象を受ける。平日なのにスーツ姿でもないし、無職だろうか。いや、いや、最近ではリモートワークも少しはあるから、いちがいに決めつけるわけにはいくまい。身元を明かして、調べていることを、誤魔化しつつ話した。もちろん、警察ではない、とも、警察だとも名乗っていない。誤解するのは自由である。


「まあ、亡くなったっていうから、もうすんだことですけどねえ」

「何、賃貸だけに?」

「はあ?」

「いいんです、いいんです、気にしないでください」

 マキスを諌めた。

「気になったことねえ。ああ。取り立て屋みたいなのは、時々来てたみたいですよね」

 マキスが聞き返す。「今時?サラ金とか?」

「いや、ここは入居の時に不動産屋とは別に、保証会社と契約させられるから。そこがまた、うるさいんだ、取り立てが。家賃少しでも遅らせるとね。ここまで来るのさ」

 へぇ、と僕はうなづきつつ聞いた。

「そんなに、たとえば毎日とか、来てるようでした?」

 そういうことが頻繁にあるようなら、自殺の動機にもなることもあるだろうと思ったからだ。

「まあ、俺が知ってる限りでは、2、3回かなあ」

 またマキスが口をだす。

「2回と3回の違いくらい、あなた、わかるでしょ? どっちなのさ」

「何だよ……。3回だよ。3回」

 僕は聞く。

「このところ、続いていたんですか?」

「続いてたのかもね。俺も、ずっといたわけじゃないから、わかんないけど。ひょっとしたら、もっといたのかも知んないな」

「他に、何か気になることはありますか? 気になっていたことは」

「まあ、その取り立て屋もそうだけど、なんか、うるさい人だったよ」

 「うるさい? 何?うるさいって。たとえば?」と、マキス。

「夜とかさ、朝とかさ、なんか、音、よく鳴ってうるさいなって思ってたよ」


 角部屋の男はなんとかかんとか言うと、ドアを閉じてしまった。

「どう?マキス」

「家賃の取り立てか。今時、あるんだな。あまり自殺と関係あるとは思えんがな。まあ、ないとも言えないしな。わからんわからん」

「投げやりだなぁ。 わからないじゃないですか。 多分、家賃の保証債権の取り立ては、貸金業法の対象外じゃないですか?知りませんけど。ひょっとしたら、かなり激しい取り立てがあったのかも。」

「音って、何だよ、音って」

「さぁ……」

 考えているうちに、故人の部屋を通り過ぎて、両隣のうちもう一つの部屋をがんがんとマキスが叩いている。


「まあ、こんなとこに住むような人だから。ろくな人じゃなかったんじゃない」

 と言うような事を、いきなり言い出してきた。「私が言うのも何だけど。」

 もう高齢者と言ってもいいような、女性である。

「ここ、家賃幾らか、知ってる? 47000円だよ。」

「へぇ、随分お安いんですね」

 都心にもアクセスしやすい路線が近いし、バスも近い。

「47000円?へぇ〜」

「この辺なら、もっとすんじゃないの。何、なんかあんの。平将門のなんかの跡地に建てたとか。墓地だったとか。寺だったとか。耳塚だったとか。皆殺し事件があったとか」

「ちょっと……マキスさん……」

 住人も驚いた顔を隠さなかった。「何?随分物騒なこと言うね」

「いや、あの、すいません、すいません。」

「ここはね、ぶっちゃけた話、ほとんどが生活保護受けてるんだよ。住民がね。だから、まあ、人が死ぬとか、そんなに驚く話でもないっちゃ、ないんだよね。自分の生活でいっぱいで、人を気にしてる余裕ないし。でもね、私一回、怒鳴りに行ったことがあるんだよね」

「へぇ。怒鳴りに?何でまた」とマキス。

「とにかく、朝、うるさくて。」

「ああ、それ、向こうの人も言ってました」

「そりゃあ、言うと思うよ。とんでもない音だったんだから。」

「音って、どんな音だったんですか?」

「聞いたら驚くよ。ほら、あれ。名前わかんないけど、地震が起きる時に鳴る、あれよ」

「え?」

「緊急地震速報の、あれすか?」

「ああ、そうそう。別に、地震が起きてるわけじゃないのに、毎日、隣からすごい音で鳴ってたの」

 「私、毎日それでびっくりして、飛び起きちゃったんだから」と愚痴る。

「やっぱりどっか、様子はおかしかったと思うよ。生活保護受けてたかどうかはわかんないけど」


 両隣から聞けた話は、これくらいだった。

 近くに中華料理屋があったので、二人で餃子を食べていると、副所長から連絡があった。あのよろしくお願いするのが得意の彩華氏から会いたいといってきたとの事である。

「何、これからって? 俺、まいばすに行かなきゃいけないのに。参ったな」

「マキスさん、まいばすはコンビニではありませんよ」

 「何言ってんだ、便利だろ」と言う。

「亡くなられた当麻さんは、結構追い詰められていたことは、確かなんじゃないですか」

「仕事で悩んで、家賃も払えなくなって。公認会計士だろ?そんなもんなのか?そんなことないだろ?」

 マキスが手を挙げる。「茹で2、焼き2!」

「会計士の平均年収は少なくとも500万、600万。これは最低ラインですよ。新司法試験、予備試験と同じか、難易度はそれ以上とも言われていますから。国家資格の難易度ランキングがあるなら、1、2、3位はこの3つは間違いありません」

「しかしお前さんな、資格があったからって、無条件で金が入ってくるわけじゃないだろ。ほら。たとえばな、のび太がコンピュータペンシルで受験して、合格したとするだろ。資格取れたとしたって、のび太じゃ、高が、知れてるだろ? そう言うことかもしれないだろ」

「のび太くんのことを悪く言うのはやめてください。のび太くんは、勉強ができなくて、就職ができなくて、だから、自分で会社を興すほどの情熱を持った青年です」

「のび太を悪く言ってるのは、お前さんだ。のび太に、くんをつけること自体が、お前さん、間違ってるよ。」

「話を一旦戻します。それでも、47000円の家賃が払えないということは、考えにくいんじゃないですか。」

「じゃあ、家賃の件じゃなかった、とでも言うのか?」

「それは、わかりませんけど」



 餃子を食べたその足で、彩華と会うことになってしまった。


「よろしくお願いいたします。私、あれから当麻さんのことを考え直してみたんです」

「はあ」

「私、何も知らなかった……。凄い努力家で、難関の資格も持ってて……。私、会計士って、何も知らなくて。そういう検定があるのかな、とか、聞いたことがあるかな、くらいしか……」

「まあ、俺たちも、その話をしてたとこでしてね。聞けば、家賃の支払いにも困っていたそうで。どういうことなんだろうってね、話してたんですよ」

「そこまでのプライベートな話は聞いていませんでした……。でも、障害を持っていて、仕事の訓練をする人でお金に裕福な人って、本当に珍しいんです。だから、そういうことになっていても、不思議ではなかったと思います。就労支援に通う人の半分以上が生活保護受けている、っていうことも、全然珍しくないんです。だからあの人のことも、一緒くたに考えてたところがあったのかもって……」

 「はあ」としか、言えんわな。

「その中で受けていた相談のこと、お話しします。いちばん当麻さんが辛い、と言っていた事は、眠れないことです。不眠です」

「眠れない、ということですか。」相槌を打つ。

「眠れないというのは、なかなか寝付けないとか、そういうことでは、もう、ないんです。重い症状になると、眠れないというより、眠りたくないという気持ちの方が強くなってしまったりすることもあります。それで外に出て、飛び回ってしまったり、眠らないで、仕事をしたり……」

「ああ、それって、いわゆるというやつではありませんか?」

「そ……その通りです。 それも軽いものと重いものがあって。 当麻さんが軽躁か、そうではないかはわかりませんが」

「そうだったり、そうではなかったりするんですか?」

「いえ、違います。躁だけど、軽躁だったり、そうだったり、そうではなかったり、という違いがあるということです。」

 真顔で彩華は言うのである。

「あ、あの、やめましょう。なんか、ややこしいので。とにかく、そう…えーと、そのような、状況下に、あったわけですね。」

「はい。それで、それがひどくなったきっかけ、と思う一件があったことを、覚えています。」

「きっかけ、ですか。」

「何。どんな?」


「亡くなられた当麻さんの会計事務所の、人事部の部長の、島田とのトラブルです」





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